第53話 僕は回復する

 夜か。目が覚めたのはいいが、心臓はドキドキしているし、いやな汗がぐっしょりだ。たぶん熱のせいで悪い夢を見ていたんだな。トマトを生のまま口につっこまれ、口に広がった味で全身に衝撃が走り僕は気を失って、その間にトマトジュースのプールにぶちこまれたとか、そんな夢だろう。うなされて汗ぐっしょりも納得だ。

 起きて着替えるか。起きあがろうとして目を開けたら、笹井さんがいた。ベッドの横にしゃがみこみ肘をベッドにのせてこちらを見つめている。ずっと僕の寝顔を見つめていたの? 恥ずかしいな。乙女か。嫌な夢を見て胃も汗で濡れたパジャマも気持ち悪いんだ。夢のせいというより今想像したせいで口の中もまずい味がする。うがいして、着替えもしたい。起きるから笹井さんちょっとどいてくれ。

 意志が通じたらしく、笹井さんは無言でベッドの足の方に場所をずれた。僕はベッドから出て頑張って立ち上がり、よろめくのも制御してまずはトイレに向かった。

 トイレにきたものの、おしっこはたまっていなかったらしく、チョロっとしか出なかった。水分取っていなかったせいかな。となりの洗面所でうがいして顔も洗った。布団の外は寒くてそろそろ限界だ、軽く体が震える。まだ熱が高いんだろう。部屋に戻りパジャマを着替えてベッドにもどる。お布団は我が故郷。長い旅であった。

 笹井さんは、部屋にもどったときには消えていた。笹井さんの添い寝だったらウエルカムなんだが。いや、そんなこと望んではいかんな。


 どのくらい経ったのか、夕方だ。かなり体が楽になっている。ポカリを飲んだり、もしかしたらプリンなんてあったら食べられるかもしれない。そのくらいに回復している。

 リビングでココノに出くわした。風邪をうつすわけにいかないから、早急に用を済ませて部屋へもどらなければならない。けど、すこしくらいはいいだろ。お兄ちゃんはココノとお話ししたい。

「ココノ、笹井さんは」

 いや、あの笹井さんは幻だな。家にきているわけがない。僕が殺したんだから。

「笹井さんがなに?」

「なんでもなかった」

「あ、そう」

「なにか、聞いてないよな」

 笹井さんが殺されたなんて、母さんが知ったってココノに話さないな。ココノは話が呑み込めないようだったけど、わかるようには話してないからいいんだ。今日はすこしそっけない態度なんじゃないかなあと、お兄ちゃんは思ったりもするんだが。体調の悪いお兄ちゃんをいたわってあげてよいと思うな。

 きっとこの風邪は笹井さんからうつったものだ。その影響で笹井さんの幻があらわれたのだな。僕の中の体調悪いときだけ出てくる意識が呼び寄せた。そういうことで納得しよう。

 冷蔵庫を開けると、ありました。プッチンなプリン。ココノが1個食べたようだ。3個入りのビニールが破られて2個だけのこっている。コップにポカリを入れ、プリン1個とスプーンをキッチンに用意した。ポカリは飲んでコップを流しに入れる。プリンとスプーンはもって部屋にもどることにする。

 僕の家では風邪のときにプリンを食べることになっている。甘いのが嫌なときは牧場ヨーグルト。どちらもダメなときはまだモノを食べられるほど回復していないということだ。

 風邪のときに女子におかゆを作ってもらうというのは、ラノベの世界のファンタジーである。体調最悪のときにおかゆを食べたくならないものだからな。気持ち悪くなったと言って吐いたら、きっと女の子を傷つけてしまう。ふうん、私の作ったおかゆ、そんなにマズくて吐き出しちゃうほどなんだ。もう二度と料理してやんない。傷つくのは男子の方かもしれない。

 部屋でプッチンせずにプラスチックのカップからスプーンですくってプリンを食べる。この寒天でつくったなんちゃってプリンがつるんと喉を通って、風邪のときにはうまいんだ。元気なときは焼プリンが僕の好みなんだけどな。よし、また寝よう。


 熱が出て回復すると、すこしの間は世界と僕の間に薄い膜があるような、VRゴーグルで世界を見ているような、奇妙な感覚になる。その割に、体はすーすーするというか、世界が体の中に入り込んでいるような、これまた奇妙な感じになる。熱にやられて頭がすこし狂うのだろう。

 学校に向かって歩いていても、体がすーすーする。寒いのとはちがう、涼しい。冷えピタを体のアチコチに貼った感じだ。そんなことしないから想像だけど。学校に行って午前の授業が終わる頃には普段どおりにもどるはず。経験則というやつだな。

 食欲がもどって、朝はみんなと同じものを食べられた。すごーい。男子にはなんでも肯定して盲目的に高く評価してくれる存在が不可欠だと思う。男の子の心はたいへんもろくて傷つきやすいものだからな。女の子に期待できない機能だ。はやくアンドロイドが実用化されて僕を全肯定してくれるキュートなロイドちゃんがあらわれてくれるとうれしいな。


 歩きながらくだらないことを考え過ぎたみたいだ。本当に遅刻ギリギリで、チャイムが鳴っている間に教室に到着した。教室のドアをはいって、すぐに笹井さんの席が目につく。今日は笹井さんきているな。

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