第49話 笹井さんは走ってる

 3学期がはじまる。初詣のあとも僕の笹井さん熱は冷めていない。今でも笹井さんは僕のお嫁さんだと思っている。妄想だけど。

「笹井さん、おはよう」

 笹井さんの側の通路を通って自分の席につく。今日も笹井さんは天使。

「わたなべ、明けましておめでと」

「そうか、明けてたっけ。僕にはあまり関係ないけど」

「それはもういいから。惜しかったね、ボクの晴れ着姿拝めなくて」

「ああ」

 笹井さんの晴れ着姿と比較してしまったらかわいそうだが、亜衣さん単独で考えても惜しいと思わないぞ。

「なに、その反応。興味なさすぎじゃない?」

 そういう態度なの? と小声で脅迫してくる。僕は脅迫には屈しない。すこしは希望を聞いてやらなくもないんだが。クラスメイトだしな。知らない仲でもないし。余計なことは言わないという条件でな。

「よーし、席につけー」

 先生がきてしまった。いや、助かったか。

「明けましておめでとうだな。というわけで、席替えするぞー」

「えっ!」

 くっ、そうだった。新学期は席替えがあるんだった。2学期は亜衣さんが転校してきたのを理由に席替えがなかった。そのせいで忘れていた。3学期は短いけど、3年になったら笹井さんと同じクラスになれるとは限らない、貴重な時間だっていうのに。

 だが大丈夫、ラブコメならこういうときご都合主義的にまた笹井さんのとなりの席になることに決まっている。ラブコメの法則。頼んだぞ。


 この世にラブコメ作者という名の神はいないのか。ガッカリだよ。僕は廊下側の一番前の席、笹井さんは窓側の一番後ろの席という、考えようによっては誰かの意思がはたらいていると思えなくもない結果になった。いや、こういうときは笹井さんのとなりの席の子が目が悪いから前の席と交換したいと言って僕とかわるんだ。一発大逆転。きっとそうだな。

「よーし、席はこれでいいな」

 なにっ? 先生ー! 僕まだ笹井さんのとなりに移ってないんですけど! 笹井さんのとなりの席はどうなっている。

 森山ぁーっ! あいつ視力2.0で向かいのプールサイドにいる女子の水着姿がよく見えると自慢してくるやつ。なんてこった。僕の希望は打ち砕かれた、森山に! そういえば林間学校のときもバスで笹井さんのとなりの席にちゃっかりすわっていた。くっそー、許せん。いつか殺してやるリストの最上位に載せておくことにしよう。

 もうひとりのとなりの席だった亜衣さんは中途半端というか、教室の真ん中あたりに陣取っていた。どうでもいいな。

 年が明けて本格的に寒くなろうというときにドアのすぐそば、一番寒いところで笹井さんと最も遠い。身も心も寒い。いいところなし。

 いや、いいんだ。僕は勉強に集中しなければならない。入試まであと1年しかないんだからな。恋にうつつを抜かしていてはいかん。授業中だって貴重な勉強時間だ、笹井さんのことは忘れて勉強しよう。勉強する気がみなぎってきたぞ。うぉー!

 でも今日は授業ないし、勉強道具をもってきていなかった。帰ってからだな、帰ったら勉強しよう。

 3学期初日はこれで解散、僕は帰って勉強だ。


 翌日から授業ははじまり、体育はマラソンになった。2月になってマラソン大会が終わるまでずっとこの調子かと思うと、嫌になる。僕は運動が嫌いなんだ、健康に悪い。週に何度も走らされたのではたまらない。寒いしキツいし、意味がない。このところずっと体がボロボロの状態だ。

 よく数学を勉強しても役に立たないという。たしかに工場の労働者に数学は贅沢品かもしれない。工場労働者でなくても数学を仕事で役立たせるひとは少ないだろう。

 僕にとってはマラソンは役に立たない。長い距離を走る必要はきっと一生ない。学校の授業でマラソンはなくてよいのでは? マラソンしなくて済むように文明は発達してきたのだろうに。走っていたら世の中なにもよくならない。

 数学は文明を発達させるために必要なのに、役に立たないと言われる。なぜもっとマラソンが役立たないことを主張しない。そんなだから数学が役に立たないという人たちの説得力が皆無なのだ。そんなこともわからないアホだということだな。自分が勉強したくないだけだろ。

 ということで、マラソンやめてもいいな。

「渡辺! 止まるな。走りはじめたばかりだろ」

 そりゃあ、体育教師はマラソンが好きだろう、メシの種だものな。学校の授業で体育やらないことになったらクビだ。ほかの仕事もできるとは思えない。ということはホームレスにでもなるしかない。あわれな生き物だ。そこまでではないか。

 女子もマラソンをやっている。男子はグラウンドをグルグル回るけれど、女子は学校の外を走っている。次の授業では男女の走る場所が入れ替わる。一緒に走らせてくれたらやる気もかなり変わると思うんだが。笹井さんがとなりにいてくれたら走る足も軽いというもの。

 とはいえ、意外なことに笹井さんはマラソンが得意らしいからな、僕なんてすぐにおいて行かれてしまう。幼児体型だから走るのに有利って言いたいわけではない。亜衣さんだってマラソン得意って言っていたしな。亜衣さんは、アスリート体型なわけだが。体はすこし重そうだけど筋肉でカバーしているんだろう。亜衣さんは筋肉バカと言っていい。

 ぐはあ、あと1周か。横腹がいたい。たぶん腸捻転、入院が必要だ。リタイアさせてくれ。

 女子たちが外を走ってもどりはじめている。校庭にはいってきたところでゴールなのだ。でも、笹井さんがいないみたい。いや、今校庭にはいってきた。どうしたんだろ、笹井さんの自信が本当なら先頭あたりでゴールしてよさそうに思ったんだが。体調が悪かったかな。

 ひとの心配をしている場合ではない。足重いし、腹痛いし、寒いし、もう入院でいいからベッドに寝かせてくれ。また肋骨折ってやろうか。いや、また角野さんに会いたくはない。あのデリカシーのないおばさん。思い出したら笑い声が聞こえてきそうになってきた。

 たはぁ。ゴールした。もうダメ。立っていられん。地面に倒れ込む。

「渡辺、もうすこし体力つけたほうがいいぞ。そんな体力では長生きできないからな」

 くっ、僕は運動しない主義なんだ。体力があったら長生きするってんならスポーツ選手ばかりが長生きして、年寄りはみんなムキムキってことになるはずじゃないか。間違った知識を中学生に教えようとするな。


 放課後、日直の仕事をしていつもよりすこし遅れて下校になってしまった。時間を無駄にした。

 あとすこしで家につく。体が痛くて下校するのもひと苦労だ。体育なんてロクなものではないな。

 前方で道路に人が寝ている。あれって、僕の家の前じゃないか。うつぶせだが、同じ中学の女子だとわかる。こんな寒い日に道路に寝転んだら体温奪われて凍死するんじゃないか。もしかしてもう手遅れ? 僕の家の前で死ぬなよな。

 倒れている人にちかづいた。やっぱり僕の家の前だった。これって笹井さんじゃないか?

「笹井さん?」

 子供がすっ転んだみたいにバンザイの格好で倒れている。脇のところに手を差し込んで抱き起す。やっぱり笹井さんだ。

「笹井さん、どうした。大丈夫か?」

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