第17話 笹井さんに恋をした?
本当のことを知らないから勘違いしているんだな。笹井さんは被害者だって言うのに。
「笹井さん、あやまらないといけないのは僕の方だ」
「そんなことないよ、わたしを助けてこんな大けがして」
「わざとなんだ。笹井さんが僕のあとをついてきているのを知っていてあそこを通った。遠回りをするか、危険かもしれないのに公園を通るってわかってたんだ。僕が通ったとき男はいなかったけど、それは結果であって、誰かいたって関係なかった。笹井さんがちょっかいだされたり危険な目にあってもいいって思ってたんだ。むしろ期待していたんだ。悪いのは僕だよ」
笹井さんは悪くないんだから、罪悪感なんてもってほしくない。本当のことを全部話してしまった。
「でも、たすけてくれたよ。やられるってわかっていたのに、わたしをたすけてくれたのは渡辺くんだもん。襲われたっていいなんて思ってたら、もどってきてたすけてくれるわけないもん」
あのときの気持がもどってくる。公園にもどって笹井さんを探しているときの気持が。焦燥感が。後悔が。怒りが。肋骨の折れた僕の胸にもどってくる。
「あのときは、笹井さんになにかあったらって、怖かった。バカなことした自分が許せなかったんだ」
笹井さんの手が、ゆっくり伸びてきて僕の頭を抱える。体をベッドに乗り出して。僕の頭は、笹井さんの胸に抱かれた。
「大丈夫、なんともなかったよ。わたしは大丈夫だったよ」
笹井さんが無事でよかった。本当によかった。掻きむしりたくなるような胸の焦燥感は消えて、あたたかいもので満たされている。これは好きって気持ちなんでは。今までも冗談で好きなんて思っていたけれど。僕は本気で笹井さんが好きなんだな。そうか、だからあんなにあせって公園にもどったんだ。笹井さんが襲われているところを目撃してカッとなって男に殴りかかったんだ。笹井さんが好きだ。好きだよ、笹井さん。
だが、待てよ。忘れちゃいけない。僕は殺人犯だ。好きだと言ったって、笹井さんに伝えることもできない。しちゃいけないんだ。今だけ、今だけだな。好きという気持ちは、今だけ感じていよう。笹井さんが帰ったら忘れるんだ。
シャッ。シャー。
カーテンが全開になって、薄暗さは去った。笹井さんと僕だけの世界は壊れた。看護師の角野さんだ。
「今日も暑くなりますよぉ。今年の季節はおかしいわねぇ。9月だってのにまだまだ8月の真夏みたいなお天気がつづくんだから。嫌になっちゃう」
窓を開ける。僕は顔を笹井さんの胸にうずめているから気配だけだが。
「あら、お客さんだったの。イス出しておくからすわってね」
僕たちに気づいてもまったく動じない。イスをもってきて、僕の頭を胸に抱く笹井さんの横に置いて去って行った。四角い角野さん、まったくどんな神経だ。デリカシーって駄菓子のひとつだとでも思っているのかもしれない。
しばらくして笹井さんは黙って離れると、カーテンを引きなおした。角野さんが出したイスにすわる。また僕の頭を胸に抱くということはなかった。おしい。きっと僕の人生のハイライトだったのに。なんてことしてくれたんだ、角野さん。
笹井さんは恥ずかしげだ。冷静になったら、恥ずかしくなってしまったのだろう。僕は恥ずかしいと言うより、ずっと笹井さんの胸に抱かれていたかったな。死ぬまでだってあのままでよかったのに。ざんねん。笹井さんを好きだって気持ちは消えていない。今もあたたかく感じる。
「んんっ。とにかくね、渡辺くんが悪いと思わなくても大丈夫だから」
笹井さんは恥ずかしさをごまかすように咳ばらいをしてから話しだした。たぶんさっきのつづきだ。咳払いまでかわいいんだな、好きな子のしぐさというのは。さらに好きにさせようとでもいうのかな。
「それに、わたしも本当のことを言うね?」
なんだ、本当のことって? なにか裏があるってこと? そんなものありそうもない。僕には思いつかない。
「たしかにわたしは渡辺くんのあとを追っていたんだけど。なんでかっていうと、それはアレなんだけど」
アレね、僕のことを疑っているから行動を見張ろうとしていたんだな。
「ともかく、公園にはいったのがわかって、あとからわたしもはいって行った。自転車を押していると」
笹井さんは真面目だな、自転車に乗らなかったんだ。
「年上らしき男が出てきて」
アイツだな。また胸に火が灯る。何度だって殴りつけてやりたい。
「タバコを吸いながら歩いてきた。ベンチのところでタバコを捨てて。わたし言ったんだ」
ロクでもねえやつだな。いかにもそんなことやりそうではあったけれど。
「クズが。死ねって」
え? 笹井さん?
「そしたら、なんだとコラァと言ってこっちに向かってきてスゴむから」
そうなる展開は読めるな。笹井さんもわかったよね。
「わたしを襲う意気地もないくせにすごんでみっともないって言って、軽蔑のまなざしで見下してやったの」
いやいや、そんな挑発しなくても。聞いていて、実際に軽蔑のまなざしで見下されて、僕までゾクゾクしちゃったぞ。ゾクゾク? おかしい。なんだゾクゾクって。よろこんでるだろ、それ。
「わたし、おどしや暴力に屈しないんだ。そうしたら怒って自転車のハンドルをつかんできて、ひっぱられてベンチの裏まで行っちゃって。そんなに犯されたいならヤッてやる、ガキが。泣きわめけって言って抱きついてきたから抵抗したの」
「えーと、バールみたいなものでやっつけようと?」
「やだぁ、本屋行くのにバールなんてもっていかないよ」
恥ずかしそうに否定する。いや、学校にももっていかないだろ。
「そうすると?」
「渡辺くんがたすけてくれなかったら、わたしあの男に犯されていたよ。だから、悪いのはわたしなんだ。ね?」
はあ。って、なんだそれは! なんつう無鉄砲なんだ、笹井さん。
僕が好きになった女の子は、とんでもなくヤベぇ子だった。うすうす気づいてはいたが。
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