第39話 亜衣さんは僕が好き

 亜衣さんは僕の話を聞いて黙ってしまった。ヤバい。なにを考えているんだろ。僕を殺す算段をしているんじゃないだろうな。体をくねくねして移動できないものだろうか。

 ぐわっ、痛え。

 ジャージのズボンがすりむいた足をこすりあげることになって、体を動かすのは無理だった。なんという拷問。殺されそうというのに、身動きが取れない。恐怖にじっと耐えないといけないのか。助けよ、早くきてくれ。

 亜衣さんが立ち上がった。いよいよ、手ごろな石を探しはじめたか。

「ぎゃー!」

 亜衣さんが急激な動きを見せて僕に襲いかかってきたものだから悲鳴がでてしまった。だがおかしい、まだ生きている。いや、激痛がきているんだけど、激痛を感じるということはまだ生きているということ。痛いのは胸まわりだ。肋骨だ。また折れていたのか。

「亜衣さん?」

「ご、ごめん。痛かった?」

 亜衣さんはどうやら僕に抱きついてきたみたいだ。悲鳴で僕の状態にやっと気づいたのか。すぐに離れてくれた。

「肋骨、また折れたみたい」

 片言の日本語みたいになってしまった。仕方ない、腹に力を入れると胸の痛みに響くんだから。

「ありがと。わたなべに話して、わたなべに叱られたら、なんかスッキリした」

 僕はスッキリなんかしちゃイカンと言ったつもりなんだが。本当にひとの話を聞かないな、亜衣さんは。

「他人はボクにつぐなわせることも、ボクを許すこともできないんだね。自分で自分の生き方を決めないといけないんだ。人殺しとしての生き方をね」

 人殺しとしての生き方と言ったら物騒だろ。これからも殺しまくるぜみたいに聞こえるぞ。ともかく目の前の僕を殺すのだけはやめてもらいたい。


 恐怖の時間は長い拷問である。長いお別れだったらハードボイルドなんだが。鹿島が先生たちと一緒に崖下にあらわれたときには、神経が消耗しきっていた。腰に枕をかってお尻を浮かせ、膝を曲げて担架に乗せられたことも、林間学校から救急車で運ばれたことも、意識がぼうっとして夢の中の出来事みたいだった。病院についたら麻酔で眠ってしまったから、そこからの記憶がないのも仕方ない。

 病院のベッドで目覚めた。今度は朝になって目が覚めるように麻酔がうまくいったようだ。病室は明るかった。

 目が覚めたら笹井さんがいるのが物語だけれど、現実はちがう。亜衣さんが僕を見おろしていた。恐怖である。首を絞められるのかと思った。すぐにイスに腰かけて、僕との距離ができた。脅かすのはやめてもらいたい。

「ボクたちが人殺しだってことは、みんなに内緒ね。これからも仲良くしよ」

 僕を人殺し認定するのはやめてもらいたい。肯定したことなんてないからな。否定もしていないかもしれないけれど。僕は嘘をつけないのかな。そんなことないよな。

 僕は亜衣さんと仲良くするつもりはないぞ。今までだって仲良くなんてなかっただろ。人の意見を聞かずにかってに決めてしまうんだからな、亜衣さんは。


 林間学校近くの病院から、地元の病院に救急車で運ばれて転院となった。予想どおり、看護師は角野さんだ。

「あはは、まあた肋骨折って戻ってきたんだって? しかも下半身にひどい擦過傷まで作って。大冒険ねえ」

 笑いごとではない。もどってきたわけじゃないしな。また病院にきただけだ。メイド喫茶じゃないんだから、お帰りなさいませご主人さまじゃないぞ。

「しかも、この前とちがう彼女だし。やるねえ」

 ちっともやらねえ。亜衣さんは彼女ではない。亜衣さんだけじゃないけどな。笹井さんだって、僕を疑っているだけで付き合ってないんだ。付き合いたいなんて思ってないぞ。

 亜衣さんになつかれてしまったらしく、転院初日から見舞にきていた。

「あっ」

 声がして注意を向けると、笹井さんが部屋をはいったところで立ち止まっていた。

「あら、前の彼女」

 ちがうってのに。前もあともない。本人に向かって変なこと言うな。

「修羅場に出くわしたのははじめだわあ。こういうときはごゆっくりと言って出て行くのがマナーってものね」

 そんな解説のあと、本当にごゆっくりと言って笹井さんとすれちがい、角野さんは病室を出て行った。どうなる、僕の運命!

 どうもならんな、ただのクラスメイトだ。笹井さんも亜衣さんも、僕のことが好きってわけではない。修羅場でもなんでもない。同じグループで僕が大けがをしたから見舞にきただけだ。となると、伊吉さんはなぜ笹井さんと一緒にこない? 部活だからかな。納得。

 タイミングの悪いことに、母さんとココノまでやってきてもうごちゃごちゃ。母さんもどっちが彼女かみたいな顔をしているし。僕の母さんだけはあって、表情に出過ぎている。僕もああなのだな。これまた納得。

「お兄ちゃん、本もってきたよ」

 ココノが小さな手に本を抱えていた。抱えていたと言っても何冊ももっているわけではない。京極夏彦「鵺の碑」1冊だ。子供が抱えて持つほどぶ厚いからな。

「まだ読んでる途中だったでしょ」

「ありがとうな」

 肋骨が折れているときに読むのは骨が折れる本をもってきてくれた。泣ける。

「じゃあ、わたしたちはこれで」

「ココノちゃんバイバイ」

「お兄ちゃんバイバイ」

「お兄ちゃん?」

 亜衣さんのこと、男だと思ったらしい。ぷふふ、面白い。でかしたぞ、ココノ。

「お兄ちゃんかぁ。将来お姉ちゃんになるかもしれないけどね」

「?」

 はあ? なにを。

「ボク、わたなべのこと好きになったみたい」

 耳元にささやいてきた。嘘だろ? どこにそんな要素が? あれかストックホルム症候群か。僕のこと殺人仲間とでも思っているのか。いや、ストックホルム症候群はそんな内容ではないな。落ち着け、思考力が落ちているぞ。あっちだ、つり橋効果。崖から一緒に落ちたからな。

 そんな分析はどうでもよかった。僕は女の子と一緒にいるとひどい目にあうんだ。好きになられても困る。

 なんてモテ男なことを考えているだ。僕は。罰があたるぞ。

 いかん、笹井さんに気づかれていないよな。気づかれていないはずなのに、なぜかほっぺをふくらませている。いや、なんで僕は笹井さんを気にしているんだ? ああ、もうダメだ。寝る!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る