第23話 三原さんは今がピーク

 今年の梅雨はカラ梅雨というのか、雨が降らない日がつづいた。おかげで、三原さんと夜の海で奇妙な会合をもつことになった。

 三原さんは相変わらず海に飛び込んだり、しばらく泳いだり、堤防にあがってきてやすんだり、僕の釣りの邪魔をしたりした。相変わらずの全裸で。

 三原さんが全裸で行動することには慣れたけれど、なにかの拍子で体を見てしまうことには慣れない。僕はわりと純情なんだ。女の子の裸を見て平気ではいられない。呼吸が止まるくらいには、衝撃を感じる。

 オトナ体形の三原さんだから、どこか彫刻みたいな印象があって、エロいとは感じないのだが。彫刻だって、エロくなくても全裸の像は凝視できない。三原さんの裸を見られないのは、それと同じことだ。


 月に雲がかかって、梅雨の最中だということを思い出させる。三原さんが海から上がってきた。僕は遠くの海と空の境目を眺めたまま視線を動かさない。

「調子はどう? 釣れっ」

 きゃっと悲鳴があがった。

 どわぁ!

 三原さんが勢いよく抱きついてきた。裸が! 胸が! いや、抱きついてきたというより倒れ込んできたのだ。釣竿をかまえていたものだから手をつく暇もなく、三原さんの下敷きになって堤防に一緒に倒れた。

 んん? この感触は。胸が押しつけられている、顔に! ほっぺに乳首がっ! なんてハレンチな。僕には刺激が強すぎる。

 あれ? でもおかしいな。つまづいて倒れ込んできたのなら、すぐに起きあがってもよさそうなものだ。僕を押し倒してそのまま襲おうというのでなければ、だが。襲ってくるようでもない。

「あはは、こけちゃった」

「笑ってないで、どいてくれ」

 言ってもどかないから、よっこらせと横に転がした。三原さんは僕のとなりに寝た格好だ。

「青春だなあ」

 釣りをしている男子を全裸で押し倒し、ほっぺに乳首を押しつけるのは、汚点であって青春ではないだろ。僕にとっては青春と言えなくもないんだが。

「こんなことじゃなくて、三原さんの青春は、これから楽しいことがいっぱいあるだろ」

「ううん、むしろピークかも。あとは死ぬのを待つだけって感じだよ」

「そんなわけあるか。高校、大学とできることは増えるし、お金だって使える額が増えるし、いろんな人と出会うだろうし、生きてたらいろんなことが起きるし、チャンスだってあるだろ」

「渡辺とはちがうんだよ、わたしにはそういうのないから」

 どうしたというのか、今夜はやけにネガティブだな。この前は放課後の謎の抱擁に付き合ってやったというのに。それでもまだなにか僕に話せてないことがあるってことだろうな、この意味わからない会話の応酬は。

「どうしたんだ、なにかあるなら聞いてやるぞ。役には立てないけどな」

「役に立たないなら意味ないから言わない」

 いや、謙遜、ということもないけど、話を聞いてやるだけで役に立つということだってあるだろうに。無理に話すこともないからほうっておくわけだけど。

「人間なんて死ぬまで生きているだけみたいなものだな。その間にいいことも悪いこともあって。でも、ほんの短い間しか生きないし、いいことも悪いことも、ちいさな出来事でしかないんだ。

 高校受験に失敗したら、僕は死ぬほどショックを受けるけど、他人にはなんてこともない。そのへんに転がっている失敗談のつまらない一例に過ぎないんだ。ショックで僕が本当に死んだって、世の中にはなんの影響もない、どうでもいいことなんだ。

 ちっぽけなものだな、ひとりの人間なんて。宇宙はこんなに大きいんだ。そのへんに見える星だって太陽より何倍も大きかったりするんだってよ。太陽は近くにあるから大きくて明るくて熱いだけなんだ。ひとりの人生どころか、人類も生物も、地球や太陽だってちっぽけな存在にすぎない。そう思うと、いろんなことがどうでもよくなってくる」

 空を覆いはじめた雲を、宇宙にかかるレースのカーテンみたいに感じながら、宇宙に向かって語る。

「だったら、一緒に死んでくれる?」

「死にたいのか? 言いたかったのは、死ぬほどの重大な問題なんてないってことだったんだけど」

 誰かと一緒に死ぬことに意味があるとも思わないけど。三原さんみたいな、外見に恵まれ、みんなとうまくやっているわけだし性格だって悪くない、全裸になりたがるのは変態が突き抜けているけど、みんなの前ではそんな変態行動は見せないし、そんな女の子のどこに死にたくなる要素があるんだ。

 もしかして。

「それってもしかして、家庭の問題か?」

 女の子が夜中に出歩くのを許す親というのもおかしいな、今まで気づかなかったけど。

「そうじゃない」

 ちがったか。お父さんから性的虐待を受けているというなら、三原さんの奇行に説明がつくかと思ったけど。

「いいの。忘れて」

 僕は他人の言葉はすぐに忘れてしまうから、忘れるなと言われても無理だけど。忘れろといわれて忘れるものかはわからない。ひとは自分で記憶をコントロールできないものだ。

 お互い並んで寝ころんで空に向かって話していた。顔を横向けると、三原さんは涙を流しているようだった。

 忘れてよいことなのか、あるいは忘れてあげるのがやさしさなのか、わからなかった。でも、忘れにくくなったなとは思った。


 もう僕が三原さんを殺すことになる材料は出揃った感がある。三原さんは自分の死について語りだしたのだ。もうすぐ、僕は人殺しになる。そんな覚悟は、このときなかったのだけれど。

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