第三章~Where are you going? Vampire~
一人旅行に行っていた俺は、観光名所や避暑地など巡っていた。
その日は旅行最後の 日でせっかくだから一人で目的もなく歩いてみようと、山の中の散歩道を歩いていた。その時、急に雨が降ってきたので、雨宿りする場所を探して走った。
民家が一軒も見当たらない山の中。だが、走っていくうちに寂れた神社を見つけた。
急いで神社の屋根に入った。さすがに寂れているといっても神社だ。中に入るわけにはいかない。雨さえしのげればいいのだ。
「申し訳ございませんが、雨が止むまでここに居させてください」
罰は当たりたくないし、神社は神様の宿みたいなものだ。手を合わせることで、許可はとったと思いたい。
「すげー雨。通り雨だと思うけどなあ」
バケツがひっくり返したような雨。すぐに止むだろうと思っていたので、雨の音を聞きながら神社の縁側に座った。その時だった。
後ろから扉が動く音が聞こえた。慌てて振り返ると子供が居た。6~7歳くらいだろうか。男物の浴衣を着ていたが、ところどころ泥がこびりついていた。髪も汚れており、腰まで伸びた金髪も、傷んでいて台無しだ。それに前髪が目を覆い隠していて顔がよく見えない。
「君は?親はどうしたんだ?」
前髪の隙間から視える銀色の瞳。跳ねた長い髪から見える真横に伸びた耳。その特徴が、この子は人間ではないと証だった。
「僕のこと……視えるの?」
「え?」
戸惑っている間に、子供が隣に座った。
「雨が止むまでここに居ていいよ」
子供は雨を見つめながらそう言った。
「そのかわり、僕の話し相手になってくれる?」
「いいけど……さっきの言葉ってどういう意味だ?」
「え?」
「その、視えるのどうって」
「ああ、僕ね、人間じゃないんだ。耳見たら分かるけど。ここで祀られた神様だったんだけど、最近人が来なくなって廃れちゃったんだ。本来、僕は普通の人には視えない存在。人から忘れさられて、力が減った僕ならなおさら。多分、君が僕のことを視ることはできるのは、奇跡に近いんだろうね。だから、少しの間でいいから話し相手になってほしいな」
子供は少しだけ微笑んだ。人間じゃないという話だが、不思議と怖いと思わなかった。おそらく、古ぼけた着物に砂や泥がところどころ肌に付いていた風貌していたからだろう。怖いと思う以前に心配になってきた。
「ん?神様⁈うわあ、無礼なことしてすみません」
「いやいや、そんなかしこまらなくていいよ。神様と言われても、通りすがりの妖怪が信仰で力がついて、気が付いたら神様になっていただけだから。それに、今の僕は残りかすぐらいの力しかないから。だから、丁寧な言葉じゃなくていい」
「……」
時代の移り変わりによる風化なのだろう。忘れ去られていく事例はニュースやドキュメンタリーで聞いたことあるが、実際に聞くと悲しさが込みあがってくる。
「優しいんだね。大丈夫、君が気にすることではないよ」
それが当たり前だというように語る子供。
「今日だけなのか?」
「多分ね」
沈黙が流れた。
この時、俺はここで別れたらダメだと思った。忘れ去られてしまった子供の神様を1人にしたくなかった。
「神社から出たらダメっていう制約あるか?」
「無いけど……」
今日で一人旅行最後の日だ。視える視えない抜きにして、もう会えない可能性が高い。ここで話しただけで別れたら、後悔すると思った。
「よし!せっかくの出会いだ。今日一日付き合うぜ!」
「え……」
「まずはそうだなあ……身だしなみを整えた方がいいから……ホテルに戻りたいけどいいか?」
頭の中でこれからの予定を組み込んでいく。すると、子供は恐る恐る問いかけてきた。
「いいけど……いいの?」
「せっかくだしな。『旅は道連れ、世は情け』ってな」
俺は立ち上がって背筋を伸ばした。
「そういえば名前聞いてなかったな。俺は西城桐斗。君は?」
「縁正(よりまさ)」
「よし、行こうぜ縁正!」
俺は子供……縁正に手を差し伸べると、ゆっくりと手を繋いできた。雨はいつの間にか止んでいて、雲の隙間から日差しが差し込んでいた。
1
ゆっくりと意識が浮上する。瞼を開けると、カーテンの隙間から見える日差しが差し込んできた。
「夢か。あれは……旅行行った時の……」
先ほど見た夢を思い出す。はっきりと覚えていた夢は、約一年前。そう飛行事故が起きる一日前に起きたことだ。
「昨日、フォルティシアに会ったからかな」
飛行機事故から生還した日から、一度も夢で見たことはなかった。それが、今になって夢で出てきた。古びた神社で出会った子供、縁正。時代が進みにつれて忘れ去られてしまった神様。
縁正に出会って……それから……。
続きの出来事を思い出そうとすると、ふと時計が目に入った。時刻が9時30分を指していた。
「今日は、フォルティシアと約束してたな」
俺はゆっくり起きて仕度を始める。ふと縁の糸を見ると、薄かった黄色が先日より濃くなっていた。薄い黄色は知人。そこから黄色が濃くなると友達という意味になる。少しは友好的になったってことか。
着替えようと思って鏡の前に立って服を思いっきり脱いだ。鏡に映ったのは自身の体。左肩からわき腹に掛けた傷跡だ。飛行機事故によって出来た傷跡。医者によれば生きているのが奇跡と言われたほど大きな怪我だった。
『あの悲惨な飛行機事故からもうすぐ一年となります。慰霊碑には多くの遺族が訪れており……』
テレビから冷静に話すアナウンサーの声が聞こえる。画面には慰霊碑に花を送る遺族の姿が映っていた。
多くの被害者を生んだあの飛行機事故は多くの被害者を出した。被害者の中には十歳も満たない子供もいた。
「何で……俺なんだ。何で……俺だけ」
小さく呟いた疑問に答えが返ってくるわけでもなく、虚しさが込みあがるだけだった。
時刻は十三時。日差しの暑さが最高潮になっているからか、肌がじりじりと焼けるような暑さだ。そんな中、待ち合わせ場所である銅像の前に行くと、フォルティシアが日傘を差して待っていた。
「悪い、待たせたか?」
「いいえ、私もさっき来たところよ。それじゃあ行きましょうか」
優しく綺麗に微笑んだ。そのしぐさに上品さを感じる。
「そういえば、吸血鬼って陽の弱いって聞いたけど大丈夫なのか?」
目的の場所へと歩きながら聞いてみた。
「私は大丈夫よ。そこら辺に居る三流吸血鬼だったら陽に当たった途端に灰になるけど、私は上位の方だから灰にならないわ。ちょっと火傷する程度よ」
「え……それって大問題では?」
「日焼け止めクリームを塗れば、ある程度平気よ」
「マジで……」
そう話していくうちに、目的の場所へと到着した。大きい通りから少し外れた呉服屋だ。瓦の屋根が和を感じさせる建物になっている。
「ここ、いろんな種類の浴衣があるんだ」
「へえ~」
早速入ると、店員である男が奥から出てきた。
「いらっしゃいませ……西城じゃないか!今日はどうしたんだ?」
「今日はお客として来たんだ。浴衣が欲しいって言う彼女を連れてきたんだ」
店員の男にフォルティシアを紹介すると、男は口角を上げた。
「おいおい西城。デートかあ?隅に置けないなあ。しかもこんな可愛い外国人を連れてくるなんて」
「いやいや。彼女、昨日日本に来たばかりで地理も知らないから、案内しているだけだぞ」
「ほお~」
笑みを浮かべながら目を細める男。
「ここならいろんな種類の浴衣があるし、お前なら良い浴衣が入ってるだろ?」
「なるほどねえ」
会話が盛り上がっていると、フォルティシアが俺の肩へと指でつついた。
「知り合い?」
「ああ、友人なんだ。良いチョイスしてくれるぜ」
そう答えると、フォルティシアは納得の笑みを浮かべた。
「それじゃあ、私に似合う浴衣を選んでもらおうかしら」
そう言うと店員の男は接客の顔になり、フォルティシアと一緒に浴衣が並んでいる棚へと足を運んだ。俺も二人の後に着いていき、会話を聞いていく。柄がどういうのかいいか、色はどれが好みかなどの会話が聞こえてくる。
フォルティシアだったら柄はそんなに主張しないほうがいいな。色は何でも似合いそうだが……。
「桐斗!」
フォルティシアだったら何が似合うか考えていたら、フォルティシアに声が聞こえた。
「こっちとこっち、どっちがいいと思う?」
フォルティシアの両手には浴衣が握られていた。1つは白を基調とした浴衣でアジサイ柄、もう一つが紺色を基調とした浴衣で月下美人が柄となっていた。
どちらも似合いそうだなあ……。だけど……。
「俺としてはこっちの方が似合うと思うなあ」
俺が指さしたのは紺色の浴衣だ。こちらの方がフォルティシアの雰囲気に似合うと思った。
「へえ~。それじゃあこっちにする!」
会計に足を運ぶフォルティシア。お店を出たときには満面の笑みを浮かべていた。
せっかくだから、買ってあげようと財布を出したが、
「自分の欲しいものは自分で買えるわ」
と断られてしまった。会計時、ブラックカードが見えたような気がした。
買い物を終えた俺たちは、公園で休憩することにした。
自然公園であるここは大きな湖があり、座るところが多くあるため、休憩するにはちょうど良い場所である。また、食べ物を売っているお店もあるため、小腹が空いたら食事することも可能だ。
俺は店から二つアイスを買って、ベンチに座っているフォルティシアに手渡す。
「アイス買ってきた」
「ありがとう」
アイスを食べるフォルティシア。美味しそうに食べるそのしぐさは、吸血鬼とは思えなかった。どこにでもいる少女に見えた。俺もアイスを食べて、甘さと冷たさを堪能していると、カメラのシャッター音が響いた。不思議に思って横を見ると、フォルティシアがデジタルカメラを構えていた。
「フォルティシア?」
「桐斗の食べている所、撮っちゃったけど嫌だった?」
「嫌じゃないけど……急にどうしたんだ?」
「私、写真撮るのが趣味でね。いろんな国に行っては写真を撮ってるの。建物とかもそうだけど、人の営みとかね」
そう言いながらカメラをいじるフォルティシア。
「風景とか人の営みって……すぐ変わっちゃうの。十年前あった建物が無くなってたり……親しんでいた人間が十年経ったらしわが増えちゃったりね。だから私は写真を撮りたいの。その一瞬を見逃したくないから……忘れたくないから……」
寂し気な表情だった。
確か生まれて百五十年と言っていた。その間に時代も変わっただろう。それをフォルティシアは見てきたのだ。
「湿っぽくなっちゃったわね」
アイスを食べ終えると、フォルティシアが勢いよく立ち上がった。
「クレープ買ってくる」
「アイス食べたばっかだよな」
「クレープは別腹」
「俺が買ってくるか?」
「いいわよ。そこで座ってなさい」
そう言いながらクレープが売っている店に足を運んでいった。
待っている間、湖に視線を向ける。小鳥の鳴き声が響いていて、気持ちが落ち着いてくる。湖があるからか、ここは他のところより涼しく感じる。
のどかな雰囲気で待っている中、ふと湖付近に女が佇んでいた。顔が下に向いていたため顔がよく分からない。女は湖の中に入るように足を進めていた。
おい……やばくないか⁈
俺は女の方へと走った。このまま進むと溺れてしまうという思ったこともあったが、俺の目には、女に絡みつくように黒い糸が映っていた。
黒い糸は死に繋がる縁である。死の縁に繋がった人間は、近いうちに死が訪れるのだ。
黒い糸は女から湖の中へと続いていた。
近くまで走った俺は、女の手を掴んで引き寄せた。思いっきり引き寄せたからか、反動で後ろに倒れてしまった。
「大丈夫ですか⁈」
声をかけるが返事はない。よく見ると目が虚ろになっていた。
「ジャ……ス……ナ」
「え?」
湖から声が聞こえた。
「ジャマヲ……スルナアアアアアアア‼」
空気を響かすような怒号が辺り一面に広がった。すると、黒い糸が俺にも繋がった。水面が高く盛り上がり、俺と女を包み込んだ。水圧によって引っ張られ、湖の中へと吸い込まれてしまった。
息ができない水の中。呼吸できない苦しさが頭を支配する。ふと底に目をやると、身の毛がよだつ光景が広がっていた。
無数の目がこちらを見ていると同時に、無数の腕が俺たちをそこへと引きずり込もうと手を伸ばしていた。
あまりの光景に口の中に含んでいた空気を外に出してしまった。意識が遠くなり、途切れる間際だった。頭上から無数の青紫色の糸が体に絡みついてきたのだ。
この糸は縁の糸じゃない……この糸は!
糸によって上へと引っ張られ、水しぶきの音を耳に捉えたときには、気づいたら陸地に居た。気管に入った水を吐き出そうとせき込み、落ち着いたところで周りを見渡した。
女も一緒に引っ張られたのか、隣で気を失っていた。体に絡みついて糸は緩んで地面に落ちており、目で辿ると銀髪の少女の後ろ姿がそこに居た。
「フォルティシア!」
「まったく、クレープ買いに戻ってきたら居なくて探したら、こんな悪霊に引きずり込まれるなんて……」
こちらに振り返ってそう言うと、湖の水面が大きく盛り上がった。そこから無数の目と腕を持った黒く大きな存在が現われた。
「あれは……なんだ?」
一年前から幽霊とか視えるようになったが、あのような存在は初めてだった。身の毛のよだつような姿に驚きを隠せなかった。
「悪霊」
「悪霊⁈」
「ここで死んでいった霊の集合体ってところかしら。ここ、いわくつきっぽいけど聞いてない?」
「そういえば……ここ自殺スポットって噂で聞いたような……」
「ああ~それだわ。1人の霊だったらそこまで力ないけど、それが集まってしまうと霊が現世に影響出してしまうほど、力ついてしまうのよねえ」
大きなため息を吐きながら語ると、無数の腕がフォルティシアに向かって伸びてきた。
「あぶねえ‼」
「まあ、私には関係ないけど」
そう言うと同時に無数の腕が細切れになった。何が起こったのか理解できていないのか、悪霊はたじろいでいるように見える。その間に、フォルティシアは指先から出す糸をあやとりのように操っていく。両手の間に網ができると、それを前へと突き出すと、
「消えなさい」
大きく腕を振りかぶると同時に、大きかった悪霊が細かく切られた。余波が周りにもおよび、水しぶきが高く波打ち、突風が巻き起こるほどだった。ブロックのように切られた悪霊の残骸は、霞のように消えていった。
ふと指を見ると、先ほど繋がっていた黒い糸は無くなっていた。もちろん女性の方も。
「すげえ……」
「ざっとこんなもんよ」
フォルティシアはこちらに振り返り、こちらに近づいた。
「ありがとう。死ぬところだった」
「まったく……」
俺は女性の方へと視線を向ける。意識は無かったが、呼吸もしているし大きな怪我もしていなさそうだ。だが、心配だったため、救急車を呼んでおくことにした。
「救急車は呼んだが、来るまで待機の方が良いな」
一段落したからか、突然の脱力感と腕の痛みが出てきた。腕を見ると、擦り傷が出来ていて、血がじんわりと染み出していた。
「桐斗、怪我してるじゃない!」
「ただの擦り傷だよ。後で絆創膏でも貼れば……」
大丈夫だと言おうとしたが、途中で止まってしまった。フォルティシアの視線が、ずっと擦り傷の方へと注視していたからだ。まるで、肉を目の前にした肉食獣のような視線だった。
「フォルティシア?」
呼ぶと、我に返ったのか急いで視線をずらした。
「何でもないわ」
いや、何でもないわけないよな。
話していくうちに救急車が来ていた。俺たちは女性が運ばれていくのを確認した後、公園を後にした。俺は服が濡れてしまっているので、案内はここでお開きとなった。
「悪いな。せっかくの観光がこんな事になって」
「別にいいわ。それにあんな悪霊、珍しいものでもないし、あの程度遅れをとるほど弱くないわ」
「ああ~、それはさっきので分かった」
俺を殺そうとした悪霊を一瞬で倒した瞬間を思い出し、身震いしてしまう。
もしかして、フォルティシアって相当強い?そういえば、吸血鬼の中でも上位の方って言っていたような。だから、弱点となる日光も耐性があるのだと。だけど、先ほどのフォルティシアの様子を思い出した。あの、俺の血を飲みたいという目と我慢している様子を。
「相当我慢してるのか?」
そう聞くと、フォルティシアの足が止まった。
「貴方が気にすることでもないわ。昔ならともかく、今の食文化って発展していて美味しいの」
微笑みながらそう言うが、吸血鬼にとって人の食事は、野菜を食べているようなものではないだろうか。エネルギーを素早く接種するには肉が必要だ。つまり、フォルティシアは野菜を多くとっているだけで、肉は接種出来ていない状態ではないだろうか。そう考えると、心配になってきた。
血を飲みたくない理由があるのか?
「なんて顔しているのよ」
心配している顔が出ていたのだろう。フォルティシアが顔を除いて、笑顔で声をかけた。
「そうそう、私浴衣の着方が分からないんだけど、桐斗分かる?」
「分かるけど……」
「じゃあ、明日着付けお願い。ついでに髪のセットも」
「いいけど、男の俺でいいのか?」
和服の着付けは仕事でやっているため、ある程度できる。だが、俺は男でフォルティシアは女だ。着付けをするということは体に触らなければいけない。
「しょうがないでしょ。吸血鬼である私を恐れていないで、浴衣の着付けや髪のセットができる友人なんて、貴方しかいないもの」
「そっか……」
友人と言われて、嬉しさが込み上げてきた。
「安心して。変な気でも起こしたら、糸で縛るから」
「……肝に銘じておきます」
「それじゃあ、明日ね」
「ああ」
そう言うと、フォルティシアは蝙蝠の羽を出現させて飛び始めた。
ふと、指を見ると、朝見たときよりもより濃い黄色になっていた。
先ほど、フォルティシアが友人と言ってくれたことが嘘ではないということが分かって、自然と笑みが零れた。
「縁正との縁も、この色していたのかな?」
呟くと同時に、今朝見た夢の続きが脳裏に浮かんできた。
2
縁正を連れてホテルにやってきた俺は、まずはお風呂に入れて綺麗にしたいと思った。ビジネスホテルのシングルルームに泊まっていたのでお風呂は小さいが、縁正のサイズなら2人入っても大丈夫のはずだ。
「とりあえず、シャワー浴びて綺麗にするか」
浴室へと案内した俺は、腕をまくって洗う準備をする。対して縁正は、見るものすべて初めてなのか辺りを見回していた。
「今の宿屋ってこうなってるんだ」
シャンプーやリンス、歯ブラシなどの用意されている物を触れたり眺めたりしながら呟いた。
「まあな。安いビジネスホテルでさえタオルとか歯ブラシとか用意してるからな。今は着替えさえあれば困らない世の中だぜ」
「へえ~」
感心しながら、服を脱いで寄ってくる縁正。
「今更だけど、わざわざ綺麗にしてもらっていいの?」
「まあ……神様って言われても見た目子供だし……それに、美容師っていう職業柄、傷んでる髪を見ると、どうも手を加えたくなっちまう」
「美容師?」
「髪を整える仕事だよ」
「ああ、髪結いのことか。桐斗は変わってるね。こんな得体のしれない存在を招いて、さらにはお世話するなんて」
「そうかなあ……」
「それじゃあ、お言葉甘えるね」
「おう、まかせろ!」
シャワーヘッドを手に取って、いざ縁正を綺麗にする作戦が開始した。お湯で頭を濡らしてなじませていくと、指に引っ掛かりを感じた。
相当、傷んでるな。
この傷んでる髪をどうにかしたい。美容師という職業柄、綺麗に整えたいという気持ちが抑えられない。それに、縁正の髪は日本では見ない金髪だ。それをこんな傷んでいてはもったいない。
コンディショナーした後に、オイルを塗れば……オイルは持ってきていたから……行けるな。あとは……。
「シャワー終わったら、髪整えていいか?」
「……いいけど、そこまでしてもらっていいの?」
「せっかくだしな。縁正、綺麗な金髪だからこんな傷んでるのもったいないぜ」
そう言うと、縁正は黙ってしまった。
「縁正?」
「くふふ……」
零れた笑い声が浴室に響いた。
「それじゃあ、お願いするね」
「おう、縁正が満足する出来にするぜ」
お湯である程度頭皮になじませたら、シャンプーを頭に付けて洗っていく。縁正の頭皮に痛みを感じないように、力まずかつ、汚れが取れるように力を調整しながら洗っていく。
「どこかかゆいところはございませんか?」
「ふふ!」
ついお客様に対応するかのように聞くと、縁正が吹いた。
「何それ?」
「お客様にシャンプーするとき、必ず聞く質問」
「ふは!」
「力加減はどうですか?痛みとかはないですか?」
俺としては、縁正が痛みを感じないように洗っているが、一応聞いてみる。
「大丈夫……優しい……優しくて……温かいよ」
縁正は、まるで噛みしめるかのように呟いた。
シャワーも終わり、体に付いた泥や砂は綺麗に取れた縁正。
俺は簡易ではあるが髪を整える道具を準備して、縁正を鏡の前に座らせた。下には髪が落ちても片付けやすいように新聞紙を敷いておく。髪を切るときは、肩にも落ちやすいから服に付かないようにポンチョのようなもの、俺たち美容師ではクロスと呼ぶものをはおらせるが、今は無い。なのでバスタオルで代用する。
「それじゃあ、どのようにしますか?」
「どのようにって言われても……あまり切ってほしくないし……」
「それでは、毛先を整える程度にしましょう。あまりにも傷んでるところを切って、長さはそのままにします」
「それじゃあ、それで……というか、いつまで敬語なの?」
「つい……成り行きとはいえ美容師として髪を切るから、どうしても接客スイッチが……」
「ふは!それも職業病?」
「まあな」
成り行きで始まった髪のカット。たとえ仕事ではなくても、ハサミを持って髪を切るからには、やはり美容師として綺麗にしたいし、満足してもらいたい。
毛先が傷みすぎている所は切っていき、ドライヤーで乾かしては切っていく。そして、前髪を切り終えたところで、縁正と目線があった。
「縁正の眼、凄い綺麗だな」
つい、思ったことが口に出た。だが、そう思うほど綺麗だった。
それは一見、灰色の眼だと思ったが、光の加減で光って見えて、まるで銀色のようだった。
「そう?」
「ああ」
縁正は頬を赤くした。
そして、ある程度切り終えて、オイルを髪になじませてカットは終了した。
「こんな感じに出来上がりましたがどうですか?」
腰まで伸びた髪はあまり切らないで、毛先だけ切って整えた後、ヘアゴムで後頭部の下の位置に縛った。目を隠すほど長くなった前髪は眉毛の長さで切りそろえた。
「すごい……」
変わった自身を移す鏡に、目を見開いて驚く縁正。
「ありがとう、桐斗」
「どういたしまして」
縁正が笑った姿を見て、達成感と満足感が胸の内に降りてきた。こういう時が、美容師やってて良かったって思う。
「この後どうする?もう日が暮れるから、外に出掛けるのはお勧めしないけど」
「そうだね……」
窓を見ると、日が沈み始めていて薄っすらと暗くなっていた。この状態で外出するのは得策ではないだろう。それに外食するにしても、縁正は俺以外視えない。それは部屋に来るときに改めて実感したことだ。誰も縁正に目線合わせないし、居ないかのようにふるまう様子に、内心困惑しながら部屋に向かったのだ。
「そういえば……」
持ってきていた荷物を漁ってみる。見つけたものは、テレビに繋げる家庭ゲーム機だ。ホテルにはテレビもあるから夜にやっていたのだ。それに、このゲーム機は携帯モードでもプレイできるから持ち運びも苦ではない。また、コントローラーも二つに分けることが出来る優れものだ。
「縁正、近年のゲームに興味あるか?」
笑みを浮かべて縁正に問いかけた。
一時間後。
「ああー!桐斗ずるい!そんなところにトラップ置かないでよ!」
「そういう縁正こそ、初めてとは思えないエグイ戦法してくるな!」
俺と縁正はテレビゲームをして楽しんでいた。最初はコントローラーの握り方とか操作方法から説明していたが、呑み込みが早いのか、数十分後には初心者とは思えないプレイしていた。
これでも、ゲームは上手い自信はあるんだけどなあ。
それから、対戦やレースゲームをしては、お腹が空いたので豪遊コンビニ飯を買ってきたり、お酒が飲みたいと言った縁正に困惑したりと、どんちゃん騒ぎは深夜まで続いた。
3
「それで、朝になったら縁正の姿が無かったんだよなあ」
一緒のベッドに寝ていたはずだった縁正の姿が、朝には消えていた。縁正自身出ていったのか、それとも俺が視えなくなったのか。今のところ、どちらかは分からない。だけど、あれ以来会っていないのは確かだ。視えるようになった今でも。
「縁正、お前どこにいるんだろうな。案外、近くに居たりして」
その問いに応えるものはなく、静寂が包むだけだった。
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