第25話 三原さんは沈む

 7月7日、七夕の夜、いつもの年なら梅雨まっただ中で星なんて見えないのだが、今年はカラ梅雨というやつのおかげで、見事に晴れた夜空が広がっている。

 僕は水着で堤防に寝転んでいる。三原さんも、今日は海にはいらずにとなりで同じように横になって空を眺めている。全裸なのはいつもどおりだ。

「本当に、人間なんてちっぽけだよね」

「そうだな」

「何十年か生きても、いま死んでもちがいなんてないんだよね」

「宇宙なんて138億年も前からあるんだっていうからな。何十年なんてなきに等しいだろ」

「わたしなんて生きていても死んでも同じだね」

「宇宙にとってはな。家族や友達にとってはそうじゃないだろうけど」

「そうなの?」

「そうだろうなあ。ショックを受けるだろ。でも、誰かがショックを受けるということも、宇宙的規模からするとなんの意味もないわけだけど」

「そうだよね」

「なんだ?」

 僕はヘンなことを言ったか? 三原さんは急に確信を得たみたいな声にかわった。

「渡辺は宇宙が好きだね。よく寝っ転がって星を見ているし」

「そうかな。そうかもな」

 好き嫌いの対象だと思っていなかったけれど、言われてみると僕は宇宙が好きなのかもしれない。大きすぎて意識が遠くなりそうになるけど。

「じゃあ泳ごうか」

「え」

「なあに? 泳ぐために水着に着替えたんでしょ?」

「そうなんだが。まだ水冷たくないか?」

「5月よりぜんぜんあったかいよ」

「まあな」

「はじめてだね、うれしいな」

「なんで三原さんがうれしがるのか意味わからんけど」

 立ち上がると、三原さんが手をつかんできた。手を引かれてゆく。堤防の階段から海へおりる。海にはいるつもりではいたんだから、まちがいない。でもあまり気持ちのよいものではないな、この真っ黒い液体の中に身を沈めるというのは。それに。

「おおう、やっぱ冷たいな」

 思ったとおり、水は冷たい。波の中へ足を踏み入れると、冷たさが心臓にまであがってくる感じがする。僕の心臓はデリケートなんだぞ、あまり驚かせてくれるな。

「一気に飛び込んだ方がよかった?」

「それはカンベンしてくれ」

 下半身が水に浸かると、波の浮力がゆらいで気持ち悪い。じつは海にはいることが嫌いなのかもしれない。

 月はまだ出てきていない。星だけが光を僕に届けている。海は黒くて冷たく波打っていて、たっぷりの水は不気味だ。僕には三原さんだけが仲間と言っていい。となると、全裸で海に挑む姿は頼もしいと言っていいかもしれない。ただの好みだろうけれど、全裸なのは。かといって僕まで水着を脱いだら、海に挑むというより頭のトチ狂った中学男女ふたりということになるだろう。

 水着を脱いだら、三原さんはどんな反応をするかな。ふん、みたいに鼻であしらわれたらショックかな。でもそんな反応にはならないだろう。おお、いいねえ。見せて見せてと言ってきそうかな。そうしたら僕は股間を隠すことになって、人間の小ささを露呈するんだろうな。人間の。三原さんのような大物にはなれない。なりたくもないが。

 海にはいって堤防よりすこし低くから見上げることになった夜空は、もっと大きくて、覆いかぶさってくるような感覚だ。

「海から見る夜空ってのもオツなものだな」

 三原さんはどう感じるのか。おや? 話しかけたのに反応がない。

 おい。

 三原さんがいない。

「三原さん!」

 反応はない。

 沈んだ? 僕を驚かそうとして潜っただけか。それならいいが、沈んだとなるとやっかいだ。ここは沈んだと考えるべきだろう。真っ暗闇の中で沈んだ三原さんなんて見つけられないぞ。でも、近くにいるはずだ。手を伸ばしながら水の中をかく。どこだ、三原さん。

 水の中に潜ると、まったくの闇というわけでもない。妖怪に引きずり込まれたわけでもなければ、きっと見つけられる。

 ぼんやり肌色が見えた。

 一度水面にあがり、ひと息を吸って、潜る。

 海底に沈んだ船のお宝みたいに、彫刻のような姿の三原さんがいた。腰に腕をまわして抱える。水の中なら重たくはない。

 どうにか水面に頭が出た。でも、意識はない。

「三原さん、三原さん。起きろ、三原さん」

 堤防の階段のところまできても、三原さんの意識はもどらない。水の中で三原さんを背負い、階段に足をかけ、水から上がる。今度は重たい。

 何度か背負い直しながらなんとか階段を上がり切った。三原さんを寝かせる。意識はないし、呼吸もないみたいだ。

「三原さん、死ぬな」


「げほっ」

 三原さんはお腹を折って、咳き込みだした。生きていた。体を反転させてうつ伏せになり、神の前にひれ伏すような格好だ。じっさいは苦しくて咳き込んでいるのだけれど。背中をさすってやる。

「もう大丈夫」

 三原さんは落ち着いたらしく、力を抜いて大の字に寝転んだ。目はどこか遠くを見ている。

「たすかっちゃったかぁ。沈んでいくときは死んでもいいと思ったんだけどね」

「ふざけんな。嫌だよ、そんなの。俺のせいになるだろ」

「あはは、そうだね。ごめん」

 やっぱり変だな、今日の三原さんは。

「今日が最後だなぁ。もう泳ぐこともできない」

「なに言ってるんだよ。これから暑くなって泳げるようになるんだろ」

「そうだね。今日は帰る。渡辺、送って」

「いいけど。大丈夫か」

「もう大丈夫。でも肩は借りたいな」

 立ち上がるのもやっとといったところだ。僕が肩を貸すと言っても、背が低いものだから背中に抱きつかれている感じだ。三原さんは僕の首に腕をまわしている。

 全裸の女の子に水着の僕が抱きつかれたら、まるきり裸で抱きあっているようなものじゃないか。でも、落ち着け。相手は病気かなにかで歩けないんだ。これは人助けだ。現に三原さんは震えているじゃないか。うん、そうだな。でもやわらかくてボリューミーな感触が。いや、いかん。そんなの気のせいだ。無理があるな。


 せっかく助けた三原さんを、僕はこのあと殺すことになる。

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