第7話 スイーツ・マニア
リトル・アースには、太陽系の地球と同様に衛星が一つ回っている。銀色にも黄色にも見えるその姿には、かつてこの星に移住してきた人々が暮らしていた母なる故郷、地球の面影があるという。
十五夜の月が空にみえるとマリー・カグヤは頬杖をついてため息をついた。もうすぐ三十歳が近い。いつまでも夢見る世界に浸っているわけにもいかない。彼女のまわりの人々が彼女をせき立てるように口にする台詞だ。
だが彼女は決して夢見る性格でも、男を選りすぐりして、値踏みをするような性悪な人物でもない。彼女の意志は、一貫して、「をかしの香を与えてくれる人と添い遂げたい」というものだった。
快適な酸素サプライマシンが星中の大気を安定させているリトル・アース。遠い昔の移住者が地球に似た惑星を探して開拓した星だ。その星で生まれた彼女は、お菓子と一緒に、山のように届く求婚の恋文を断り続けていた。
トレモロの呼び鈴がして、母親がマリーの部屋に入ってきた。
「マリー。リトル・アースの議長さんの息子さんが、モロンバンとコロゾフのお菓子の詰め合わせを贈ってきたわ。鶴屋万年堂と明文堂のカステラを組合長の息子さんから頂いたし……」と伝える。
「うん」
一言だけ、彼女は答えるが、残念そうな面持ちである。
「もう家の納屋は、お菓子の詰め合わせで満杯よ。あなたがお菓子の香りが好きなんていっているからよ」と母親はあきれ顔である。
そして、「いつまでも夢見る少女気分ではいられないこと、あなたも少し気に掛けた方が良いわ」と加えた。
母親が部屋を出て行くと、彼女は三面鏡に映る窓の月を見ながら再びため息をついた。
「そうじゃ、ないのよ」
一人呟く彼女のけだるい言葉は、誰のための言葉でもなかった。
次の朝、宇宙郵便の書留が彼女宛に届く。母親がいつものように彼女の部屋に持ってきた。
「今日のはいつもと違う贈り物ね」
母親の手にある封筒の文字に目をやるマリー。
『リトル・アース 1234居住区 4321エリア マリー・カグヤ様』とあり、差出人はかつてホーム・ステイをした地球のパリに住むルイ・ツキシマからのものであった。
「ルイくん?」
その薄っぺらな封筒には。『With Love』の文字がある。
「この人は、あなたの条件を知らないで愛だけを贈ってきたのね。独りよがりの痴れ者だわ。折角、地球なんて優等星に住んでいるのに残念な人。条件を満たしてこそ、求婚の参加資格があるのに……」
母親はそう告げて、残念そうにマリーに、薄っぺらな封筒を渡した。
マリーはペーパーナイフで、封筒の口を丁寧に切る。すると中にあったのは、一枚の写真とそこに貼られた一筆箋だった。
その写真は、朝焼けと朝霞に、おぼろげに浮かぶ山々の美しい風景であった。まるで枕草子の「つとめて」や「あけぼの」の時間が、彼女の心の中に飛び込んでくるような夢景色である。そして一筆箋には、「あかねさす むらさきのいき しめのいき のもりはみずや きみがそでふる」と恋の歌が一句達筆にしたためられていた。
彼女は、「なんて、をかしの香がするんでしょう。ああ、恋い焦がれてしまいます」とその写真と一筆箋を抱きしめて、満足げな表情を浮かべていた。
母親は、「菓子のかの字」も見当たらない、彼女の抱えるその郵便物を不思議そうに見つめながら、首を傾げた。
「おかあさん。私はこの方の元に参ります。宇宙牛車(ぎっしゃ)サービスを手配して下さい。そして文金高島田の出来る髪結いさんと、白無垢と金襴緞子の帯を特注して下さい。その他の趣のある小物を、地球の西陣から手配して下さい」
あまりの娘の思考回路の急展開に少し戸惑っていたが、母親は我に返るように、「わかったわ」と返事して、彼女の部屋を出た。
マリーは、文学を愛し、趣のある風情を愛していた。「をかしの香を与えてくれる人と添い遂げたい」とは、そういうことだったのだ。それを理解できる人を待ち望んでいたのである。「をかし」は、決して「お菓子」ではなく、心や目に映る美しさを肌で感じることが出来る感性であった。彼女は、ただシンプルに、そんな同じ気持ちを持った人物と添い遂げたいと思っていただけなのである。高望みでも、食いしん坊でも、ましてや夢見る少女でもない歴とした大人の女性と言うことだ。
その後マリーは、地球へとお輿入れをして、幸せに暮らしたという。主人のルイと一緒に「もののあはれ」や「いとをかし」を大切にしながら。
了
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