第36話 亜衣さんは墜ちる
亜衣さんは、僕が三原さんを殺したことを知っていたみたいだ。いや、そんなわけはない。だって、亜衣さんが転校してきたのは夏休み明けだ。三原さんに会ったことだってないはずだし、僕が三原さんを殺したことを知るなんて機会はなかったはずだ。
「ボクにはわかるんだ、ボクも人殺しだからね」
えっ?
亜衣さんはそんな怖い人だったの? 僕って今殺されそうなのか?
「それだけ。だからってなんでもないんだけどね。ふたりだけの秘密だよ」
亜衣さんはポカリのボトルのキャップのところをつかんで立ち上がり、廊下を進みはじめた。
僕を殺そうってわけではなかったようだ。命拾いしたぜ。亜衣さんは秘密が好きなのか? ふたりの秘密がほしくて、ふたりして人殺しってことにしたかっただけ? 亜衣さんは人を殺していないし、僕の犯罪も知ってはいない? そうゆうことか? わからん。僕には女の子の気持ちがわからない。いやいや、こういうシチュエーションで言うべきセリフではないな。もっとロマンチックな場面だろ。
亜衣さんの謎のせいで夜も眠れなくなってしまった。気づいたら朝だったけど。これはさっきもやった流れだ。ギャグは3回繰り返せと言うしな。
今朝は昨日の暴風雨が嘘だったとしか思えないくらいの晴れ具合だ。これってハイキングさせられる流れでは。
嫌な予感を噛みしめながら朝食を食べていると、やっぱり先生からお知らせがあって、食事のあと準備をして玄関の外に集合と言われてしまった。僕は歩きたくなんてないのに。
人類はきっとそのうち歩かなくてよくなるはず。デバイスの翻訳機能が発達して英語を無理して勉強しなくて済むようになるのと同じだな。まだそんな世界は僕を迎えにきてくれていないけれど。いつだ。僕は待っているぞ。
レクリエーションとしてのハイキングは、ゲーム形式になっている。地図が配られ、いくつかポイントのシルシがつけられている。ポイントに行ってスタンプを押すとポイントごとに点がはいるのだが、事前に何点もらえるかはわからず、行ってからのお楽しみなのだとか。なんも楽しくねえ。こんな子供だましでよろこぶのは小学生くらいのものだ。
「よおし、優勝するぞ!」
「当然! 優勝あるのみさ」
いた、小学生が。鹿島だ。それに亜衣さんもか。
「優勝はまかせた」
「ダメだよ、俺達全員で勝ち取ることに意義があるんだから」
僕を巻き込むな。
「思い出に、みんなで優勝したいね」
笹井さんの記憶に一生刻まれることになるのか、僕の名が! 優勝あるのみだな。三原さんを殺したやつとして刻まれることは避けたく思う。
「こういうのはさ、一番遠いところに高得点のポイントがあるもんなんだよな」
「いや、裏をかいてちがうかもしれないぞ」
「裏をかくような先生たちじゃないだろ」
先生たちの顔をチェック。うん、たしかに。なんだかボンヤリした顔ばかりだ。いや、外見にまどわされてはダメだ。実は腹黒かもしれない。
「こことここが近いから、こういうルートで行ったらいいと思う」
さすが笹井さん、一生懸命勉強しているだけはある。効率的に高得点を目指すんだな、それで行こう。
「でも、こっちに池みたいのあるよ。見たくない?」
亜衣さんは余計なこと言うな。優勝を目指すと言っていたのはどうした。
「その池ね、キレイなんだって。たぶん先輩が言ってたやつだよ」
伊吉さんまで。真面目にやってくれ、優勝するために。
「水浴びしてもいいね」
森山は死んでろ。クラスの女子にアニメの水着回を期待するな。キャッキャウフフじゃない。
「どう? 会長」
笹井さん、頼みます。
「池も行ってみたいかな。渡辺くんと鹿島くんもいい?」
「もちろん」
イエッサー!
「優勝は譲れないけどね」
鹿島、勝ちにこだわるな。結果より過程を楽しめ。
まとまりもなにもあったものではない僕たちのグループはレクリエーションをスタートした。
「わたなべ、おそーい。おいていくよー」
そうしてくれ、僕はゴール手前で待ってるから。さっそく体力の限界を迎えて、もう歩けない。疲れたし、暑い。今をいつだと思っているんだ、夏みたいに暑いぞ。異常気象だな。大人たちが地球から搾取しすぎたせいだ。人間の欲望は限度というものを知らない。
「大丈夫? マイペースでいいからね」
うん、マイスイートエンジェル。デビル亜衣さんの言葉には惑わされないぞ。みんなは先に行って池で遊んでいてくれ。僕は池になんて興味ないから。
池が近づくと暗い針葉樹の林の切れ間が見えてきた。トンネルの先に出口が見えてきたみたいだ。林から出て池になる。上から日光が差し込んで池のまわりは別世界だ。
清らかな水をたたえた池でたわむれる若人たち。ジャージ姿で、ダッセェな。妖精のようにはいかない。上はTシャツ、下はジャージの裾を折り上げている。膝の下まで水に浸かってキャッキャとやっている。
昨日の雨の影響はすでに落ち着いたのだろうな、池の水は澄んでいる。
水遊びに満足した子供たちは正規ルートに復帰した。
「あ、かわいい。リスだよ」
「リスくらいいるだろ、そりゃ。あ、追いかけて行くな、時間ロスするだろ」
「わたなべ遅いんだから大丈夫、すぐ追いつくよ」
自由すぎる亜衣さんが林にはいって行ったところまできた。キノコだ、なんて言って下ばかり見てどんどん林の奥に行ってしまう。帰り道がわからなくなるパターンだ。
「亜衣さん、はぐれて遭難するぞ」
僕はあとがわかるように下草を踏みしめたり草をちぎったりしながら亜衣さんを追って林にはいった。余計な手間をかけさせるな。
「亜衣さん。どこいった?」
目を離したすきに姿が見えなくなった。落とし穴にでもはまったかな。だったら上からすこしイヂメてやるか。
「呼んだ?」
亜衣さんはしゃがみこんでいて僕から見えなくなっていただけだ。立ち上がったら近くにいることがわかった。でも、背後が明るくて、林が切れているっぽい。そのまま、アホの子みたいにドングリ! なんて言って進んだら、先が崖になっていて落ちるに決まっている。
「亜衣さん、ストップ!」
取っ捕まえてしまえば安心、僕は手を伸ばした。
「あ、リスここにいた」
僕に背を見せる。そっちは明るくて林が切れているってのに。
「おっと」
亜衣さんが大勢を崩した。足元の地面にヒビがはいって、ゆっくり地面と一緒に、こっちを振りむきながら亜衣さんが沈んでゆく。
僕が伸ばした手は、亜衣さんにしっかり掴まれて。
「え?」
「ウソ、助けてくれるんじゃないの?」
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