第8話 難破船

 二十六世紀の宇宙旅行は表面コーティング宇宙服の開発で、体を液体につける、つまり湯船のような液体のお風呂につかるだけでよくなった。皮膚に直接、粒子がしみこみ、大気のない過酷な環境でも約10日は、船外活動が普通の生活環境で約束された時代であった。


 また酸素も軽量酸素吸入キャンディーが開発されたおかげで、口の中に入れたときに圧縮された固形酸素が、唾液により戻り、O2化して純度の高い酸素を口内に供給出来る。


 これら二つの大発明のおかげで、重力脱出のGショックさえ耐えられる肉体を持った者なら、誰もが自由に宇宙旅行を楽しめる時代になった。


 ツアーコンダクター兼旅行執事のワタナベは、ツアー客の富裕家令嬢、宝子のお供をしてもう五日目である。見た目、荒野とクレーターばかりのアルファケンタウリ第六惑星イプシロンに不時着したためである。


「ねえ、ワタナベ。まだ帰る方法分からないの? パパに怒られちゃうわよ」と宝子。宇宙日傘に、ローブデコルテのようなドレスと長手袋の旅姿で、ひとり解決策を見いだそうと必死のワタナベを急かす。宇宙船の船外デッキの上だ。


 ワタナベは入社二年目の新人添乗員。甘いマスクに若い女性のファンが多い。ところが仕事がからきしパッとしない。やっと手にした自分の企画ツアーが、この有様である。


「フユー・ユニバース・コンツェルンの宝子様にこのような失態。私としても、どうしてよいか。再び策を練ります故、また船内にて、しばしご休憩ください」




 そう残すとワタナベは宝子から離れた。甲板の端から地面に下りると、人間の居住地域がないかを探しに出かけた。


「もう、鈍感なんだから、わざと不時着させた私の恋心が分からないかしら?」


 どうやらこの難破は、宝子のワタナベを逆ナンパするためのものだった。


「仕方ないわね」


 そう呟いて、宝子は一旦船内に戻ると、普段着に着替える。そして、コーティングとキャンディーの確認をしてから船外に出た。重力が地球とほぼ一緒のため、特に歩行や運動には支障が無かった。


 彼女はどこかに行こうとしていたが、連絡方法を探しに出たワタナベが、なぜかそこに戻っていた。


 ワタナベが心配そうに言う。


「宝子様。困ります。勝手に行動されては」と半ばべそをかいたような表情だ。


「お客様にもしものことがあったら、当社としましてはお詫びのしようがございません」




「悪かったわ」と宝子。


 船内に戻ると、宝子はワタナベに、


「ねえ。このまま、……漂流したままだったら、私たち結婚しましょうよ」と言う。


 ワタナベは、驚いて、


「何をご冗談を」と緊張して直立不動のまま、体を背ける。額には夥しい量の汗がしたたる。


「だったら早く居住地区を探すか、救援船を手配するのね」と笑う宝子。


 彼女はバスタオルを抱えると、ひとり浴室ルームへと去って行った。


 ワタナベは再び、船外活動へと戻り、居住区や救難信号の発信器の捜索を始めた。しかし彼の視界には相変わらずの荒野が広がっているだけだった。


「なんとしても、彼女のお命だけでもお守りしなければ」


 ワタナベは、責任感の強い男だった。


 彼の姿は荒野の果てで米粒大になった。今度こそワタナベが、彼女の視界から消えたのを船内で確認する。


 彼女は再び船内ハッチを開けて、梯子を下りる。地面に足を付けると、足早に近くにあるクレーターの中に下りていく。




 クレーターの外輪部分には内側からでないと見えない扉がある。彼女はその扉をこじ開ける。そこにはエアークリーナにより居住環境を整えられた、フユー・ユニバース・コンツェルンの分譲住宅地、フユー・ザ・イプシロン緑の里という別荘地が広がっていた。


 その分譲地の入口にある売店で、


「また来たわ」と店員に親しげに挨拶する。


「これは宝子様。まだこの星においでなのですか?」


「うん。居心地がいいから、もう二、三日滞在するわ」と返す宝子。


「もし何かあれば、すぐにお父様にご連絡できますが、いかがでしょう」と店員。どうやらこの売店もフユー・ユニバース・コンツェルンの系列店のようである。


「大丈夫。そろそろ決着が付くから」と言って、表面コーティング入浴剤と軽量酸素吸入キャンディーを購入した。


「何かありましたら、いつでもお申し出ください」


 売店の店員は深々と頭を下げる。


 彼女は居住区の扉を閉めると、来た道を戻る。クレーターの外輪部分を上がって、宇宙船に戻る。ほんの五分とかからない。


 船に戻ると彼女は満足げに笑って、浴室へと向かった。宝子は浴槽に今さっき購入した表面コーティング宇宙服の入浴剤を落として、湯船につかる。


「何日でも粘るわよ。ワタナベくん。わたし、もう決めちゃったんだから♪」


 彼女は鼻歌交じりに、笑いながらそう呟いた。快適な住環境を満喫する宝子。


 その頃、なにも知らないワタナベは、額に汗しながら、残骸となった年代ものの難破宇宙船の通信機が使えるかの確認に精を出していた。ある意味では、難破よりも過酷な結果が待っている、兵糧攻めに等しい恐るべきナンパであった。


                        了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る