三原さんは殺される?

第18話 ホラー、本当にあった話

 アタリもないし帰ろうかとぼんやり考えているうちに月が顔を出した。生まれたばかりの月は夜空を照らし、海にシュガーパウダーを降らせる。下の海面に白く積もってゆく。海は僕の足元まで真っ黒くつながっていて、波音がノイズとなって耳を不感症にする。

 この季節、夜釣りはよいものだ。昼間はぬるんだ空気がキンと気を引き締め直す。吸い込むと胸の中の沈殿物を洗い流してくれる。頭の中のよどみも晴れる気分だ。家にいたら狭い空間に僕が充満する。いづれ爆発してしまうだろう。

 浮きは波にゆられてのん気にしている。魚を釣りたいわけではない。釣りでもしないとここにいる理由を作れないだけだ。堤防にすわって原油みたいな海面をずっと眺めていたら、目眩がして海に落ちることになるだろう。黒い曲面が滑らかにうごめく。僕を誘い込もうというのか。


 眺めるともなく浮きを眺めていると、視界の端で海面が盛り上がる。すぐに盛り上がりが大きくなって、人の頭の大きさだ。死体が浮かんだ? いや、移動をはじめた。なんだアレは。人知を超えた物体か。目を動かせない。浮きを眺めながら、視界の端だけで認識している。

 僕がすわっている先に堤防が階段状になっている部分がある。そこをあがってくる。死体ではない。妖怪か、幽霊か。恐怖に凍り付いて首もまわらない。竿の先はこまかくふるえている。

 幽霊ではない。水滴をしたたらせて歩く様子に重さを感じる。ぺたりぺたりとこちらに歩いてくる。妖怪の方だ。確実にちかづいてくる。心臓を吐き出しそう。ぺたりぺたり。相手は緊張感もなく歩いている。たのむ、通り過ぎてくれ。僕は石だ。堤防に転がる石ころだ。ぺたり。

 と、止まった。僕の背中のそば。気配を感じる。石ころではない僕の存在に気づかれた。すぐちかく、背中に手がかかるかと思って鳥肌が立つ。もうダメだ。妖怪は上体をかがませて、頭がちかづいてくる。固まっている僕の顔をのぞきこんで。

「だばびわだだべば」

 うわぁー!

 全力で体をひねって顔を離す。妖怪の声が耳の奥にこびりついた。濁っていて、耳障りな音だった。

 堤防の端にすわって釣り糸をたれていた僕の体は、横向きに倒れ、堤防の角に肩をぶつけ、妖怪がこちらに手を伸ばしてくるのをさけて、妖怪? 月に照らされたのは、人間の女に見えた。いや、彫刻が動いていたのかも。だって全裸だった。落ちながら僕は目を離せなかった。

 どぼん。ばばばば。ごぼごぼ。

 海に落ちた。僕は終わりだ。人間の女みたいな、彫刻みたいな妖怪に海の深くにひきずり込まれて殺される。真っ暗な海底で、僕の吐く息がごぼごぼ言っている。黒い水の底で僕の人生は終わる。いいことなんてなにもなかったな。嫌なこともなかったか。ということは、なにもなかったということだ。それってどうなんだ。僕らしいのかもしれないな。こんなところで死ぬことだけが普通じゃない人生。

 いや、でも変だな。妖怪はやってこない。僕を海に引きずり込んで殺すのではないのか。無駄なあがきだけど、手をかいて海面に顔を出す。妖怪が堤防から乗り出していた。

「あっ、やっと出てきた。あっちに階段あるから」

 今度は人間の言葉だ。妖怪は人間の世界に溶け込んで生活しているのか。どういうつもりかわからないが、指示に従って妖怪が海からあがってきた階段に向かって手でかいてゆく。服が重くて沈みそう。顔が海面の上にあがらない。やっぱダメかも。意識が、睡魔に襲われたみたいに。


 首ががくがくしている。海の中だ。いや、顔は水の上に出ている。妖怪が、仰向けになった僕の襟首をつかんでひっぱっている。

「うわぁー」

 たすけて。とうとう妖怪につかまった! 長い髪が海に溶け込んでいる。

「目が覚めたんなら、自分であがって。ほら、階段」

 僕のお尻は安定したものの上に乗った。波は首のあたりでゆらめいている。堤防の階段にすわらされたのだ。手をつき、全身のちからを使い果たす勢いで這い上がった。妖怪が僕をたすけた? たすかったのか。

 げほっ。ごほっ。

「ドジだなぁ、渡辺は」

 はい? なぜ妖怪が僕の名前を? しかもさっきと声がちがう。人間の声だ。そうか、人間の世界に溶け込んでいる妖怪なんだった。そんな妖怪なら人間に危害を加えたりしないか。希望が見えてきたぞ。堤防のコンクリートから顔をあげた。


 月がはずかしがりそうに、全裸で仁王立ちしていたのは、中学の同じクラスの、しかもとなりの席、三原さんだった。


 これが、今年の5月のこと。2ヶ月後僕が殺すことになる三原さんと遭遇した、最初の夜だった。

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