第10話 アイちゃんって誰だよ

 新学期がはじまる。となると、席替えだ。人生で一番うれしい席替えになるはず。だって、笹井さんのとなりから逃げられるんだからな。ハッピーこのうえなし。

 おおっとぉ、こんなことを考えているとイヂの悪い神様に笹井さんのとなりの席にされてしまう、フラグを立ててはいけない。無だ、無になるんだ。


 はっ、無になりすぎてもう先生がきて朝の会がはじまっていた。よだれは、出ていない。セーフ。僕はなにを心配しているんだ。子供じゃあるまいし。

「おとなりさん、よろしく」

「あ、どうも。よろしく」

 ん? 誰だ? 僕のとなりの席に知らない人がすわった。そこは三原さんの席だが? いや、もう死んでるけど。僕が殺したんだけど。

 謎の人物は、もちろん三原さんではなく、幽霊になった三原さんでもない。生きた人間の女の子だ、たぶん。ショートヘアで、ボーイッシュというやつだ。男の子ではない、よな。


 朝の会は終わって先生が教室を出て行った。どうなっている。新学期は朝から席替えするはずなんだが。

「笹井さん、席替えは?」

「しないよ? 先生の話聞いてなかったの?」

 聞いちゃいなかったが、新学期に席替えをしない理由なんてあるか? 本当にイヂの悪い神様はいるのか?

「転校生がきたから席替えしなくていいかって」

「え? 転校生?」

「それも聞いてなかったの?」

「はーい、転校生でーす」

 謎の人物の正体がわかった。謎の転校生だった。転校生は謎ではないか。転校生がくると席替えしないというのは謎理論だ。先生がメンドクサくなっただけだろ。転校生を言い訳に使いやがったのだ。男子中学生のささやかな希望は教師の怠惰で打ち砕かれた。

「手、おろしていい?」

 転校生は、はーいと言ったきりあげっぱなしだった手をおろした。手をあげてくれなんて頼んでいないが、手をおろしてよいという許可もしていない。僕のことはどうでもいいんだろう。マイペースだな。


 転校生というのは、はじめに僕のことを殺しにくるものでは? 宇宙人とか、特殊能力者とか、殺し屋とか、敵対勢力とか。それで僕が勝って、やれやれ退治してやったぜの翌日に転校してくるものだろ。僕の知らない転校生が急にやってくるのは反則だ。

 いや、まだ可能性があった。

「こどもの頃以来会っていなかった許嫁?」

「は? 君おもしろいこというね。ボクのこと口説いてるの?」

「ああ、ボクっ子か」

 なら納得。よくわからんが。普通の転校生ではないってことかな。

 ガツン。

「ぐげっ」

 脳天に衝撃がきて、鼻の奥というか口の中というか、血の味があふれた。頭をおさえてさする。痛てえ。閉じた目に光が明滅する。なにが起きた?

 振り返ると、笹井さんが歴史の教科書を机に置いて席につくところだった。笹井さんが? 僕を教科書の角で殴ったのか? なにゆえ? ああ、蚊が止まっていたのか。そんなわけあるかい! どうしてくれる、首がぐぎっとヘンに曲がったんだが?

「ますますおもしろいね。学校が楽しみになった」

 なにが? なにもおもしろくねえ。わけがわからん。笹井さんと転校生の方を行ったりきたり、痛めた首をくりくり振ることになった。明日は首がおかしくなっているんじゃないか。


 笹井さんはこちらを見ずに、なぜか正面の黒板の方を見ている。いや、本来それが普通なんだが、笹井さんはずっと僕のことをぐぐいっと顔を突き出して監視してきたのに。さっき僕を殴ったことと関係あるのか? 新学期になって心をいれかえたかな。

 さっきの教科書でガツンはなんだったんだ。まさか僕を殺そうとしたわけではないよな。笹井さんは殺人犯ではないはずだ。教科書で殴ったくらいで死にはしないし。いや、これはフラグ? 死にはしないと言いながら、僕はくも膜下出血とかで明日には死ぬのか? まさかな。そんなに簡単に人が死んでいたら、そこいらじゅうで殺人事件が起きてないとおかしい。

 どういうことか、転校生に聞いても無駄だよな。これまでの流れを知らなければなんとも答えられないだろう。詳しい説明もできるわけないし。

「おわぁ」

 転校生に顔を向けたら、転校生が笹井さんバリにこちらに顔を突き出していて、振り向いた僕の目の前に顔があった。

 おどろいて仰け反った。背もたれに斜めに背中を押しつけたものだから、すべって僕の体は仰向けに倒れて行き、笹井さんにぶつかったあげく、太ももに着地した。僕の安楽の地。このまま死ぬのか。悪くない人生だった。

 これは、笹井さんの膝枕。天国だ。倒れたときに肩にやわらかさを感じた。あれは。いや、考えるな。笹井さんが冷ややかな目で見おろしている。悪くない。ヘンな性癖に目覚めたら大変だ。早くこの状態を脱しなければ。

「どうした渡辺、ってどこに?」

 鹿島の声がして、視界に侵入したかと思うと。ふんと鼻で笑った。ははん、渡辺やるな、このスケベ。そういう心の声が僕には聞こえた。鹿島の単純な頭の中身は理解し尽しているからな。

「さっそく転校生に手を出したか。目の前で正々堂々浮気するとは、恐れ入るぜ」

 ん? 転校生がなにか? ああっ! 笹井さんに倒れ掛かるとき反射的に足を持ち上げていた。上体がスライドして笹井さんの太ももへ着地したのと同時に、僕の足は転校生の太ももに居場所を見つけてしまったらしい。僕のリアクションで危険を感じて転校生は顔をひっこめていたのだろう、蹴りを入れていたら今頃警察沙汰になっていた。しかし、なんて贅沢な状況なんだ。これは鹿島が正しいな。

 ふたりの太ももから飛び上がって自分の席に復した。

「ごめんなさい」

「ボクはいいんだけどね、おもしろいからさ」

 机に向かって頭を下げた状態の僕にあたたかいお言葉。転校生は心が広い。たぶんスイスの山に広がる草原くらいだ。ハイジが高速ブランコで魂を置き去りにしそうになる、あのあたり。

 笹井さんは、と頭をさげたまま首をひねって見ると胸を押さえていた。心臓が苦しいのか? ちがうな、僕の肩が当たったせいで胸が痛いのかも。ぷいっと反対を向いてしまった。小さい背中にかける言葉もない。

 伊吉さんがきて笹井さんにかがみこみ言葉をかけた。そのあとふたりで教室を出て行った。あのふたり、塾の夏期講習で仲良くなったようだ。

 笹井さんを傷つけてしまった。僕は犯罪者だ、誰か裁いてくれ。いや、もともと僕は人殺しなんだった。

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