第51話 笹井さんは殺される?

 いいよと言って、笹井さんは目を閉じた。なにがいいんだ?

 この状況は、熱が出てツラそうな笹井さんを寝かせたいところだ。パジャマに着替えてもらわないといけない。つまり? パジャマに着替えさせるために服を脱がせてもいいよ。そういうことか? これが正しいとなると、僕が笹井さんの服を脱がせたがっているみたいになるんだけど?

 いやいやいや、笹井さんだぞ。みんなの前で発言するのも恥ずかしそうな笹井さんが、服を脱がせていいなんて言うわけないな。笹井さんが言いそうなこと。いや、ほかにないな。

 殺していいんだな。むしろ殺してほしいのか。

 笹井さんは、殺され方について語ったことがあった。もともと殺されたがっていたということか。あのときの話では、理想はナイフで心臓を突き刺してほしいのだったか。あいにくナイフの用意はない。

 でも、うしろから抱き締められるようにとも言っていた。頸動脈を押さえるのもありだったはず。なぜ僕はそんなことを覚えている。笹井さんの様子がおかしかったから記憶に焼き付いてしまったのだな、きっと。

 笹井さんの首に手で触れて、頸動脈を押さえる。

 実行したら、笹井さんはどんな顔をするんだろう。手に伝わる感触はどんな感じかな。やわらかく、すべすべして、弾力があるんだろう。ぴく、ぴくと血管が脈を打つ。かわいらしいんだろうな。やばい、想像していたらさらにドキドキしてきた。目の前に笹井さんの裸の首がある。絞められるのを待っている。

 笹井さんは目を閉じたままで。前にも思ったけど、人形みたいだ。ビスクドールだな。陶器だか磁器だかで頭部ができている。ツルツルすべすべで光沢のある肌。顔の作りもかわいらしい中に妖しい魅力がある。

 殺したい。

 僕は笹井さんに狂わされているのか。三原さんを殺した僕なんだ。僕の中にもともとある衝動が笹井さんに刺激されて表に出てこようとしているにすぎない。


 いいよ、渡辺くん


 笹井さんの声が耳の中で再生される。興奮しすぎだ、呼吸が苦しくなってきた。つばを飲み込む。落ち着け、笹井さんを殺してしまったらもう会えないんだぞ。笹井さんとの楽しい未来も殺してしまっていいのか。

 いや、僕は人殺し。もう三原さんを殺しているんだ。楽しい未来なんてあるわけがない。そんなもの望んじゃいけないんだ。笹井さんは気づいてる。だから僕たちに未来はない。今殺してほしい、そういうことだな。僕たちの恋を成就させるには、笹井さんを殺すしかない。くそっ、殺したくないのに、殺したくて、笹井さんも殺してほしいと言っている。


 笹井さんの熱くなった体を抱き起してもとのようにベッドの端にすわらせ、僕はうしろにまわって膝立ちで笹井さんを抱き締める。

 笹井さん、好きだよ。一緒になろう。生きていたら、ふたつの命、けっしてひとつにはならない。笹井さんが死ぬことで、僕が命を引き受け、ひとつになるんだ。三原さんを殺した人間として今生きているように、大好きな笹井さんを殺して僕の存在につなぎとめる。

 抱き締める力をゆるめ、右手を笹井さんの体から離す。手の平を笹井さんの首にゆっくり密着させる。あたたかくてやわらかくて、手に吸い付くようだ。はかなさを感じる。華奢な首は簡単に折れてしまいそうだ。

 人差し指と親指に神経を集中させ、脈を感じさせる箇所を探して手の平をすこし浮かせながら指を這わせる。見つけた。頸動脈の上に親指と人差し指の先をあてがっている。笹井さんの鼓動は早い。きっと僕の鼓動も早まっているだろう。笹井さんのは熱のせいなのか、興奮しているのか。両方かな。

 笹井さんの頭を胸で押すようにしながら、指先を首にやさしく押しつける。脈が指を押す力が強まった。


 はあっ。


 笹井さんの淫靡な吐息が僕を狂わせる。指先に感じるのは、ドクッドクッと血行を止められた血管のあえぎ。笹井さんは目を閉じたまま、首はむしろ反らすようになって、見上げる形だ。

 熱で苦しいはずなのに、今殺されようとしているのに、笹井さんの表情はやすらかで、気持ちよさそうに見える。恍惚というやつだな。僕に殺されることがうれしいんだ、しあわせなんだ。僕もしあわせだよ、笹井さん。

 人類を超越したようなドジをやらかす笹井さん。三原さんを殺した翌日には僕に絵の具をぶっかけてきたっけ。

 僕のことを疑って、鹿島まで使って監視してきたんだよな。塾に潜入して、そのために一生懸命勉強したようだった。最近は亜衣さんや伊吉さんを仲間にして探偵倶楽部なんて作って。

 そんな笹井さんなのに、僕は笹井さんのことが好きになってしまった。公園で笹井さんが襲われたときは不安と恐怖でいっぱいだったし、現場を目撃したときは怒りにまかせて男に殴りかかった。返討ちにあって病院送りになったけどな。あのとき、もう自分の気持ちをごまかせなくなった。

 デートもした。クリスマスのサイン会に初詣。甘やかなひとときだった。人殺しの僕には許されざる幸福。愛すべき笹井さんを殺そうとしているのは僕への罰なのかもしれない。だが僕は殺人鬼だ。笹井さんを殺して僕のものにし、ひとつになることはご褒美でしかない。


 笹井さんの体から力が抜けた。笹井さんの命は僕のものになった。ふたつの命が溶け合って、わけることはできない。

 僕は人形を大事に抱いている。落としたら壊れてしまうから、ビスクドールだから。強く抱いているのだ。

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