第43話 謎の人物、深須輝夫の正体

 謎の人物、深須輝夫。たぶんミステルオと読むのだろうな。サイン会だし、名前からしてもミステリー作家なのだろう。笹井さんが興味をもっているしな。ネットで検索してみたけれど、それらしき情報は出てこなかった。おかしいだろ、ミステリー作家で小説の情報も出てこないなんて。

 実はわたしでしたー、はいサインしてあげるねと言って僕の手の平に笹井さんが深須輝夫と書くというのが深須輝夫サイン会のオチなのでは。笹井さんにそんな恥ずかしい芸当ができるとも思えないし、なぜ罰ゲームみたいなことをしなければいけないのかもわからん。

 これは僕への挑戦だな。謎は解いて見せる、じっちゃんの名に賭けて。僕のじっちゃんは自動車メーカーの工場で働いていたけどな。

 日曜日が楽しみになってきたぜ。


 その日曜日、駅で待ち合わせとなった。家が近いんだし通り道だから迎えに行ってもよかったんだが、笹井さんに従ってしまう僕。恋の奴隷だな。

 あ、笹井さんだ。駅の屋根の下で笹井さんを出迎える。薄暗い場所から光差す屋外の笹井さんを見るせいだと思うんだが、客観的に見ても輝いている。ピンクとも紫ともつかない微妙な色のジャケット、中はパーカーでスポーティー、紺のミニスカートに素足。

 全体的に見て、お世辞抜きに言って、寒くない? 12月も年末が近いんだが。今はぽかぽか陽気と言っていいくらいだけれど、日陰はひんやりだし、日が落ちたら寒くなること請け合い。

 まさか、僕にクリスマスプレゼントとしてコートを買わせようなんて魂胆、ではないな。そんなアバズレなことは考えないだろう。そうか、バッグにはいっているんだな。目の前にやってきた笹井さんは、背中に小さなリュックをさげていた。手にもっても軽々だろ、背負う意味ある? なリュックだった。服は、4次元ポケットでもないんだし、はいっていそうもない。

「どうしたの?」

「い、いや、なんでもない」

「わたしのかわいさに見惚れちゃった? なんちゃって」

 うん! 笹井さんのかわいさに見惚れた。最終的には僕が抱き締めてあたためてあげればいいか。そんなわけはない。

「行こうか」

 笹井さんは僕の袖の肘のあたりをつかんで引っ張る。なんだこの彼女みたいな生き物は。いや、もう彼女だろ、これ。うん、そうだな。

 この前は喫茶店デートしたし、あれはデートだったと言えなくもない、今日は謎解きサイン会だ、しかもクリスマス・イブ、これはもう付き合っていると言って過言ではないのだ。


 僕たちは、付き合っているんだからこの言い方でもいいだろ? 池袋にやってきた。東京の! 遠かった。たしかにサイン会といったら人の多い東京でやることがほとんどだろうけど。

 うかつだった、どこでやるサイン会なのか聞いていなかった。かってに3駅行ったとなり町、先週のショッピングセンターを思い浮かべていた。

 笹井さん、わざとだろ。サプライズ成功とでも思っているに違いない。

「着いたねえ、池袋。まさか池袋にくることになるとは」

「おどろいた? てへ」

 僕の彼女だからな、そのくらいはするな。うん、どんどこい。

 地下迷宮みたいな、そのわりに人がひしめいて歩きまわっていて東京って怖い、な駅を出て、すぐ目の前のトラックでも横断するのってくらい大きな横断歩道を渡る。渡りはじめで信号が点滅しだし、急いで渡る人もいればノンビリした人もいて、逆にわたってくる人もいたりして、危険を感じるし笹井さんとはぐれてしまう心配があった。

「笹井さん、行こっ」

 僕は笹井さんの手を取って早足になった。人のあいだを縫って横断歩道を渡る。振り向いたら、笹井さんが笑っていた。よかった、楽しそう。

 ぶべっ。

 ひとにぶつかってしまった。顔をぶつけたぞ。でも誰にぶつかったのかわからない。人が多いし、みんなが動き回っている。東京は怖いところだ。

 横断歩道を渡り切り、もう大丈夫と言って笹井さんの手を解放した。またね、笹井さんの素敵な手。

 高い建物の足元の狭い歩道をゆく。狭いのに人がゆきかう。もう歩き疲れたぞ。地元では移動はほとんど自転車だ。学校に行くときぐらいだ、歩きなのは。自転車が楽でいいな。


 やってきたのは、ジュンク堂池袋本店。本屋が大きなビルだ。マジか、地獄のように最高だな。

 サイン会は午後で、整理券をもらう必要がある。あれ? 本当にサイン会はあるのか? 謎の人物、深須輝夫は実在する? まだ謎は解けていないんだが。

「あの、笹井さん。深須輝夫って知らない作家なんだけど」

「ミステルオ? わたしも知らないよ、そんな人」

 やっぱり実在しないんでは。となると、誰がサインをするんだ? 知らない人のサインをもらいにきたってわけ? わざわざ池袋まで大冒険して。

「深町秋生のまちがいかな」

「深町秋生? でも、笹井さんからきたメッセージは深須輝夫って」

 スマホを確認する笹井さん。うつむいて、顔があがらない。

「ご、ごめん。ひどい打ちまちがいして」

 立っているのがツラいみたいに、僕の袖につかまってきた。かわいい。型を取って等身大フィギュアにしたいくらい。抱きしめてもいい? いいわけないか。

 笹井さんがひどいドジっ子であることを僕は忘れていた。答えはすぐ目の前にあったというのに。笹井さんに完敗だ。勝負してないか。

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