第27話 三原さんは殺される

 三原さんはかわいいというより、綺麗ともちがうな、きらびやかさがあるわけではない、シンプルで形がよい、調和がとれている、そんな美しさがある。だからギリシャ彫刻の女神のようなんだ。

 これから成長してもっと磨きがかかるはずだ。なのに、病気のせいで逆に衰えてゆく。病気が三原さんからすべてを奪ってゆく。

 今が三原さんの人生のピークなんだ。ここで時間が止まれば病気の進行を止められる。でも、時間を止めることなんて誰にもできはしない。

 なら、三原さんの時間を止めるしかないじゃないか。


 そうだな、三原さんを殺す。


 僕の腕の中に三原さんがいる。三原さんは僕より大きくて、大人みたいで、堂々としている。でも今は僕の手の中のちいさな命だ。簡単に殺して命を消せる。僕の支配下にある。愛おしいものだ。自分のものは大切で、他人のものと比べようもない。守りたい、壊されたくない。病気に壊されてゆくと言うなら、自分で壊してしまった方がよい。


 三原さんを殺したい。


 僕は三原さんのことが好きではないんだな、本当に。こんなモノに対するみたいな考えは、好きな相手にしないだろう。どんな形であれ、すこしでも長く生きてほしいと思うものなんじゃないか。

 もし病気なんてなくて三原さんとあと何年か一緒に過ごしたら、僕の心が成長して恋をする準備ができ、三原さんを好きになっていたかもしれない。病気が僕の未来の彼女を奪うという可能性だ。


 三原さんを殺して病気から奪い返す。


 三原さんは僕の心が読めるのか。

 わたしを殺して

 そう言った。


 月は三原さんの言葉に応えて明かりを投げかけてきた。月に照らされた三原さんの体は、生きているようではなかった。色のない世界で肌は白く、冷たい。大理石の彫刻そのものだ。いっそう美しい。

 この美しさが失われるのを見たくない。そんなことになってほしくない。だから、殺す。三原さんも同じことを考えて殺してほしがっている。三原さんの目には死神が見えているのかもしれない。死神が三原さんの足に鎌をふりおろして動きを奪った。20年後に死ぬまで、すこしづつ死神は三原さんから奪うつもりなんだ。

 今僕が殺したら、今だけの美しさは僕のものだ。三原さんの命も体も僕のものだ。死神にはやらない。


「わかった、三原さんのこと殺すよ」

 三原さんは僕の反応を予想していなかったみたいだ。そうだな。殺してと言われて、じゃあ殺しますなんて言う奴はいない。ちがうんだ、僕はもう三原さんを殺したいと思っていた。殺そうと決めていた。三原さんの言葉は僕に許可を与えたに過ぎない。

 僕のものになれと言って、はいわたしはあなたのものですと答えた。そういうことだ。

 異常な形の告白だったかもしれない。僕は三原さんに恋していない、三原さんの気持ちがほしいんじゃない。命と体がほしいんだ。三原さんは僕に殺してほしい。僕たちはすでにお互いの気持ちを伝えあった。


 三原さんの背中から離れ、床にかがみこんで釣り道具の中から小型のナイフを選び出した。殺してほしい相手に大げさな道具はいらない。痛みを与えたくない。体へつける傷は最小限にしたい。首にある動脈を切るだけだ。深く切る必要はない、ちりっとした痛みくらいだろう。血が流れ出てしまえば、すぐに意識がなくなる。苦しむこともない。

 もう一度ソファの三原さんの背後にまわって、ナイフをもったまま抱き締める。

「ありがとう。渡辺に殺されるなんて、うれしいな」

「こちらこそ。僕は殺したくて、三原さんを殺すんだ。殺されてくれてありがとうだよ」

 キスをするより、セックスをするより、僕たちを深く結びつける行為だ。殺すものと殺されるもの、ふたりの絆は死ぬまで断ち切れない。

 僕の心臓は高鳴りっぱなしだ。こんなに興奮したことなんてないんじゃないか。心臓が頭の中に移動したみたいだ。

 犯すよりももっと絶対的だ。命を奪うんだから。


 もう終わるんだ、人生が。三原さんの人生は短かったけれど、終わりはすごく美しいものになる。衰えとも、悲しみとも、苦痛とも無縁だ。

 僕は三原さんの命を奪うと同時に、死を与える。死は安らぎだ。不安や恐怖からの解放だ。絶望からの守護だ。三原さんの時間は止まって、病気は消滅する。


 三原さんの上体を傾け、首の横が目の前にくるようにした。すこし肩を持ち上げ、ナイフをかまえる。皮膚が脈拍に合わせてちいさく動く。下で血管が脈打っている。生きている。三原さんは彫刻ではない。同時に病に犯されている。死がすべて解決してくれる。僕なら三原さんに死を与えられる。

「さっき海で沈んでたわたしを助けてくれたとき、キスしたでしょう」

「それを今言うか?」

「キスもしないで死んでゆくのと、キスをして死んでゆくのではぜんぜん違うからね。大事なところだよ」

「あれは人工呼吸だ。ノーカン」

「やっぱしたんだ。渡辺のファースト・キスいただき」

「ノーカンだ」

 まったく。なんだよ、せっかくの緊迫した雰囲気が台無しじゃないか。

「殺すよ」

「お願い」

 発光するように月の光を反射する白い皮膚を、下の血管もろともナイフが切り裂く。色のない世界で、血液は黒く、厳粛に吹き出し、三原さんの体を流れ落ちる。僕にも吹きかかって、穢れを浄化する。

 白と黒、昔の映画みたいだ。観るものは違和感を感じない。色がないほうが純粋な美しさが伝わるというもの。

 消えようとしている三原さんの命。窓から差し込む月の明かりに三原さんが透けてゆくみたいだ。光の粒になって天に昇って行きそうに思える。

「きれいだな」

「ありがとう」


 僕は三原さんを殺した。三原さんに死を与え、僕は三原さんの命と罪を得た。七夕の夜、地上では三原さんが殺人者と逢っていた。

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