第16話 笹井さんに殺される? ふたたび

 はあっ!

 はぁはぁ。暗い。息苦しい。と思ったら、呼吸をとめていただけだったのか、すぐに楽になった。悪い夢でも見ていたようだ。けど、こんどは体が痛い。痛てぇ! なんだこれは。

 あがっ!

 起き上がろうとしたら、さらなる激痛が全身に走った。また息が苦しい。これは肋骨か。折れているな。痛みで呼吸が止まったのだ。ゆっくり、ちいさく息を吸って、吐いて。

 状況が飲み込めてきた。ここは病院のベッドだな。カーテンで仕切られている。時間は夜だ。笹井さんをまこうとして、でも笹井さんが男にカラまれていて、逃がそうとしてボコられたのだ。この痛みは腹を殴られたり、脇腹を蹴られたりしたせいだ。

 こういうときって、目が覚めると笹井さんが見守ってくれているものなのでは。心配したんだからっとか言って涙をためて怒るところなのでは。そんなシーンがないなんて、物語としてできそこないじゃないか。読者は期待はずれだと思うぞ、きっと。

 すくなくとも、母さんくらいはいてくれてもよいと思うんだが。ココノがいるからな。夜のあいだもずっと病院にいることはできないんだ。どうせ死にはしないと思って放置しているわけではない。そう願う。

 痛みがくるかと思うと、動くこともできず。眠ることしかできない。僕は長く眠ることができなんだけど。


 目が覚めたら明るくなっていた。朝だな。昨日の夕方に意識を失ったとすると、長いこと眠ったことになる。長く寝すぎて体がダルい。だが、体を動かそうとすると激痛がくる。それに、点滴の管が腕にぶっ刺さっている。いや、管は刺さっていない。管の先の針が刺さっている。腕を動かして針がポッキリ折れて血管にはいり体を巡りにめぐって心臓にたどり着いたら心臓に刺さって、僕の心臓は動きを止めるだろう。アーメン。腕もヘタに動かせない。

 そうか、病院と言ったら電動ベッドだな、ベッドの頭のところにコントローラーがあって、うぃーんとやさしく上半身を持ち上げてくれるはず。だがない! なんでだ。安い部屋だからか? 安い部屋に入院するとベッドは電動ではないのか?

 看護師の仕事の時間になってベッドを起してもらえた。電動ではあった。コントローラーを見つけられなかっただけだ。体を動かせない状態では見つけられなかった。すばらしいことに、買った本が確保してあった。笹井さんかな。天国の笹井さんに感謝。いや、死んではいないな。無事だったんだよな?

 安心した。看護師さんの話によると笹井さんは病院まで付き添ってくれたらしい。笹井さんは無事だった。よくやった、僕。いや、もとはといえば元凶は僕なんだが。

 ところで、中2男子を担当する看護師としては、この角野さんというのは適任と言いがたい。だってそうだろ? 若くてちょっとエッチな感じの看護師さんが登場するはずだ、ラノベだったら。ラノベよく知らないけど。角野さんはごつごつと四角い感じの、レスリング選手だったの? といった印象の気のいいオバサンだ。色気とは程遠いところに存在している。


 入院中の読書として、京極夏彦は選択をまちがっている。だって、重いんだ。イスにすわって机に手をついて本を支えてでなければ長いこと読んでいられない。しかるに、ぶ厚すぎる本だから長いこと読まねばならん。矛盾である。つい肘を胸につけて重さを分散させようとすると激痛が走る罠まである。休み休み読まなければいけない。普通サイズの文庫本だろ、今の僕に必要なのは。母さんに買ってきてもらうか。

 本とともにスマホも確保されていた。だが病室で通話はイカンらしい。ラインか。でもどうしよう。母さんに本を選ぶセンスは期待できない。自分で決めないとな。入院生活の質に関わる重要な選択だ、慎重に。

 ここは医療ミステリーが気分にマッチするかな。海堂尊「チーム・バチスタの栄光」とか。映画を観たんだっけ。ちょっと話がむづかしそうだったな。頭が痛くなるかも。もっと軽いやつだ。あった、ラノベ・ミステリーだ、えーとなんと言ったっけ。スマホで検索、作者は。作者も思い出せん。「本屋大賞 ミステリー」これで作者は見つかるだろ。いや、ダメだ。「医療ミステリー」に変えよう。あった、知念実希人だ。おぼえにくいペンネームだな。あらためて、「知念実希人 新潮nex」たしか新潮nexだったよな。大手出版社が作ったラノベ・レーベル。天久鷹央だ! これまたおぼえられない名前。僕の記憶力が悪いわけではない。推理カルテの1がシリーズ1作目だな。これにしよう。新潮nexの棚を母さんが見つけられるかという問題もあるが、店員に聞けばたどりつける。

 スライドドアが開く控えめな音がして、人が入ってきた気配。

「渡辺くん」

 僕の客だった。この声は笹井さん。ごほん。

「どうぞ、起きてるよ」

 ゆっくりとカーテンがめくれて、たたずむ笹井さん。窓からはいる明りにきらめいている。笹井さんはカーテンの囲いの中へ。実在感が増した。薄暗い、笹井さんと僕の世界。本当に無事だったんだな。腕に包帯を巻いているなんてこともない。泣きそう。

 うつむき加減のまま足元の方からベッドの横にやってきて、イスを引き寄せてすわるのかと思いきや、僕にのしかかってきた!

「ごめんなさいっ!」

「あぎゃあっ!」

 ぎゃー! 死ぬー! 激痛で悲鳴が出た。笹井さんに殺される! たぶんスマホが落ちたゴトッという音もした。

「え? 大丈夫?」

「ダメ、死んじゃう。死んじゃうから、骨折れて、るから」

「あっ、ごめんなさい。うっかり」

 うっかりで殺されるところだったぞ。笹井さんは僕の胸に抱きつくようにのしかかってきたのだ。僕を殺すことに方針転換したかと思わせる行動だ。そうではなかったわけだが、危うくもう2、3本肋骨を折られるところだった。

 笹井さんがどいたあと、呼吸法で痛みにしばらく耐えた。たはぁ、笹井さんに関わるとロクなことがない。

「わたしのせいで、ごめんなさい。たすけてくれてありがとうね」

 涙をためた表情はぐっとくるものがある。笹井さんの愛らしさ、回復力高い。

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