第2話 僕が殺したのは
僕のとなりの席は、笹井さんとは反対のとなりの席は、主を失った。僕が殺した。
学校ではまだ病欠扱いである。風邪が治ったと言って、ゾンビ化した彼女が登校してくるなんてことは、ないはずだ。そんなことになったら面白いが。
今日も笹井さんは僕の方を見つめすぎていて、また倒れ込んできそうな勢いである。けっして降りはじめた雨の様子を窓越しに見ようとしているわけではない、はずだ。その体勢、なんだか股間がそわそわしてしまうんだが。
給食のあと、笹井さんからの圧を感じない、体が軽い、どうしたかなと思ったら、笹井さんは読書に励んでいた。読書好きだったかな、休み時間に本を読んでいる姿ははじめて見る気がする。
「笹井さんは読書が好きなのか」
「ううん、勉強のため」
こちらに見せてきた本の表紙は、世界一有名な探偵シャーロック・ホームズの物語だった。目を輝かせているけれど、獲物を狙う肉食獣かな。ぜったい僕のこと疑っているだろ。
放課後、玄関先に笹井さんがたたずんでいる。朝の情報番組で傘をもって出ないと後悔することになるとおどしをかけられていたから、僕は傘をもってきていた。折りたたみではない普通の傘だ。笹井さんが僕の傘を見つめる。傘を忘れて途方に暮れていることは明らかだ。これはラノベ的展開? イベント発生か? いやいやいや、相手は笹井さんだぞ。僕のことを人殺しだと疑っている。しかも本当に僕は人殺しなんだ。笹井さんとかかわったらマズい。
ストラップをはずし、ばさばさと布をほぐしてからボタンを押す。ばぁさっと音をさせて傘が開いた。肩にかまえ、今さらながら顔を隠す。ぬおぅ、笹井さんが傘の下からのぞきこんでくる。やめてくれ、見つめないでくれ。うーん、嫌だ気が重い。言いたくない。唐突に王子様があらわれて笹井さんを傘にいれてくれないだろうか。きょろきょろ。見回しても。うん、あらわれる気配なし!
出ようとする力と戻ろうとする力が口先でせめぎ合う。くそっ、苦汁を飲み込みつつ、血まみれの言葉を口から押し出す。傘を気持ちもちあげ。
「あの、よかったらはいる?」
笹井さんは表情を輝かせ、ぴょんとはねて傘にはいってきた。傘をもつ僕の手に手を添えてくる。ぐぬぬ、ほれてしまいそう。くっそー、ほれてたまるかぁー。
僕の住む町は大きな自動車工場があって、町工場といった小さい工場もいっぱいあって、中には営業を終えた廃工場なんてものもある。傘をシェアした笹井さんと僕は、ちょうどそんな廃工場の前を通りかかる。雨降りの暗い午後。工場の敷地前にはポールが立っていて、渡された赤錆色のチェーンがここから先にはいるなと陰気くさく言ってくる。重たい空気が立ち込める。鉄くささもただよう。
「こんな雨の日は、女の子を廃工場に誘い込んで殺したくなるんでしょ?」
笹井さんが見つめてくる。
「そ、そんなわけないだろ」
「男のひとってそうなんでしょ?」
ささやき声。
「ち、ちがっ」
チェーンからは水滴がしきりに落ちていて。笹井さんは目の前のチェーンを見つめ、右足をあげる。湿気を含んだスカートの端がもちあがり、笹井さんの太ももをぎこちなくすべり。足先の靴がチェーンを。
僕は添えられた笹井さんの手にもう一方の手を重ねた。
「かってにはいったらヤバいって」
足はチェーンのこちら側に着地した。カバンから取り出そうとしているスタンガンが笹井さんの肩越しに見えた。どういうわけか廃工場に連れ込まれたがっていたみたいだけれど、僕は方向転換してもとの帰り道を行くように修正した。なにを考えているんだ? 笹井さんは。スタンガンより傘だろ? 必要なのは! 物騒な女だな。ひとの敷地に侵入しようとするし。
笹井さんとは僕の家の前で別れた。傘は貸してあげることにした。着替えをしてベッドに倒れ込む。疲れたぁ。これは気疲れだ。笹井さんのせいだ。帰りのあれはなんだったんだ。廃工場に行ったって――。ううん? 女の子を殺したくなるだろって言っていたな。あの場では、僕が笹井さんを殺すってことじゃないか。僕が殺しにきたところをスタンガンで撃退する。僕は人殺し確定となる。やっぱり笹井さんは僕を疑っている。
翌日朝の会で、三原さんが突然亡くなったと担任が知らせた。情報自体は朝のニュースですでに公開されていた。校門のところにカメラをもった男が何人もいて生徒に話しかけていたし、担任から知らされるまでもなく僕たちは全員知っていたわけだけれど。
もちろん僕は誰よりも早く知っていた。病欠から死んだという発表になったってことは、彼女の死体が発見されたのだろうな。となりの席からこちらに身を乗り出している笹井さんもきっと。
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