第58話 笹井さんはバレンタインの日に

 寒い。布団を出るまえから寒いことはわかっていた。顔が冷たかったからな。着替えをするときも、部屋から出たときも、今日は寒いなと思った。

「寒くない? 雪でも降るんじゃないか」

 リビングで食後のチョコレート菓子を食べているココノに苦情を申し立てる。こんなに寒いのはお断りだ。

「お兄ちゃん、世間知らずね」

 僕は世間知らずらしい。冬の朝はこんなに寒いと世間様はご存知だったのか。衝撃的事実。

「雪ならもう降ってるよ」

「なんだと!」

 雪が降っているのか。今年何度目かの雪が。この地方は雪国ってこともないけれど、毎年何度かは雪が降って、そのうち何度かは大いに降る。大いに降った雪は積もってしばらく融けのこる。

「雪が降るたびにおなじリアクションだよね」

 今日は冷たいバージョンのココノさんらしい。僕のかわいい妹を返して。自分で自分をやっていてウザイと思ってしまう。ウザイ兄ですまん。ココノさんも冷たくなるというものだ。


 雪はやまなかった。午前中で雪はやんで昼には太陽が照りつけ、積もった雪がキラキラ光ったり、屋根に積もった雪が解けてポタポタと垂れる、滴が虹色に光る。そんな素敵な午後をむかえるはずなのに、重たいグレーの雲、薄暗い世界がつづいていた。魔王に支配されているのか。今回は大いに降るバージョンだ。

 放課後、雪を傘に積もらせながら下校する。僕は快適が大好きなんだ、寒いのも、邪魔くさい雪も嫌いだ。

「わたなべくん、わたしも一緒に帰る」

 小走りにやってきたのは笹井さんだ。よく転ばずにたどりつけたなと思ったら、前のスカートに白いものがついていた。前のめりに転んだらしい。一緒に帰ろうとか、帰っていい? じゃないんだな。いつだって僕には選択権がない。

「笹井さん、転んだのたすけてやったのに置いて行ったー、ひど-い」

 亜衣さんもきちゃったか。

「ふたりとも今日部活は?」

「雪で暗いから休みにして早く帰ることにしたの」

 会長権限発動らしい。

「マラソン大会も雪で中止になるといいんだけどな」

「マラソン大会は延期になっても中止にはならないのだよ、わたなべ」

「そうなのか、ひどい」

 この世によいことなんてなにもないな。

「体育の成績はマラソン大会の結果をもとにつけられるから、マラソン大会やらないと先生が困っちゃう。というわけで中止にはならないのだ」

「体育は1でいいんだが。走らずに済ませられないかな」

「走らないことには1もつけられないよ。欠席しても、プールと同じで補習になって結局走ることになる」

 どこまでいってもこの世は地獄か。

「マラソン大会のまえに、バレンタインがあるでしょ。楽しみだね」

「亜衣さん、さようなら」

 僕と笹井さんは左、亜衣さんは右に曲がるところまできていた。亜衣さんは、ボクんちもそっち、引越ししたんだなんて言って一緒にこようとしたが、笹井さんにやっつけられて渋々別れて右に行った。背中に哀愁がただよっておる。

「ちょっと哀れだな」

「渡辺くん、早く帰って勉強したいんでしょ? 行こ」

 まあ、そうなんだが。容赦ないな笹井さん。


 バレンタインは本当に笹井さんがチョコをくれるのかな。僕のこと好きなのかな。するとどうなる? 僕のことを疑っているというのは勘違いで、好きだから監視したりアリバイを調べたりしてきたのかな。

 アリバイは好きだからって調べないだろ。どういうことだ。でも、なんでアリバイ聞いてきたの? なんて言えないしな。ダメだな。

 そうか、これは聞いてもいいんじゃないか?

「あの、笹井さんは死にたいっていうか、殺されたいの?」

「もしかして、好きな殺され方の話?」

「本当の話なの? それって」

「嫌だなぁ、本当に殺されたくなんてないし、死にたくもないよ。渡辺くんも同じでしょ」

「だ、だよね。僕もだよ」

 僕に振るな。笹井さんの話題は独特すぎてついていけないんだから。でもそうか、殺されるのが好きってわけではなかったんだな。勘違いで危うく笹井さんを殺すところだった。

「妄想して楽しむのと現実は別。趣味を解さない大人が批判するみたいだけど、妄想と現実をごっちゃにしているのはむこうだよね」

「だよねー」

 話が大きくなってきたか?

「あと、巨乳のキャラがマンガやアニメに登場すると女をエロい目線でしか見ないとかいうやつ。現実に巨乳の人がいるのに、マンガとかアニメに登場するとなぜ存在理由が必要なのか、意味わかんない。巨乳の人は生きてるって他に理由がないと存在しちゃいけないわけ?」

「う、うん」

 笹井さんに巨乳について力説されてもぜんぜんピンとこないんだが。幼女に言い換えてもらえると僕も納得しやすいんじゃないかな。

「それで、聞きそびれていたんだけど、渡辺くんの理想の殺され方ってどんなの? おしえて」

 僕はすこし前から、振ってはいけない話題だったと気づいて後悔していた。笹井さんを止めることもできず、ここまできてしまった。理想の殺され方ね、ひねり出せ、僕の優秀な頭脳!

「えっと、そうだな。いろいろあるけど、やっぱり一番は」

「一番は?」

「拳銃で近距離から頭を撃たれるのかな」

「それって、情緒がなくない?」

 情緒? その殺され方、いとをかしとかあるの? 春はあけぼのみたいな? 一番はナイフでグサッ。抱きしめたるがごとくあとの方に立ちたる男、いと高くあげたる手の先にナイフをひからせ、ひと思いに心の臓へひゅっとぞ突き刺したるはいとをかし。とか? 笹井さんはわからねえ。

「僕は、アメリカのアクション映画も好きだからね。ガンアクションで戦ったあとに、お前もなかなかやるな、だが残念ながら俺の方が上だった、ガーン! というのだけど」

「アクションの果てにだね。やっぱりプロセスが大事なんだ」

 ふぅ、うまく納得してもらえたみたいだ。ちょうど僕の家の前まできた。

「それじゃ、また来週。約束はバレンタインの日だよね」

「バレンタイン? ああ、そうそう。バイバイ」

 あれ? やっぱりバレンタインを狙って約束したんじゃない? 僕のこと好きじゃなくて、やっぱり疑っているってことか? いや、笹井さんだからな、約束したことを忘れてたんだな。それって大丈夫か?

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