第41話 僕は殺されたくない
僕と笹井さんは揃って色つきリップを買い、店を出た。いい買い物をした。笹井さんに会えたしな。
「じゃあ」
「渡辺くん、ひま?」
「うん?」
師匠が走るってのに、弟子が暇なわけがある? 誰の弟子だよ。ということは、暇だな。
だが、暇人だと思われているのは心外である。僕には人生が3回くらい必要なほどやることがある。ということは断然忙しい。
「予定はないかな」
僕は軟弱ものだ。暇なら暇、忙しいなら忙しいと答えろよ。なんだよ、かなって。しかも、暇って言ってるぞ。僕の意思を無視して変なこと言うんじゃない、僕の口。
「電車に乗る前に、近くのお店でコーヒーどうかな」
素晴らしいアイデア。偶然の遭遇に乾杯! いや、マズイことになりそうな予感がゴゴゴゴと迫ってきているのを感じるぞ。まっすぐ帰って甘いココアを飲むのが正解だ。逃げろ、僕。
「そうだね、せっかくだからコーヒー飲んで帰ろうか」
なにを言っている。一緒に帰る風なことを言うんじゃない。笹井さんに乗せられているぞ。だいたい、コーヒーなんて好きじゃないだろ。
「地獄みたいに熱いコーヒーが飲みたいな」
「犀川先生だね」
犀川先生は森博嗣の探偵役だ。ミステリーネタを拾ってくれる笹井さん、好き。
笹井さんはショッピングセンターを出てしまう。コーヒーって、外の店だったのか。あるよ? スタバとか、コメダとか、ショッピングセンターに。わざわざほかのところいかなくても。
笹井さんについて行くと狭い道に入り込んで、さびれた雰囲気になってきた。こんなところにコーヒー屋があるかな。喫茶店はなぜこんなところにという場所にあったりもするけれど。
バイクの整備工場らしきショボい工場の先に、場違いな石壁の建物が見えた。ドアの横、灰色の石壁に金属のプレートがはめ込まれていて、喫茶店の名前が書いてあった。見なかったことにする。
笹井さんが重いドアを引き開ける。ぎぃと軋み音がした。音からして不気味だ。
暗がりに顔色の死んでいるオールバックの痩せこけたウエイター姿の男があらわれて、2名ですかと聞き、笹井さんがはいと答えた。そこは恥ずかしがらなくてもよいのでは。どんなふたり組だってコーヒー飲みに喫茶店にはいっておかしくない。
歩くたびにキシキシと音のする床板を踏みしめて進む。案内されたのはボックス席というのか、席の仕切りがそのままソファの背もたれになっているタイプ。
すわって荷物も横に置く。テーブルの端にドクロのオブジェがしつらえてある。なんつう趣味だ。口を開けていて、気になって中をのぞいたら店員を呼ぶためのボタンがあった。ドクロいる?
外から見たとき石壁に窓がないと思ったとおり、窓はない。照明はランプだ。暗い。床と同じに壁も板張りで、額にはいった絵がかけてある。ペン画というのか、色はついていない。骸骨の騎士が上半身の服が破られた肉付きのよい女を大剣で刺し貫こうとしているところだ、画面の端では胸を貫かれた女が後ろ向きに倒れかけている。こちらは上も下も服が破れていて、切れ端が体にひっかかっているといった具合だ。剣は画面の外から突き出ていて人物は見えない。
笹井さんのチョイスは独特なものがあるな。中学生の女の子がはいらないだろ、この店。
おわっ! 気配なくさっきの店員が立っていて、お盆から水のグラスを僕の前のテーブルにおくところだった。
「ブラジルください」
笹井さんはきたことがあって、メニューを見なくても注文ができるらしい。僕はドクロの横に立っているT型のメニューのプレートを目の前にもってきて眺める。これだっ!
「ストロングブレンドで」
「渡辺くん、苦いの好きなんだ」
「酸っぱいのは嫌ってだけだけどね」
本当は、なんか強そうという名前だけで選んだ。苦いのだな、ストロング。苦くたって、水を飲んで口の中で薄めれば大丈夫だろ。
「かわった雰囲気の店だね」
ソファの座面を撫でる。暗くてもはっきりとわかる赤、しっとりなめらかな肌触り。スウェードかな。
「こういうお店増えてほしい」
笹井さんには残念だが、増えないだろ。スタバやコメダのほうがはいりやすいものな。庶民はこれをもとめていない。笹井さん、よくこの店見つけたな。ネットで検索したのかな、どういうキーワードでこの店が出てくるのかまったくわからんけど。
月明かりのもとでは笹井さんのかわいさが表現されないと思ったけれど、ランプの明りでは、なんだか妖しい魅力を発揮していないか? インチキ占い師みたい。ほめてないか。わかった、蔵にしまわれている人形を箱から出したら笹井さんだな。
死人のような店員がコーヒーをはこんできた。笹井さんが砂糖もミルクも入れずに飲むから、僕も通ぶってひと口飲んでみる。全身に衝撃が走る。なんじゃこりゃ。苦いとか苦くないとかのレベルではない。味を感じる前に衝撃がくる。それに熱い。森博嗣の犀川先生が飲むのはこんな飲み物なのだな。大人になるまで飲まなくてよさそうだ。
笹井さんの口がニヤリと笑った。僕が背伸びしてコーヒーを飲んだのがおかしかったのかな。
「渡辺くんの理想の殺され方ってどんなの?」
僕は殺されたくないんだが?
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