第44話 笹井さんは、よろこんだ

 深町秋生サイン会の整理券をゲットし、頃合いということでお昼の食事をとることになった。もちろん、笹井さんチョイスの店にはいったわけだが。予想どおりヘンテコな店に連れてこられた。

 まず店にはいり席に案内されると前掛けを強制される。服がよごれないようにするやつだ。無駄にカラーリングされていて、囚人服みたいになっている。

 テーブルは鉄くさそうな赤錆びた色をしている。実際はそんな模様をプリントした普通のテーブルなんだが。

 さらに余計なことに、手枷足枷が設置されていて壁に鎖でつながっている。こちらは本物というか、金属で作られている。実際に手枷をつけて食事もできる。誰がするか。手が使えないから顔を皿に突っ込むことになり、前掛けが活躍するというわけ。

 メニューを広げると、血みどろパスタだの、このブタ! 断頭台の露と消えろだの、奇抜すぎるネーミングセンスがひしめき合っている。しかもどんな料理なのか説明が一切ない。これは賭けだな。

 僕は、豚ミンチの血の池地獄にした。なぜなら食材が明快だからだ。笹井さんが注文したイカルスの墜落死体炎上とか、なにを食わされるのかわかったものではない。墜落して死んだ上に炎上してるって、太陽の熱で? イカルスって人だよな、人肉を食材になんてしてないだろうな。はいった客より出て行った客の方が少ない店とか言うなよ。そんなことを思ってしまう。

 で、料理をもってきた店員が、頭に袋をかぶって血走った目だけギョロっと穴からのぞいているといういでたち。理由はわからないが上半身はエプロンをしているだけだ。世界一見たくない裸エプロン。中の人間といっていいのかわからんけれど、筋肉がゴツい。この店のオーナー頭おかしいだろ、絶対。

 僕のところにやってきたのはハンバーグのトマトソース煮込みだった。笹井さんのは骨付きチキンのオーブン焼き、炎は出ていない。料理だけはまともでちょっぴり安心した。

「渡辺くん、枷はつけないの?」

「僕になにを期待してるの?」

「手が使えなければ、食べさせてあげないとって思ったんだけど」

 それはいい、手枷でも足枷でもつけてくれ! 早まるな、僕。この店を選んだ笹井さんに運命をゆだねていいわけがない。そうだな。

「今日はいいかな。つぎくることがあったら、考えてもいいかも」

 うん、うまく濁せた。

「じゃあ、わたしがつけるね」

「えっ」

 手枷を僕に差し出している。僕が笹井さんに手枷をはめるの? そして骨付きチキンを食べさせるの? ごくり。なんという背徳感。ぞくぞくしちゃう。僕は変態か。

 覚悟を決めて両手を差し出した。

「僕がはめるよ。笹井さんが食べさせて」

 笹井さんの顔が今日一番の輝きをはなった。やっぱりやめておけばよかったか。後悔は光の速さでやってくる。

 まともと思った料理は、激辛だった。トマトソースの赤さにダマされた。たぶん唐辛子系の辛いやつが大量にはいっていたにちがいない。辛さに苦しむ僕の口に、笹井さんはよろこんでハンバーグをソースまみれにして押し込んだ。ぎゃー! 辛いし、まだあっつい! ふーふーは? ふーふーして食べさせてくれ!


 女の子と一緒にいるとひどい目にあうという運命を呪いながら、まったくもってひどい店を出た。

 胃がおかしくなったぞ。口はやけどと辛さで、これまたひどいことになっているし。さんざんだよ、まったく。これも笹井さんとデートするために支払わなくてはならない代償なのだな。得なのか損なのか、わかったものではない。

 ちなみに、笹井さんが食べたチキンも激辛だったらしい。なのに平気な顔で食べていた笹井さんは、やっぱり悪魔かも。

「チキンの脂も、さっぱりした辛さで包まれて気にならなかった。おいしかったね」

「そ、そうだね」

 僕は胃をさすりながら、どうにか賛意を示した。気持ちはまったく賛成していないんだが。笹井さんが楽しんでくれたなら、僕は本望だよ。がくっ。

 ジュンク堂へもどり、読んだことはなかったけれど名前は見たことあった深町秋生のデビュー作の文庫本を買ってサインをもらった。うれしい。僕はミーハーだ。ついでにミステリーの棚を冷やかして、笹井さんときゃっきゃうふふした。

 店を出たところで笹井さんが立ち止まり、腕時計で時間を確認する。そんな仕草もキュート。抱き締めたい。

「渡辺くん?」

「ああっ、ごめんなさい」

「なにが? 大丈夫だよ、わるいことなにもしてないよ」

 そ、そうだった。つい思考を読まれているような気持になっていた。そんなわけないな。思考を読まれるなんて妄想を抱く僕は、精神に異常をきたしているのかもしれない。これも恋のせいなのか? たぶんちがうな。三原さんを殺したことと、笹井さんに疑われていること、なのに笹井さんのことがどんどん好きになっていることが、僕の中で渦を巻いて精神を蝕んでいるのにちがいない。恋は地獄。

「どこかで休憩しようか」

 え? 僕たちにはまだ早いんじゃない? 心の準備だってできてないし。

 笹井さんはきょろきょろしはじめた。そうだな、休憩ってすわってお茶を飲むって意味だな。なにを勘違いしているんだ、僕は。となると、先手を打たなければまたひどい目にあう。

「ドトールがいいな」

「好きなの?」

「大好き!」

 笹井さんが。じゃなかった、ドトールのココアが好きなんだった。甘くてコクがあって、クリームがココアを覆っているんだ。

 僕の希望どおりドトールにやってきて、ココアをすすったら地獄の様相を呈していた胃もどうにか平穏を取り戻せそうになった。甘い、ミルキー。傷ついた胃をやさしい天使がいたわってくれる。そんな感じ。

「今日は楽しかったね」

「うん、深須輝夫の謎を自力で解くことはできなかったけど」

「それは言わないで」

 おっと、笹井さんのドジ話を蒸し返してしまった。

「でも、渡辺くんいつもよりいっぱいしゃべってくれるから、楽しいんだなってわかったよ」

 そうかな、そんなにしゃべっている自覚はないんだが。思考が駄々漏れだったとか。笹井さんと一緒にいてテンションが爆上がりだったせいか。

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