第21話 シーラの初飛行

 一年前の私は何をしていたのだろう? 森の奥で罠を仕掛けラバンを弓で狙っていただけの日々だった、

 ニコラが来て、私の生活は一変した、二人だけののんびりした暮らしは今までで一番充実していた時期かもしれない、

 だが秋が深くなる頃色々な事が起き、館に来て護衛騎士の特訓を受け、春の息吹を感じる今は飛行機で空を飛ぼうとしている、


 ニコラではなかったニコレッタ様がやって来て私に声をかける、

「シーラ、テトラ、お願いしますね」

「簡単に飛んで見せますよ」

「失敗しても寒中水泳すれば済むだけの話だし」

 二人で笑うけど、こういった軽口を言うのは緊張している証拠。


「ここで跨るの?」

「はい、後はみんなに押してもらいます」

 私とテトラは飛行機に跨る、最高品質のサンギュリアンの毛皮で作ったツナギの飛行服、腰のハーネスを機体に結び付ける、飛ばされたら落ちるだけでは済まない、ラダーに身体がぶつかって真っ二つになってしまう、

 後ろに跨っているテトラが私の尻を二回叩く“完了”の合図だ、


 整備員たちに押されて機体は滑走路の端に行く、これまで何十回と練習してきた地上滑走訓練で見慣れたランウェイエンドからの景色だが、今日だけは違って見える、

“滑走路、こんなに短かった?”


滑走路の脇に建つ塔の上から “飛行可”の旗が上がる、あの塔の上にはニコレッタ様も見ているはず、田舎猟師の私を空まで届けてくれるとは、不思議な娘だ、

“エンジン始動!”大声で叫ぶのは後ろのテトラに伝える為だ、物凄い勢いで空気が吸い込まれていくのが分かる、両脇の整備員に合図をすると、チョークを外された。


 両脇に雪の残る滑走路、ブレーキを解除した機体はスルスルと進んで行く、何度も練習した地上滑走だが、今回は速度制限無し、皮のマスク越しにも物凄い風圧がかかっているのが分かる、

 突然車輪の音が消えた、目の前は湖の代わりに大空、初飛行はあまりにもあっさりだった、


 水平飛行に移り眼下を見る余裕が出て来たが、湖はあっという間に飛び越していた、気球での移動は速いと思っていたけど飛行機での移動は別次元だ、トロットとギャロップ以上の違いが有る、

 後席のテトラが左のお尻を叩く“分かっているよ、左旋回だね”

 スロットルをほんの少し増やし、操縦桿で機首をちょっと上げて左に倒す、

 後席のテトラはラダー操作をしてくれているみたい、傾いているけど不自然さは感じない、

 全力で駆けていて曲がる時は身体を傾ける、その感覚が一番近い。



 機体は左に傾くと、たった今飛び越した湖が眼下に、ニコラの言っていた三次元の機動の意味が理解できた、私達は鳥と同じ世界にいるのだ。



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 まるで整備員達の気持に押し上げられたかの様の空に浮かんだ実証機は予定通り湖の上空まで飛んだら左旋回、こちらに向かってくる、

『おーっっ』

 こちらに向かって来る機体を見て、周りからも安堵と喜びの歓声が上がる、


 そのままニコレッタ達のいる管制塔の上空を通過する。

 高度は百M程度だろう。

 エンジンは積んでいるが、内燃機関ではないので“シュー”と言う 風切音だけを残し山側に飛んでいく。

「二本並んだドワーフの塔で右旋回の予定です」

「現在の高度約百五十!」

 管制担当メイドのが言う。

「どうして高度が分かるのだ?」

 レッケブッシュ伯爵が管制官に問う。

「ドワーフの塔の、くびれた部分がだいたい百歩ですから、そこから概算したのですよ」

 知的な紅色の瞳、双眼鏡を片手に持った管制官がニッコリ笑って、伯爵に告げる。


 気球の時から目印として使っていた謎の建造物だが、ランドマークとして便利この上ない。


「右旋回完了しました。 ラダー、エルロン共に問題無し! 

 進路をR/Wに沿って飛んできます」

双眼鏡で機体の状態を逐一報告してくれる管制官、

二回目の旋回はコツを掴んだのか、高度を落とす事無くキレイな旋回、

 空の上に大きな8の字を三回描いて機体は着陸体勢に入った、

 迎え角を取って上手に速度を殺しながら、柔かな着陸、


 初飛行の後は初着陸、私が教官ならシーラの着陸は“優”をあげても良いレベルだった、あっという間に機体の癖を掴んだ、かなり優秀な部類だね、


 想像よりもかなり短い距離で止まった機体はクルリと向きを換えこちらに向かってくる、

 整備員達は一斉に機体に向けて駆けて行く、

「あなた達、飛行機の周りは危険よ!」

 レナーテ先生が叫ぶが、そんな事を聞く状態ではない、気がつけば冷静な管制官の女性まで、駆けて行くのが見える、


 実証機は整備員達が集まって押して戻って来るが、その姿はまるでお神輿みたいだ、

「みんな、報告が先よ」

 この場にいる最高位者レッケブッシュ伯爵に報告をしなければ、貴族の社会と言う物は建前が大事、あっ自警隊もそうだったか。


「報告は必要無い、そなた達の成果はこの目で見せてもらった、今日は料理人達に御馳走を作る様に言ってある、存分に楽しめ」

 管制塔と言う名の木組みの塔の上から演説するレッケブッシュ伯爵に整備員達は大騒ぎ、

 それにしても人の心を掴むのが上手い人だね、さすが貴族。


「ニコレッタ、たいしたものだな」

「ありがとうございます、伯爵様」

「飛行機を使って何をしたい?」

「自由に空を飛びたいですね、誰でも自由に空を飛びまわれる、そんな世界になれば良いと思います」

「   ……   」

「今飛んだのは実証機です、これから実用機の製作を手掛けて行きたいと思おいます、あっご心配なく設計はほとんど済ませておりますからいつでも作業に入れますよ、

 その代わりといっては何ですが魔石が必要になりまして……」


 しばしの沈黙の後、

「いや、その必要はないだろう」

「伯爵様、それはどの様な意味でしょうか?」



 工房は飛行機から遠ざかる事になった。

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