episode.37
シルヴィは今起こっていることが現実なのか夢なのか、はたまた幻想なのか分からなくなっていた。
(総監様が、私を愛してる……!?)
そんな事、ある訳が無い!!百歩譲っても有り得ない。
だって、総監様の私を見る目はいつも面倒くさそうで怪訝な目をしていた。
それは周知の事実のはず!!
だが、今のアルベールの表情は真剣そのもので嘘を言っている様子は無い。それが余計にシルヴィを戸惑わせた。
(……え?ほんとに……?……まさか、ね……)
徐々にシルヴィの顔は赤く染まっていく。
「……返事は?」
「えっ!?あ、返事……えっと……」
鋭い目で言われて、シルヴィは焦った。
(え、これは、どうするのが正解なの!?)
軽くパニックに陥っているシルヴィは、上手い返しが見つからないでいた。
「……君は……シルヴィは、私と一緒にいるのは嫌か?」
今まで見たことがない目で見つめられ、勢いよく首を横に振った。
「私の事が嫌いか?」
これも首を横に振る。
「推しは恋愛対象か?」
これには一瞬戸惑った。だが、嘘は言えず、ゆっくり頷いた。
「そうか……」
アルベールは切なそうに笑った。その姿にシルヴィの心は酷く痛んだが、仕方ない事だと割り切った。
総監様とでは身分も顔面偏差値も違いすぎる……
だが、アルベールは違う。
「ならば、私は金輪際眼鏡を外そう」
「なんですとぉぉぉ!?!?!!!」
「推しという枠から抜ければ、私も君の恋愛対象になれるだろ?」
まさかそう来るとは思いもせず、シルヴィの心は大荒れだ。
総監様が今更眼鏡を取ったところで推し枠から抜けることは正直ないに等しい。だが、そこまでして私の事を思ってくれているという事……なのか!?
眼鏡を外せば付き合えると思っているアルベール。眼鏡を外しても推しには変わりないと思っているシルヴィ。……なんともややこしい……
「私は本気だ。このまま推しだと言う理由で断り続けられるのは避けたいんでな」
そう言うと、眼鏡に手が伸びた。
「わ、分かりました!!総監様の気持ちは充分理解出来ました!!」
「ほお?で、その答えは?」
ほくそ笑みながら聞き返すアルベールにシルヴィは気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸した。
「……私は貧乏で、美人でも可愛くもないですし、眼鏡を見れば興奮する変人ですよ?」
「ああ、知ってる」
「……この関係が終わった時、総監様が他の女性と一緒にいるのを思い浮かべただけで嫉妬するような女ですよ?」
「それは歓迎……って、は?」
シルヴィがサラッと言い切った言葉にアルベールが耳を疑った。
その言葉はまるでアルベールを好きだと言っているようなもので……
「総監様は推しには変わりないですけど、その中でも特別な推しみたいです」
ニコッと微笑むシルヴィに、堪らずアルベールが抱きついた。
「もう離さない」
「へへっ、総監様も割と独占欲があるんですね」
抱き締め返しながら嬉しそうにシルヴィが言った。
「……総監ではない」
「えっ?役職変わるんですか!?」
「……君は本当に空気を壊すのが得意だな」
アルベールが呆れるように溜息を吐くが、シルヴィは至って真面目な表情でアルベールを見つめていた。
「今の君と私は部下と上司では無いだろう?」
そこまで言われて、ようやくアルベールが言わんとすることが分かり、シルヴィは分かりやすく顔を赤らめた。
(え、え、え!?これはもしかして、もしかしなくても名前を呼べって事!?)
たかが名を呼ぶだけ。それだけの事だが、シルヴィにとっては一大事。
口をパクパクさせ顔を真っ赤に染めたシルヴィにアルベールは悪戯に微笑みながら「早くしろ」と急かす。
シルヴィはゴクッと喉を鳴らし、意を決した。
「………………………あ……ある、ある…………………………」
必死に言葉にしようとするが、うまく言葉が出ない。それでもアルベールは微笑みながら待っていてくれている。
「あ、ああああ、アル、ベール様…………………………」
ようやく出てきた言葉は今にも消えそうなほど小さなものだった。
(もう、消えたい……!!)
真赤な顔を手で覆い隠しながら体を小さく丸めるシルヴィだが、アルベールは満足そうに笑みを浮かべていた。
「まあ、今は慣れずとも自然と慣れるだろう。な、シルヴィ?」
「むりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
シルヴィは堪らずベッドに潜り込むとアルベールの笑い声が耳に聞こえてきた。
❊❊❊
「そうかい。それはよかった。二人ともおめでとう」
シルヴィとアルベールはグレッグに正式に付き合う事になったと報告すると、笑顔で喜んでくれた。
「これで面倒ごとが一つ減った……」
「何か言ったか?」
「いえいえいえ、なんでもありませんよ。それより、シルヴィのお父上には?」
「ああ、正式に許可を得た」
パウルに見せられた婚姻契約書は、偽装されたものだとアルベールに教えてもらった。
まさか父の筆跡まで真似できるとは思いもせず、完全に騙された形になった。……パウル恐るべし。
今のパウルは指名手配犯になっており、しばらくはこの国に来ることはないだろうとマティアスも言っていたのでシルヴィは安心して推しであり、彼でもあるアルベールの尻を追いかけていて、医局にはいつも通りの光景が見られるようになった。
「……シルヴィ・ベルナール。何度言えばわかる?」
「ああ、私の事はお気になさらず」
「はぁ~……」
今日も今日とてアルベールの盛大な溜息が響き渡る。
「ねぇ、あれ、付き合ってるのよね?」
「ん~……」
「まあ、仕事は仕事で割り切ってるんじゃないのか?」
「それにしたって、好きな女にあの態度はなくない!?」
そんな周りの声が聞こえるが、当人達は気にしていない。
むしろ、この感じが心地いい。
しかし、たまに──
「……あまり近寄ると我慢できなくなるんだが?」
「──……ふぁ!!!!!!!!」
耳元で甘い声を囁かれ、何度か腰が砕けそうになっている。
シルヴィの最愛の推しは時々意地悪なイケメンインテリ眼鏡な総監様。
「この展開は、堪らんのです!!」
眼鏡をこよなく愛する人畜無害の貧乏令嬢です。この度、見習い衛生兵となりましたが軍医総監様がインテリ眼鏡なんてけしからんのです。 甘寧 @kannei07
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