第26話 三原さんは、してほしい
三原さんのおじいさんの小屋まで、どうにかたどりついた。ソファにすわらせることはできたけれど、どうも震えがとまらないらしい。
「ストーブつけるか? まだ灯油はあるみたいだし」
ストーブの灯油残量メモリを確認した。7月になっても灯油は残っている。
「ちがうの、これは」
震える足の膝を手で押さえるようにした。それでも震えはおさまらない。
「寒くないのか?」
僕は冷たい海にもぐって、今も寒いぞ。三原さんは首を横に振った。
「震えているのは、病気のせい。これは、痙攣なんだ」
痙攣というと、ぴくぴく動くやつか。頬がひきつるみたいな。よくわからんけど。
「治らない病気なの。そのうち死んじゃう」
「えっ」
そんな重大な病気にかかっていたのかよ、三原さん。病気とかそんなこと言ってなかっただろ。
「すぐじゃない。若いうちに病気が出た場合は、20年くらいは生きるみたい」
「20年って、30代ってことだろ」
人生100年時代なんて言ってるんだから、3分の1じゃないか。それはすぐと言っていいんじゃないか。それで、前に自分には楽しいことなんてないみたいなネガティブなことを言ったのか。
「でもまだ10代だろ。20代まるまるあるし、30代だってある。楽しいことも」
「ないよ。もう足が痙攣して歩けなくなったんだから。すぐに体が動かなくなる。しゃべることだって」
まじか。そんな状態で20年生きるってことなのか。なにもいいことないというのは、本当というほかない。
今日くるとき、はじめて家に迎えにこいと言ってきた。それで三原さんの家に迎えに行って自転車に二人乗りでここへ来たんだった。どうしてかと思っていたけれど、病気が進行してもう歩くのもじつは困難だったということか。
「すこし待ってろ、釣り道具とってくる」
小屋を出たところで歩けなくなった。足がすくむと言うやつか。力が入らない。急にあんな話を聞かされたんだからな、中学生の僕には荷が重いんだ。空は相変わらずの闇で、星がホコリみたいに貼り付いている。
ふわふわと不安定なものの上を歩いているような感覚、自分の足ではないみたいだ。それでも足は動いて前に進んでいる。
三原さんは、みんながうらやむくらい何でももっていると思っていた。外見に恵まれ、友達が多くて、欠点なんて僕には見つけられない。露出癖くらいだな。大きな欠点かもしれないけれど、僕しか知らないだろう。
でもちがった。三原さんには未来がなかった。いいことも悪いこともないような平凡な僕だって当たり前にあると思っている未来は、三原さんにとって絶望であり恐怖であり苦痛であり、その先に待っているのは死だけなんだ。
堤防の上の釣り道具は、美しいはずの星空をバックに僕に回収されるのを待ってたたずんでいる。なのになんだか寂しそうだ。釣り道具に気持ちはない。寂しそうだと思っている僕がいるだけだ。
三原さんが寂しそうだったんだ。そんな風に見えなかっただけで、気持ちは寂しかったんじゃないか。自分だけが、20年も苦しんで死んで行くんだから。
釣り道具を担ぐ。三原さんのためにできることは何でもしてやりたい。でもそのせいで僕が犠牲になるようなことは三原さんも望まないだろう。
急に深刻なことを考えすぎたみたいだ。足だけでなく視界まで揺れて、ふらふらと歩いている。これでは、僕のほうが病気みたいになっているぞ。しっかりしろ。
小屋にもどっても、三原さんはまだ震える足を止めようとしていた。僕は釣り道具を床におろした。
「三原さん、僕にしてほしいことはある?」
僕が戻ってきたことに今気づいたみたいな顔をした。
「もう戻らないかと思った」
「釣り道具を取りに行っただけだろ。置きっぱなしにはできないからな」
「してほしいこと、なんでもいいの?」
「言うのはタダだ」
「お願いは聞いてくれるわけじゃないの?」
「僕はまだ中学生で、背が小さくて成長が遅い、勉強は得意だけどな。できることはあまりないかもしれない」
そうだな、何ができるということもない。
「じゃあ、近くにきて」
ソファにいる三原さんのまえへ行く。三原さんは足に力が入らなくて苦労しながらお尻を前に移動させた。恥ずかしそうに見えた顔は、すぐに僕の胸に押しつけられて隠れた。肌が直接触れて、しかもなにかのためではなく、抱きつくために抱きついている。刺激が強すぎる。
三原さんがもとめていることなんだな。不安なんだろう。親にでも抱きつきたいところだけれど、もう子供ではないという意識もあって、他人のほうが甘えやすいってことかな。
考えごとをするにも限界があるぞ。こんなときになにを考えて気をまぎらわせたらいいんだ。僕だって三原さんに抱きつかれてよい感触があるわけで、気持ちよかったり、落ち着く気もしたりするんだが、場違いにもエロい気分にだってなろうというもの。
「つぎは後ろから」
欲張りさんだな、もうつぎの注文か。似たようなものだけど。
前に移動してできたソファの背もたれとのあいだに入り込み、股にはさむようにしてすわった状態で後ろから三原さんを抱きしめる。三原さんがもたれかかってきた。腕が三原さんの胸を下から支えるみたいになって、これはまたなかなかの破壊力だ。今は僕の顔のすぐ横に三原さんの顔がある。ほっぺがつきそう。
いま腕の中に感じる三原さんは健康的で、僕やほかの同級生と変わるところはなく、むしろ幸せに近いところにいるとしか思えない。でも本当は足が痙攣して力がはいらないし、すぐに体が動かなくなって、外見だって衰えるんだろう。くそっ、病気に奪われるんだ、三原さんを。僕のものってわけではないけれど。
三原さんが首をすこしまげて、こちらを向く。口が開いて。
「渡辺、わたしを殺して」
窓から月の光が差し込んできて、三原さんを斜めから照らし出した。造形美には壮絶なものがある。
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