第31話 戸籍ロンダリング

 いつもの様に起こされたわたし、だが今日のヴァンナは様子が変だ、

「ニコレッタ様、本日の朝食です」

「ちょっと猫の餌でも、もっと多いよ!」


 金魚の餌くらいの朝食を食べたら、メイドの大群がやって来て、湯浴みや髪を梳いてくれる、いつもの羊人のメイドではなく、生え抜きのベテランメイド達だよ。

 ピンクのフリルのついたドレスに着替えさせられたら、レナーテ先生がやって来た。

「さぁ、ニコレッタ様、既に聞き及んでいると思いますが、本日は大切なお客様を出迎えする日でございますよ」

 いえ、初耳ですけど?



 シルクをふんだんに使ったドレス、髪は今までにないくらい複雑に編み込み、顔には薄っすらとお化粧まで、

 玄関ホールで所在無さげに待っている、その間も貴族の表情を崩してはならない、まさに人形に成りきる。


 そんな人形の顔に黒い影が横切る“飛空艇だ”

 レッケブッシュ伯爵は飛空艇を大量生産すると言っていたけど、あんな豪華飛空艇まで造っていたのか、

 船体の後部が完全にクローズされ風に当たる事無く快適に空の旅が出来る様にした豪華なゴンドラ、

 その姿は昔の帆船みたいだ、ガラス張り艦尾からはアンティークの家具みたいな風格が漂っている。


 やがて玄関に貴人とおぼしき人達がやって来るが、予想通りレッケブッシュ伯爵とグートシュタイン公爵じゃないか、

「これはグートシュタイン公爵、この様に再び会いまみえる事ができ、わたくし嬉しさが隠せません」

「ニコレッタ嬢、久しいな、そなたの事はまだ子供だと思っていたが、なかなか立派な淑女ではないか」


「グートシュタイン殿、ニコレッタ様はここの館で療養してすっかり元気な身体を取り戻しましたぞ」

 おい、レッケブッシュ伯爵、お前何言っているんだ?

「うむ、その様だな、礼を言うぞレッケブッシュ伯爵」

「御息女の健康な姿を見られる事がわたくし達の喜びでございますゆえ」


「旅でお疲れのご様子、こちらの部屋でひとまずお休みになられてはいかがでしょうか?」

 もはや服と言うよりも糊の塊みたいなビッチリした侍女服を着たレナーテ先生、が控室に案内する。




 奥まった部屋に通された三人、メイドが優雅な仕草でカップを置くと、そのまま姿を消した、

「さて、ニコレッタ嬢、今日私が来た目的は知っているかな?」

「まったく知りません、羊の国に忘れ物でもいたしたのですか?」

「大切なまな娘を忘れたので引き取りにきたのだ……」


 この前の戦役では飛空艇が大活躍、

 その功労者は名前の知らない幼女だった、どうやらレッケブッシュ伯爵が囲っているようだから、何とかしてお近づきになりたい貴族が後を絶たないそうだ、


 その程度ならば良いけど、もっと高位な貴族から命令されたら、ニコレッタを差し出さなければならなくなる、

 そうなる前に先手を打ってグートシュタイン公爵の娘にしておこうと言う考え。


 公爵の第二夫人は9年前に出産で母子ともに命を落とした、と言う経緯があるので、ニコレッタはその時の子供と言う事に、

 ちなみに貴族は養う事が出来れば何人でも妻を娶る事ができるそうだよ、

 第一夫人とその子供は王都に住まわせ、第二夫人は自身の領地が一般的だそうだ。


 公爵の第二夫人ヴァレンティーナと言う女性だが、身罷われた後はその妹のマルヨレインと言う女性が後釜に入ったそうだが、子供はまだ無い。

 更に都合の良い事に私の外見は亡くなられた夫人にそっくりだそうだ、ちょっと嫌な気持ちが心の奥に澱の様に溜まる。



「……私はヴァレンティーナの忘れ形見と言う訳ですね」

「どうだ、今までの不安定な立場よりも公爵令嬢の方が色々動きやすいぞ」

 それはどうだろう? しがらみが増えそうな気がする、田舎でひっそりと飛行機開発をしていたかったのだけど、そうもいかない訳だね。



「私に公爵令嬢などが務まるのでしょうか?」

「問題無いだろう、行儀作法の講師がしっかりしているからな」

 いきなりレナーテ先生の授業が厳しくなったのでおかしいと感じていたが、

 グートシュタイン公爵家に行くのは既定事項だったわけだ、

 ちょっと業腹な気もするけど、この機会を利用しない手は無い。


「グートシュタイン公爵は私の父親になる訳ですね」

「そうだ、正式に貴族になれば権限も増えるぞ、不満かね?」

「いえ、突然の事で驚いているだけですわ、

 ところで親子ならば、子供が親におねだりをするのは当たり前ですよね?」

「もちろだ、だがあまり高いドレスや宝石はダメだぞ」

「そんな物をねだったりしませんわ、魔石が欲しいだけです」


 私のおねだりにキョトンとしているグートシュタイン公爵、レッケブッシュ伯爵はこちらの意図を悟ったのであろう“この娘は”みたいな表情をしている。

「しかし魔石などどうすると言うのだ」

「まずはご覧になった方がよろしいかと」



 ◇◇



 夏の館からエプロン地区まで、普段なら歩いて行くところだが、今日は大きな車輪の箱馬車に乗ってわずかな距離を移動、羊人の力を使いあらかじめ知らせてあったので、飛行工房の全員が機体の前に整列していた、ただ一つのイレギュラーは伯爵令嬢、

「フェルナンダ、そなた何と言う出で立ちをしている」

 レッケブッシュ伯爵は顔を真っ赤にして娘を叱る、


 公爵様にお目見えだと言うのに、皮のツナギと飛行帽と貴族らしからぬ装い、

「あら、お父様、これは皆さま方を新しい世界に連れて行くために必要な服ですわ」

 父親の怒りなどどこ吹く風と言った様子だね。

「グートシュタイン公爵、レッケブッシュ伯爵、とりあえず乗ってみましょう」


「ニコレッタよ、これは飛空艇と違うな」

「ええ、まったく違います、気球や飛空艇をあっという間に追い越した存在ですわ」

「やけに横幅が広いな、まぁ良いほれベルナルドはようせんか」

 へぇ~、レッケブッシュ伯爵はベルナルドと言う名前なんだね。


「公爵様、父上離陸するまでは危のうございます、座席ベルトを締めてくださいませ」

 フェルナンダ、わたしが行儀作法の授業を受けたり、設計室にこもっている時間もひたすら飛んでいるので、パイロットとしての技量はすっかり上がった。

「それでは皆さんトレイスの空の旅にようこうそ」

 この飛行機名前は特に決まっていなかった、設計図面に書かれていた3の数字をそのまま呼んでいるだけだが、いつの間にか固有名詞に定着した。

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