第12話 笹井さんからは逃げられない

 ひどい1日だった。新学期はまだ初日だってのに、2学期も笹井さんのとなりの席となることが確定するし、謎の転校生はカランでくるし、帰りまで笹井さんと一緒だし。

 いや、最後のは悪くなかったんだが。女の子と楽しくオシャベリしながら帰るなんて青春だ。

 僕はなにを楽しんでるんだ、青春てなんだよ。僕は人殺し、笹井さんは僕を疑っている、そんな関係で青春なんてあるわけないだろ。

 ゲホッ、ゲホッ。

 へんなことを考えながらパンを飲み込もうとしてノドにつかえた。牛乳のパックをつかんで、ちゅーとひと口吸い込む。ふう、あやうく笹井さんに殺されるところだったぜ。本人の知らないところで人が死んでゆく。恐ろしいひとだ。ただの言いがかりだけど。

 塾の授業も今日からはじまる。高校受験は厳しい戦場だからな、のんびりはしていられない。教室での間食も済ませた、すこし予習しておくか。

 ノートとテキストを開き、シャープペンをカチカチ。すーっと芯が出て落ちた。ノートの上をむなしく転がる。もう終わりだったか。カチカチカチカチ。カチカチカチカチ。ん? ペンを振る。芯がはいってなかった。ペンケースから芯のケースを出して振る。芯がキレてる。これでは予習できないじゃないか。誰かくれば芯をもらえるから、授業には間に合うけど。早く誰かこい。

 がちゃ。

 教室のうしろのドアが開く音、与田だな。2番手はいつも与田だ。ジャガイモ顔を期待して振り向く。

「いいタイミングだな、シャー芯なくて」

 与田じゃない。笹井さんだ。誰かこいとは言ったが、笹井さんにこいとは言ってない。なぜ笹井さんがここに登場する。

「笹井さん、夏期講習は終ったよ」

「うん。夏期講習で勉強ガンバったから、つづけていいって」

 さっき学校帰りにはそんなこと言ってなかったじゃんかよぉ。

「サプライズだよ、おどろいた?」

 かわいい! じゃないっ! そんなサプライズはいらないんだ。僕とおなじ塾にだって通ってほしくないぞ。

 でも、親からしたらそりゃそうだな。笹井さん予習してきて、質問もしてガンバっていたものな。塾に通わせたくなる気持ちはわかる。でもでも、授業中は僕の方ばかり見てたからな。あんな笹井さんを両親が知ったら、家で勉強しろってなったにちがいない。笹井さんちが授業参観にこなかったことが惜しい。塾に授業参観システムはないが。

 笹井さんは話しながら自然に僕のとなりにすわってバッグを置き、シャープペンの芯のケースを差し出してきた。

 えっ?

「ないって言ったでしょ? 芯」

「あ、りがとう」

 芯を2本もらった。芯を返すとき目があった。見つめあうふたり。目が離せない。なんというか、形がよいのだ。見つめられるために作ったような、鑑賞用だな。しかもその目が僕を見つめている。引力がすごい。

 ドアが開く音がした。おおっとぉ。目を離してうしろのドアを振り返る。与田のジャガイモ顔があらわれた。ジャガイモ顔は見る者に安心を与えるが、こちらは鑑賞するものではない。噛みつくものだ。

「おっせえよ」

「ええ? 授業まだはじまらないよね。あれ、なんで笹井さんいるの?」

「正規の授業も受けることにしたからに決まってるだろ」

 ジャガイモは察しがわるい。

「なんだか渡辺が横暴だよ、笹井さん」

「今日は横暴みたい、亜衣さんにも言われてたし」

 笹井さんが禁断の名前を。

「だれ? 亜衣さんて」

「今日クラスに転校してきたんだ。ね?」

 ね? だって、かわいい。おおっと浮かれてはいかん、この調子では、三原さん殺したの渡辺くんだよね? うん、そのとおり! と答えてしまいそうだ。おっほん。

「亜衣さんは、へんな女子だよ。一緒に帰ろうと言い出したりして」

「渡辺モテ期か。かわいいの?」

「ショートカットで男みたいだし、ボクっ子だ」

「キャラ立ってるね。で、かわいいの?」

「バカか。ほかの女の子がかわいいかなんて話題にするな、ボケ」

「バカとボケって言ったー。笹井さーん」

 笹井さんは返事しない。

「かわいいってことなのか」

 与田がバカでボケだってことだ。


 塾を終えて、帰りに本屋へ寄る。僕は用もなく本屋へ寄るのだ。参考書だの問題集だのには興味がない。塾のテキストがあれば十分。そうではなく、雑誌をながめたり、新刊コーナーをチェックしたりする。

 今の話題は京極夏彦が17年ぶりに新刊を出す百鬼夜行シリーズだ。17年ぶりって、僕が生まれてから今までなにをしていたんだと思うけれど、ほかの本を書いていたのだな。寡作な作家というわけではない。書けるのならもっと早く書けばよかったのにとは思うけれど。

 ひととおり本屋の中をめぐって店を出る。夜になると、さすがに暑くない。ひんやりとまでは感じないけれど。今年の夏は暑いな。笹井さんがいるからではない。

 自転車をこぎだすと汗が出る。コンビニの照明が明るくて、ジュースでも買って行こうかと引き寄せられそうになる。コンビニでジュースは贅沢だ。家に帰れば冷蔵庫に三ツ矢サイダーがある。そうだな。

 コンビニの裏は公園だ。ぽつぽつと街灯がついている。下にはベンチがあって、上からの照明がドラマティックなような寂れたような雰囲気をかもす。公園は割と大きくて、帰り道は公園をまわりこむことになるから中を突っ切りたくなる。

 公園内では自転車は押して歩けということになっていて、入口に互い違いのポールが設置してあり乗ったままでは通れない工夫がされている。侵入してしまえば乗って突っ切ることもできるんだが。

 僕は公園を突っ切るのを遠慮している。公園にあるトイレで殺人事件があったそうだ。それこそ僕が生まれる前のことだが、犯人は捕まっていない。もちろん僕ではない。昔のことでも、話を聞いているから不気味だと思ってしまう。

 それに、ベンチのところにガラのわるい中学生か高校生くらいのやつらがたむろしていたりする。ちかづきたくない。コンビニの裏というのも便利なようで、そんな輩を呼び寄せてしまうから良し悪しである。今も、姿は見えないが、数人の若者が騒ぐ声が聞こえてくる。人数が集まると気が大きくなるのは人間のわるい性質だ。嫌なものだ。

 汗をかいて家までたどり着く。家の中は蒸し暑い。外はやっぱり涼しかった。ココノがアイスをかじっている。僕はこれから夕食だ。

「僕もご飯食べたらアイスもらおうかな」

 ココノは嫌そうな顔になった。ココノのこづかいで買ってるわけじゃないのに。僕に食べられて数が減るのがもったいないのだ。昼間だって僕が帰ったときアイス食べていたじゃないか。世の妹はお兄ちゃんに気持ちよくアイスをあげてもよいと思う。

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