第15話 死闘

 アリサが厩舎きゅうしゃでロマンと語らった翌日。

 夕方の訓練場で、シエルは迫りくる攻撃をさばきながら驚愕していた。

 一晩にして、向かい合うアリサの気迫がまるで別人のようになっていたのだ。

 シエルはアリサの攻撃を横へいなして、再度、攻勢に入る。

 訓練である以上、本気で打ち込んでいるわけではない。が、それでも昨日はまともにさばけてもいなかったと言うのに、今日はこちらの隙を突いて反撃して来る。

 アリサはシエルの槍による突きを盾で強く弾いて体勢を崩させると、そのまま素早く踏み込んで、手にしたランスで突きを放つ。シエルは後ろに大きく後退してかわす。

 しかし、アリサはすかさず踏み込んできて、執拗に追撃しようとしてくる。

 シエルは伸び切った手を何とか引き戻し、ランスの突きを槍で受け流した。

(一撃一撃が重い……! 一体何があったと言うの!?)

 びりりという音と共に服が破けた。受け流したつもりが、体をかすめていたらしい。

 鍛錬を終えると、シエルは何も言わずに訓練場を去った。追いかけて来たマリアナが背後から何か言っていたが、頭に入らなかった。

 

 シエルとマリアナが去った後、訓練場の端から見ていたロマンがアリサの元へやって来た。

「……俺から戦闘について言えることはもうない。あとは、心の準備を済ませておくことだ」

 向かい合うと、開口一番にロマンは言った。

「心の準備? もう、迷って動けないことなんてないよ」

 アリサは冗談を言って笑った。自分でも不思議なほど、心は晴れやかだった。

「ああ、だが、まだ話すべき相手が居るはずだ」

 ロマンは含みのある言い方をする。

「あ……!」

 アリサの頭に一人の顔が浮かんだ。

 

 急いで寮の部屋に戻ると、アルマが強張った顔で「おかえり」と笑いかけてきた。

「あ、ただいま……」

 と返事をすると、訓練用の武器を下ろして、ドアの横の壁に立てかける。

 二人の間に気まずい沈黙が流れる。

「決闘」による対戦が決まってからというものの、アルマとは言葉をほとんど交わしていなかった。

 アリサはゆっくりと自分のベッドに腰を下ろすと、アルマの方を見る。

 アルマは部屋の同じ場所に立ったまま、こちらを見ていた。

 目が合った二人は慌てて視線を逸らす。

 しかし、アリサは意を決してアルマの方をもう一度見る。

 するとアルマも同じような表情でアリサを見ていた。

「あの……!」

 アルマが先に口を開いた。

「明日は、お互い頑張ろうね!」

 真っすぐアリサを見て言った後、またアルマの視線が部屋の端へと逃げて行く。

「……って、伝えたくて。気まずいまま明日を迎えるの、嫌だから」

「うん……!」

 アリサは思わず顔を綻ばせていた。

 アルマも同じように考えてくれていたようだ。

「私ね……」

 アリサは膝の上で重ねた手をもじもじとしながら言った。

 アルマは視線をアリサへと戻す。

 今度はアリサが目を伏せて視線を避けている。

「どうしたの……?」

「……将来のことなんて何も考えてないけど、強い人になりたい。みんなのこと、守れるくらい」

 そして、アリサは伏せていた目をアルマへと向けた。

「だから、負けたくないの。弱いままじゃ、アルマのことも守れないから」

 アルマは目を丸くして、アリサを見つめ返していた。

「……そっか、うん」

 と頷いた後、アルマは意地悪な笑みを浮かべる。

「でも、私、強いから覚悟してね?」

「うん……知ってる」

「ちょ、アリサ。冗談のつもりだったんだけど……?」

 アルマは顔を赤くして恥ずかしそうに言う。

 二人は顔を合わせ、声を上げて笑った。

「……私、アルマのこと、親友だと思ってる。明日がどうなってもずっと……。だから、お互い全力で頑張ろ」

「うん!」

 その日の夜、二人はいつものように賑やかに話をして眠りについた。

 

 朝。

 アリサは目を覚まし、ベッドから身体を起こした。

 よく眠れた。

 ベッドの上で身体をぐっと伸ばした後、部屋を見回す。

 部屋の反対側のベッドを見るが、アルマは既に居なかった。

 アルマは「決闘」の日、決まって早くから訓練場で準備をしている。恐らくすでに訓練場に居るのだろう。

 ベッドを出ると、顔を洗い、身だしなみを整えた。

 訓練用の防具を身体と手足に着用し、最後に使い込んだ訓練用のランスと大きな盾を背中に背負った。

「決闘」の会場である闘技場へと赴く。

 既に観戦者が集まっている。恐らく大部分は先々のことを考えてアルマの魔術を観察しに来たのだろう。誰も現れたアリサのことなど眼中にもない。

 ただ、闘技場へと降りる階段の前のシエルとマリアナだけがアリサを見ていた。

「……昨日のような動きが出来れば、勝つ可能性は十分あるはずよ。行って来なさい」

 シエルが言う。その背後でマリアナが両の拳を握って頷き、無言のエールを送る。

「うん」

 アリサは短く返事をした。ふと、シエルの向こう側に、腕組みをしたロマンがこちらを見ているのが見えた。視線が合うと、彼は軽く頷いた。

 階段を下りて行く。

 向かい側の階段の上からは、ヒルデグントが不安気な表情で、胸の前に手を組みながら見下ろしている。

 闘技場の中央には既に準備万端のアルマが立っている。いつも見せるような明るい表情は消え、戦いに臨む一人の闘士の顔になっている。

 審判をするラディクも腕を組みし、降りてきたアリサを横目で見ながら待っている。

 後は、アリサが向かいに立って準備をするだけだ。

「アリサ、良い勝負にしようね」

 アリサが向かいに来ると、アルマは真剣な顔に一瞬、笑みを浮かべた。

「うん、全力勝負」

 アリサは背中に背負っていたランスと大きな盾を構える。

 ラディクは二人の表情を見て準備が完了したと判断し、片手を上げる。

「それでは、始め!!!」

 と鋭く宣言した。

 

「先手必勝!!!」

 とアルマが叫びながら、雷撃を放った。

 アリサはすぐに反応し、雷撃を横へとかわす。

 同時に、左手に持つ盾へと魔力を収束させて魔氷晶で覆う。

 矢継ぎ早にアルマが二発目、三発目の雷撃を放つが、アリサの魔氷晶で覆った盾が容易く阻む。

 アリサは、昨日にロマンと打ち合わせていた話を思い返す。

 

「前にも話したが、魔術の応酬では間違いなく彼女の方が上だ。戦いながら彼女が最上級魔法の大技を撃つ時間を稼ぐ前に距離を潰し、接近戦で有効打を取るのが最も可能性が高いだろう」

 

 攻撃を防いだアリサは、盾を構えたまま猛然とアルマに向かって距離を詰める。

 アルマがさらに威力を強くして雷撃を放つが、アリサの強固な魔氷晶には傷もつかない。

(思った以上に強固……。アリサ、上達したね)

 アルマは素直に感心しつつ、盾で防ぎながら突進して来たアリサのランスを横に飛び退いて躱す。

「ミュル……ロゥ……ノル」

 アルマはアリサのランスによる突きを、右へ左へと機敏に動きつつ古代語を口ずさみ、詠唱を進めている。

 アルマが攻撃をかわした後、アリサが追撃のために再び身体をぐっと沈めた。

(来る!)

 後ろに身を引こうした時、背中がドンと壁にぶつかった。

(え……!?)

 闘技場の壁からは離れている。こんなところに壁がある筈がなかった。

 背後の退路を不意に断たれ、一瞬動きが止まったアルマの身体に向かってアリサのランスがヒュッと鋭く空気を切る音を立てながら襲い掛かる。

「ぐっ!!!」

 アルマは体勢を崩しながら間一髪で横へと飛び退いた。

 

 闘技場の上はざわつき始める。実力からして、アリサが一方的に負けると思われていた。しかし、実際はアリサが主導権を握っているようにさえ見える。

 

「やるな」

 ロマンは思わず口の端を釣り上げて笑った。

 アリサは魔氷晶を、攻撃を躱すアルマの背後に作り出し、退路を塞いだ。

 その戦い方を教えた覚えはない。今、アリサが咄嗟に判断してやったらしい。

  

 地面を転がりながらアリサのランスをかわしたアルマは、転がった勢いのまま片手一本で飛び上がり、体勢を戻した。

「……やるね。危なかった」

 立ち上がったアルマは言いながら、手に持った眼鏡を掛けなおす。

 一方のアリサは肩で息をしている。ただでさえ、他の武器に比べてリーチの長いランスに重量の大きな盾を持っている。さらに盾を魔氷晶で覆っているため、高速連撃は身体に大きな負担がかかっていた。

 

「……仕留めきれなかったわね。来るわよ、アリサ」

 見守るシエルは闘技場の上を睨む。

 

 闘技場の上空の空間が円形の口を開き、雷鳴がうなりを上げる。

 アルマが天を仰ぎ、右手を高々と突き上げる。

「……神雷よ、裁きを!!!」

 極大の雷霆らいていとどろきながら、幾重にも闘技場に降り注ぐ。

 闘技場の観戦者が怯むほどの凄まじさだった。

 

(まだだ、アリサ。まだ、諦めるには早い)

 ロマンはまばゆい雷光に腕で顔を覆いながらも、アリサを見ようとする。

 

 上空の円形の空間が口を閉ざし、降り注ぐ雷霆らいていが止んだ。

「はぁっ……はぁっ……」

 激しい息遣いが聞こえた。

 アリサが盾を上に向かって掲げ、盾にさらに大きな魔氷晶を作って降り注ぐ雷霆らいていを防いでいた。

 しかし、魔氷晶は消耗したようで、地面に崩れ落ちる。

(まだ、諦めない……!)

 もう一度、盾に魔氷晶を形成し、アリサは果敢に向かって行く。

「やああああっ!!!」

 再びアルマに向かって突っ込み、連撃を仕掛ける。

「どうするつもりなの、アリサ! もう、さっきの不意打ちは通用しないよ!」

 一撃の速さが少し鈍っているアリサに引き換え、アルマの動きは軽快で余裕さえ感じられる。

 

「お姉様! アリサの動きが遅くなってしまっていますわ」

 マリアナが心配そうにシエルの肩を掴んで揺さぶる。

「当然よ。魔氷晶は高強度の対物、対魔法防御力を持つ反面、体力を大きく消耗するの。それに加えてあの重い武器……」

 シエルの額に一筋の汗が流れる。

 

 息絶え絶えのアリサから少し離れた位置で、アルマはずり落ちた眼鏡を人差し指で直している。

「もう終わりなの? アリサ」

 結局、すべての連撃をかわされ、また距離を取られてしまった。

「私は、まだだよ」

 アルマは天を仰ぐ。身体の周囲に帯びた雷霆らいていの光が弾ける。

 再び上空に雷光が漏れ出る円形の口が開いた。

「神雷よ、裁きを!!!」

 穿うがたれた空間の穴から雷霆らいていが降り注ぐ。

「――っ!」

 アリサは、再び上に向かって盾を構えて盾の表面に魔氷晶を形成しようとする。

 しかし、体力の落ちたアリサは、形成が不完全のまま、攻撃を受け止めてしまった。

 凄まじい衝撃が、アリサの腕から足先までを貫く。

 

(流石に、終わりだろうな)

 審判を務めるラディクは、戦闘を止める心積もりをしていた。

「!?」

 しかし、ラディクは目を剝く。

 

 雷霆が止み終わる間際にガシャン、と重い物が地面に落ちる音がした。

 そして、アリサがさっきよりも身軽に、アルマに向かって飛び出していた。

 アリサの背後に大きな盾が転がっているのが見え、アルマは驚愕する。

「盾を、捨てたの!?」

 アルマの魔術に対抗する唯一の術を、アリサは手放した。

(まだ……まだ、諦めない!!!)

 しかし、重い盾を捨てて身軽になったアリサは、スピードを上げ、ランス一本で真っすぐに突っ込んで来る。

「血迷ったの、アリサ!? 盾が無かったら私の雷撃は防げないでしょ!」

 アルマは手をアリサに向けて、無詠唱の雷撃を放つ。

「やああああ!!!」

 アリサはランスの先端を正面に向け、雷撃を引き裂きながら突進してくる。

「雷撃が……! どうして……」

 とランスの穂先を見てハッとした。魔氷晶に覆われている。

 アリサのランスが、アルマの目の前へと迫る。

 しかし、次の瞬間には、アリサの身体が激しく宙に打ち上げられていた。

(どう……して……?)

 アリサは打ち上げられ、意識を失うまでの刹那に考えていた。

 

 設置トラップ式魔術。

 通常の雷撃を設置型に変更するという複雑さを加え、中級に分類されるこの魔術は、詠唱後に空中もしくは地面に設置が可能。

 アルマは、雷霆らいていの魔術の後にアリサがもう一度突撃して来る可能性を考慮して、足元にこれを仕込んでいた。

 さらに、地面の設置トラップを気取られないために雷撃を放って気を逸らした。

 アルマの戦略通りに、気付かずにそれを踏んでしまったアリサは、地面から沸き立った十字雷撃の魔術によって上空へと跳ね上げられた。

 アリサが空中で気を失い、勝負はついた。

 

「あ、アリサ……! どうしよう!?」

 勝者のアルマが慌てる。

 宙に高々と舞い上がったアリサは意識を失い、無防備に落ちて来る。

 このまま落ちれば大怪我するかもしれない。

 しかし、アルマの小さな身体ではそれを受け止められない。

 

(久々に俺の見せ所かね……!)

 ラディクが駈け出そうとした時、既に別の影が高々と跳躍し、空中でアリサの身体を両手に抱きかかえていた。

 気を失ったアリサを抱え、ロマンは闘技場の中央へと着地した。

「……ロマン、対戦者以外が勝手に侵入して来るんじゃねぇよ」

 お株を奪われたラディクが頭を掻きながら不機嫌そうに言う。

「申し訳ありません、ラディク様。しかし、もう勝負は終わった筈です。俺が飛び込むコンマ数秒前に」

 ロマンは、アリサを下ろしながら平然と言った。

 ラディクは「生意気な」と言わんばかりに小さく鼻を鳴らす。

 そして、気を取り直して手を掲げると、改めて宣言する。

「勝者、アルマ・フォルバッハ!」

 闘技場の上から観戦していた生徒たちがどよめく。

 その中からヒルデグント、シエル、マリアナのそれぞれの感情を含んだ視線がアリサに向けられていた。

 ロマンは屈んだまま何を思うのか。気を失ったアリサの顔をしばらく見つめていた。

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