望月凛奈

 帰らせようとする志郎に謎の言葉を放ち、部屋に居直った凛奈。しかし、志郎は凛奈の言葉に何の疑問を抱くことなく彼女の指示を待っている。

 そんな志郎の様子を確認した凛奈は先程までとは打って変わって瞳にハイライトを取り戻すと志郎に尋ねた。


「さてと。志郎? あなたは私をまだ好きでいてくれてる?」


 無言で首肯する志郎。それを見て凛奈は安堵し、続ける。


「じゃあ何で別れようって言ったのかな?」

「俺は、凛奈の、邪魔になるから」

「ん~……昨日の邪魔者だよねぇ。余計なことを……志郎、こっちにおいで」


 困った顔で志郎を呼び寄せると凛奈は志郎にベッドの上で横になるように指示をする。その間、志郎側の抵抗は一切ない。言われるがままだ。凛奈はベッドで横になった志郎の隣に入り、顔を自分の方に向けるとそのままキスをした。


「ふぅ。取り敢えず今日の分、と」


 彼女はいつも通りのルーティーンをこなしていく。それはキスに始まり、ハグへと続く行為だ。それ以上はまだ彼から求められていないので我慢する。


「ん~っ、はぁ……よし」


 毎日欠かさず行っている日課で癒されたことで少しだけ心に余裕を取り戻した凛奈は本題に入ることにした。ただ、本題とは言ってもただの確認だ。優秀な頭脳を持つ彼女からすれば現状の問題が起きた理由など昨日の出来事から簡単に推測出来る。

 彼女が幾つか質問をしていけば案の定、志郎は凛奈の想定する内容とほぼ同じ思いを吐露した。そして志郎が吐き出した思いを吸った凛奈は多量の不満を抱えた。


「はぁ……何でこう、そんな簡単に折れちゃうんだろうなぁ。私のためって言うならもっと独占欲とか出してよ」


 志郎の額を白い指で突きながら凛奈は不満を吐き出した。しかし、逆の手では志郎を強く抱き寄せ続けている。文句は言うが、志郎を離すつもりはないようだ。

 しばらくそのままの体勢で凛奈は志郎を抱き続けて額や頬などを突いていたが、彼の反応は特にない。凛奈はやがて大きな溜息をつくと彼を両手で抱きしめた。


「まったくもう……毎日茶番に付き合ってあげてるのに全く進展させる気ないし、私じゃなかったら愛想尽かしてるからね? そこんところ分かってる?」

「はい」


 虚ろな目で頷く志郎。本当にわかっているかどうか怪しいが、凛奈には関係ない。今の彼の心には響いてないだろうが、深層心理には蓄積しているのを知っているからだ。こうやって彼女は志郎の無意識の行動すら操っていた。


「分かっているならそれは許してあげる。でも志郎? 別れるのだけはダメって、前にも言ったよね?」

「はい」

「何で言うこと聞かないの?」

「凛奈の、邪魔したく、ない」


 想定通りの志郎の答えに凛奈は深く溜息をつく。予想はしていたが、凛奈にとって望ましい状況ではない。以前も似た状況に陥ったことはあるが気に入らない。

 あれは中学校の卒業間近の出来事だ。中学二年生頃から少し疎遠気味になっていた彼はあろうことか凛奈に志望校も何も言わずに卒業しようとしたのだ。

 当時から絶対に離れるつもりのなかった凛奈は新年を迎えた後になっても何も言わない志郎に業を煮やし、我慢し切れずにその時初めて非常手段としてこの催眠と洗脳という技を使い、彼の心情を知って色々と調整することになった。

 その後、凛奈は志郎に対して謝罪の意味も込めて自分に対して催眠術をかけて好き勝手していいと何度も念入りに洗脳している。

 ついでに彼にはその催眠術は完璧で、生命を脅かす問題以外の志郎が命令したことに凛奈だけは絶対に従うという認識も持たせていたのだ。それくらいしなければ根が善良な志郎は自分に催眠などかけて来ないことは重々承知していた。

 だが、凛奈がそこまでしても志郎はプラトニックラブ程度の内容で欲望を内に留め続けているのだ。


(私ってそんなに魅力ないかなぁ? 有象無象はさておき、志郎も一応は私のことを好きだって言ってくれてるのに……)


 理性の鎖は既に解き放っているのに無意識でこういう反応をされるとなると志郎の方から迫ってほしい凛奈としてはお手上げだ。今回も修正を入れるつもりだが、そろそろ凛奈の理性が崩壊して良心が砕け散りそうだった。


(どうしようかなぁ……出来れば素の志郎が欲しいんだけど、離れようとするし……やっぱり少し私好みに変えちゃおうかな?)


 凛奈としては、出来れば彼の人格に影響を及ぼさない範囲の微修正で済ませようと思っている。だが、そうも言っていられないかもしれない。最近の志郎の修正回数を考えると凛奈も本気で一線を越えたくなっていた。


(私にしては我慢した方だよね? ライン越えしてきたのは志郎なんだし、ちょっとくらいはいいと思うんだけど……)


 凛奈の優秀な頭の中に邪悪な誘惑が満ちていく。しかし、志郎を強く抱きしめ、その愛しい顔を至近距離で見ている内に悪い考えを何とか押しとどめた。

 それでもどうしても湧き上がる感情があるため、それを宥めるために彼女はいつもより少し大きめの介入をすることにする。


「ふぅ。仕方ない。いい? 志郎。あなたは何も知らない私に催眠をかけて自分の欲望のままに動かしたの。だから、責任を取るべきよ」


 特大ブーメランだ。だが、凛奈の方には全身全霊をかけて志郎を幸せにする覚悟がある。対して、空っぽの志郎はただオウム返しするだけだ。


「責任」

「そう。私と付き合って、結婚して、円満な夫婦生活を送ることが出来るように努力しないとダメ。いい?」

「頑張る時が来た?」


(あぁ……そう言えば何かを本気でやりたいと思わない限り、私がいいって言うまで全てにおいて頑張らなくていいって言ってたわね)


 強めの感情を宥めるのに神経を費やしていた凛奈は以前虫除けと志郎の健康管理のために行った催眠と整合性が取れないことを言ってしまったことに気付く。

 しかし、修正中に重ねての修正は志郎の無意識に違和感を与えてしまうことになるため、言葉を選んだ。


「ちょっとだけね。でもいい? 前みたいに無理したらダメ。それに私としては無駄に目立つことは出来ればしないでほしいな。勉強とかスポーツとか、そういうのは私と付き合ってから頑張っても遅くないんだからね?」

「……はい」

「逆に言えば、頑張りたいなら私に告白すればいいってことだからね? 色んな人を見返したいと思うようなことがあったらまずは私と付き合うこと。いい?」

「わかった」


 取り敢えず前処理は済ませた。本題も志郎が素直に前処理を受け入れてくれたことで凛奈の荒ぶる感情も少しは落ち着いてくれたため、穏便な方向で済みそうだ。


「じゃあ、話を戻すよ? お別れはダメ。志郎が告白してから付き合うんだから」

「はい」

「よしよし。それを忘れなければ大丈夫よ。私は志郎と一緒になるためなら何でもするからね? いい?」

「……はい」


 捉えようによっては恐ろしいことを言っている凛奈。しかし、彼女の偽らざる本音だった。自分の要求が通ったことで満足した凛奈は再び志郎を強く抱きしめる。


「じゃあ、今の私のお願いは心の奥深くにだけ覚えて、いつもは思い出さないようにしてね?」

「はい」

「志郎はいい子だねぇ。大好きだよ。心の底から、本当に」


 愛しの彼の頭を撫で、更に強く抱きしめると凛奈は志郎に告げる。


「さて、そしたら今日はいつも通りの日を過ごしたことにして……明日からまた私と遊ぼうね?」

「はい」

「それじゃ」


 志郎の額にキスをして凛奈は再びキーとなる言葉を紡いだ。


「Sweet dream、志郎。あなたらしいあなたになって」


 その言葉を聞いた志郎の意識は次第に覚醒していく。そして我に返った時、彼の目の前にはまだ瞳のハイライトを失っている状態の凛奈がいた。


「あれ? もうこんな時間か。ちょっと遊び過ぎたな……」


 今までのことが嘘だったように時計を見て首を傾げる志郎。彼は自分の記憶に何の違和感も覚えていないまま凛奈に告げる。


「それじゃ、凛奈。もう帰っていいぞ。今日は楽しかった。また明日もよろしくな」


(うん、また明日)


 凛奈の内心のことなど何も知らない志郎はいつも通りに凛奈が催眠にかかっていることを疑うこともせずに彼の部屋から凛奈を送り返すのだった。


(また明日、明後日、明々後日……ずっとずっと一緒だからね?)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

下克上には程遠い 古人 @furukihito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ