第35話 亜衣さんは迫る

 笹井さんと伊吉さんに合流できたのだけれど、笹井さんはむくれていた。カカシ殺人事件に出くわすチャンスを失って悔しかったのかな。その話をする前からほっぺをふくらませていたようにも思うけれど。かわいかった。そんなことはどうでもいいな。

 シャワーを浴びて、明日のためのジャージに着替えた。さっぱりしたところで夕食の時間になったらしい。早い。こういう施設の食事って必ず早すぎるんだよな。片づけをして帰る職員にやさしい職場なんだろうが、利用者には不便だ。部屋で遊びながら菓子を食っていたものたちは食欲なさそうに食事を口に運んでいた。僕はあの死んでしまったカカシたちが守った野菜をおいしくいただいた。

 こんな秋も終わろうかというときにどんな野菜を作っていたのか知らないけど。大根とかほうれんそうとかかな。夕食の食材としてはいっていなかったみたいだが。野菜といつわって大麻を栽培していた容疑が浮上する。いや、ないな。


 食事のあと、本格的に風呂にはいってあたたまった。家の小さな風呂より快適である。家に大浴場が欲しいくらい。物置と化している和室をつぶして風呂にしたらいいのに。僕の貯金ではそんな工事はしてもらえないから諦めよう。

 2泊3日の林間学校2日目は暴風雨のせいで無駄にすごしてしまった。明日の3日目は、もし晴れたら今日の予定だったレクリエーションという名のハイキングを決行するらしい。3日目のグループ自由行動は2日目の予備として存在していたのだとか。グループ自由行動なんてどうでもいいけど。むしろないほうがうれしい。

 雨がつづいたら、明日の午前中もやることがないことに。昼食をとってバス移動だ。無為な林間学校だったということになる。僕はいいと思うけどな。なんでも目的、目標、計画、実行、成果と世知辛い世の中、林間学校くらい無駄になってもらいたい。


 雨よ降りつづけ、やまない雨はないなんて誰が決めた? なんて思いながら布団にはいったら、今夜は眠れそうにないと思ったのだけれど、それからあとの記憶はない。

 はっと気づいたら、みんな眠っていて、部屋は真っ暗だった。トイレにも行かずに布団にはいってしまい、いまはもよおしておる。お腹の下の方がしびれる。我慢し過ぎだ。よかった、我慢の限界の前に目が覚めて。この歳になって、しかも林間学校でもらしたら、一生の汚点だ。命拾いしたぜ。

 どこからくるのかわからない薄明りをたよりに、クラスメイトのもぐっている布団やら足やら手やらをよけながらドアにたどり着いた。廊下に出ると、非常灯がついていて、なんて明るいんだ、昼間のよう。と言ったら言い過ぎだが、明るく感じる。

 静かだ。雨がやんでいる。窓のガラスごしに眺めると、絵画のようにすべてが静止した世界が広がっていた。月光の薄く色のついた明りにほのかに照らされて、すぐ眼下のアスファルトの道路、奥の林、木々のあたまの連なったギザギザ、膜があるわけではないのにそこに存在して見える紫の空。

 おおっと、ぼけっとしていると膀胱が限界を迎えてしまう。冷たい廊下を進んでトイレに行った。

 出すものを出したら、下半身がじんじんとして全身があたたかくなった。ガマンはよくないな。

「長かったね」

「おわぁ!」

 誰かいると思わないから、急に話しかけられて魂の叫びが出てしまった。口から魂が飛び出したらどうしてくれる。

 声の主は亜衣さんだった。今日は昼間一緒に遊んでやったのに、夜のトイレタイムにまでずかずかとやってきてデリカシーってものがないのか。ないな、亜衣さんだものな。

「トイレの長さなんて、僕の勝手だ」

「雨あがったね」

「僕のおかげでな」

「はいはい」

 冗談を雑に流すな。こまかな冗談を拾いあげて一日を丁寧に生きてもらいたい。

「亜衣さんもトイレ? 行ってくれば? 待っててあげるから。長くても大丈夫だよ」

「変態」

 ひどい言われようだな。ひとりで深夜のトイレにはいるのが怖くて待っていたのだろうに。亜衣さんのトイレの時間をはかりたい変態と思われるなんて心外だ。

「ちょっと付き合ってよ」

「一緒にはいるのはマズいぞ」

「変態」

 今度はマジで冷たい目で見られた。ほかになにを付き合うっていうんだ。


 亜衣さんに連れられてきたのは、食堂横の狭いスペースで、自販機コーナーだった。大人の言う、一杯つきあえだったのか。

「こんなところあったんだな。部屋からくると食堂の奥だから気づかないよ」

「ボクも教えられて知ったんだけどね」

 亜衣さんがお金を出してくれて、僕はおしるこをチョイスした。深夜にほっこりだ。ゴチになります。

 もどるときの食堂の先にソファのあるくつろげる場所があって、そこで僕たちは缶を開けた。亜衣さんはポカリの蓋を開けたのだけれど。寒くないか? 亜衣さんの自由だけど。

 明日はこのまま天気よくなるのかねえとか、ボクのパエリアにカレーをかけた失礼極まりない行為は一生忘れないとか、カッパ着たおじさんがあらわれたときは一瞬恐怖を感じたとか、なんでもない話をした。僕はおしるこを飲み終えた。

「ごちそうさま、もどろうか」

「ボクはわたなべとこんな風にゆっくり話す機会を待っていたんだよ」

 おっと、なんの告白だい。そういえば、転校初日から一緒に帰ろうと誘ってきたな。

「わたなべ、三原さん殺したでしょ」

 はい?

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