想像と現実の違い 4
迷宮の中では夜といえども完全な闇に覆われることはない。
岩盤に含まれるある種の鉱石が薄青い光を放つからだ。
とはいえ距離が遠くなれば闇に包まれていく。
俺達は先の見えない闇に向かってひた走りながら、ラーミアルフィがまとめた情報を確認していた。
「つまり、引率役だったベテランの猟兵が突然砂海を渡り出したってことか
! なんでそんなことするんだよ!」
「文句言うなよシオン、あたしが知るわけないだろ!」
ラーミアルフィに当たったつもりはない。
馬鹿な猟兵に腹が立っただけだ。
バッツ達も男を必死に止めようとしたらしく、一人が男と一緒に砂海に落ちたらしい。彼らがぼろぼろだったのは、落ちた仲間をなんとか助け出そうと奮闘したせいだ。
だが男は仲間を助け出すバッツ達を尻目に、砂船を使って斜面を下って行ったのだという。
砂岩鉱は目の細かい砂で、普通に足を踏み入れればずぶずぶと沈む。
底なし沼のように飲み込まれるとまではいかないが、それでも砂海のように傾斜があれば底へ底へと運ばれるながら砂の中に没してしまう。
砂船はそれを防ぐように加工された板だが、単に沈まないというだけで、人が乗れるようなものではない。
体を預け、ひとまず沈まないようにして助けを待つための道具だ。
沈まないことをいいことに奥へと移動するなど正気じゃない。
それじゃあまるで自殺だ。
いや、自殺なんだ。
自分の考えが引き金となって、しっくりときた。
同時にどこかで見たことがあるような気がしたという感覚が、明確な記憶と結びつく。
「思い出した。アリシア、あの男だ! ギダンさんの店で見た迷宮病の! 確か、ロワンって名前のあの男!」
「あ、あの人!? え、でも迷宮病の人は迷宮に入れないんじゃないの
!?」
「そのはずだけどね!」
裏道というのはどこにでもある。
新人ぞろいの彼らと一緒にいたということは、きっと彼らのうちの一人から探索許可証を借りたんだろう。迷宮入り口での蓄積毒素の計測をどうしたのかはわからないが、どちらにしてもいま重要なのはそこじゃない。
「隊長!」
鋭く声を上げれば、少し遅れて重い足音とともに野太い声が返ってくる。
「先に行け! 俺よりお前たちのほうが足が速い! 迷宮病の猟兵の望むことなんざ一つだけだ! 殴ってでも止めろ!」
「了解!!」
俺はすぐに一段速度を上げた。
足の遅いカウフマンに合わせていたが、本気で走ればぐんぐんと距離が開く。ちらりと見れば、表情が必死ながらアリシアもついてきていた。
「シオン、先行して偵察するよ!」
そう言って空を駆けるのはラーミアルフィだ。
カプーノ族自慢の翼を使い、空を滑空する。
自由に飛び回るということはできないにしろ、一気に高く飛び上がり、そのまま滑空するカプーノ族は迷宮でもっとも素早い生物だ。
みるみる闇の中に消えて行くラーミアルフィを追って、俺達は息を切らして走り続けた。
そうして走ることしばらく、ラーミアルフィの声に足を止める。
「シオン、二時方向! 動いてるやつがいる!」
空を旋回するラーミアルフィの指示に従い目を凝らすと、なるほど確かにのそのそと砂海の上で動く何かが見える。
ロワンだ。
ずいぶん遠い。
いや、それよりも場所が悪い。
天井を見れば、ちょうど砂岩鉱が多く分布する場所だ。
鉄針の刺さりそうな岩盤が俺達側にしかなく、砂海の奥は砂岩鉱だけしかない。もっと奥へ行けば岩盤があるのだろうが、考えるまでもなく射出器の射程を超えていた。
「シオン、あれ、遠すぎる……?」
「ああ、無理だ」
天井からも距離がある。
手持ちのロープではロワンの元へはぎりぎり届かない。
ほんのわずか、しかしその距離を見極めることが救助士にとって必須の能力なのだ。
地面の上であれば笑ってしまうほどの距離が、いまは無慈悲な絶望だった。
あるいは無理をすれば届くかもしれない。
だが、死を望むロワンが大人しく救助されるはずもなく、暴れる大男を抱えて戻ることを考えれば、安全域はとっくに超えていた。
口惜しいが、状況終了である。
助けられない、無理、無理、無理だ。
くそったれめ!
苦々しくロープを地面に叩きつけた俺の姿に、アリシアもそれを察しただろう。初救助がこれとは可哀そうだが、これが現実だ。
ただ死に向かって進み続けるロワンを見つめるしかない。
迷宮での死を望む男にとっては望む結果だろうが、俺達にとっては最悪だった。
「な、なんとかならないの?」
「残念だけど、無理だ」
できるものならもうしてるさ、とはさすがに言わなかった。
初救助のアリシアには酷な現実で、追い打ちをかけるのはあまりにも可哀そうだった。
だが、あるいはそれがいけなかったのか。
アリシアの目にどんどんと大粒の涙が浮かんでいき、それに気づいた俺はぎょっと体を逸らした。
「なんですぐ諦めるの!? ラーミアルフィさんは? 引き上げてもらうとかできないの!?」
「む、無理なんだ。カプーノ族は重い荷物を持って飛べるようなつくりじゃない。自重を維持するだけで精一杯だよ」
「じゃ、じゃあ……ロープを運んでもらうとか!」
「自殺したい人間がロープを掴むわけがないだろ」
なんでそんなこともわからないのかと反論するが、感情的になったアリシアの目は納得とは程遠かった。
参ったな。
どう説得しても聞いてくれそうもない雰囲気だ。
カウフマンに任せるしかないか?
「ラーミアルフィさん、隊長はいまどの辺ですか!?」
「結構後ろだ! もうちょっとで追いつくと思うが……あ、待て、アリシア!」
突然の呼びかけに振り返り、俺は一瞬何が起きたかわからなかった。
そこにいたはずのアリシアがいなかったのだ。
嫌な予感、しかしそれしかありえないという確信とともに砂海に目を向ける。
ちょうど、アリシアが射出器を打ち出し、砂海に向かって飛び出すところだった。
「馬鹿野郎!!!!!」
いまアリシアが打ち出した鉄針の刺さったポイントは、砂岩鉱が分布する直前の岩盤だ。それより先には砂岩鉱が広がっていて、射出器の射程内には次の鉄針が刺せる岩盤はない。
そして、そのポイントからはロワンまで届かない。
だというのに飛び出したアリシアの真意は、最悪なことに俺の予想と一致していた。
振り子の勢いを使い、自らロープを切り離したのだ。
空を舞うアリシアは確かに距離を稼ぐことには成功した。
ロワンの近くに落ちることができ、必死に手を伸ばしてロワンの服を掴めた。
だが、それだけだ。
ロワンは掴まれた服のすそをちらりと見ただけで、すぐに砂海の奥に視線を戻し、流れに任せる。
もはや彼の興味はその奥にある何かと、そこで迎える死にしかないのだ。
彼自身は砂船があり、すぐに沈んだりはしない。
だが、アリシアは違った。
砂船がない彼女はずぶずぶと砂に沈み、すぐに身動きがとれなくなったのが分かった。それでもロワンの服を手放さないのは凄まじい執念ではあるが、流される都度沈んでいく彼女が砂に没するまでそう時間はかからないだろう。
そして、彼女を救う命綱は自ら切り離されているのだ。
「アリシアーっ!!!!」
その時体が動いたのは、自分でも驚きだった。
しかし何も考えていないわけではない。
無理をすれば届くかもしれない。
安全域を超えているのはロワンだからだ。
暴れる大男が開いてでは無理は無謀に変わる。
だが、アリシアならば……!
発射された鉄針が天井に突き刺さる。
同時に飛び出した俺は振り子の頂点でアリシアと同じくロープを切り離した。
ハーネスの固定具はロープを固定するが、安全マージンのために一定のところで止まる。先端より先はロープが太くなり、固定具がそこで止まる仕組みなのだ。
だが、ハーネスから外し身一つならロープの先端まで使え、距離が延びる。
ほんのわずか、だがその距離が全てだった。
ばすん、と全身を激しく叩く感触とともに、砂が視界を覆った。
口の中にも大量の砂が入ってくる。
それでも必死に体を動かし、アリシアがいるであろう方向に手を伸ばした。
沈んでいく砂の海の中では彼女の姿を目視するなんてできない。ロープから落ちるほんの一瞬、彼女がいる方向を見定めていただけだ。
「頼む、掴め! 見つけろよ! アリシア……っ!!!」
あがくように動かした右手が、何かを掴んだ。
柔らかいぬくもりに意識が覚醒する。
強引に引き寄せると、アリシアの俺の胸に飛び込むように現れた。
「アリシア、生きてるか!」
「い、生きてる……っ!」
「この馬鹿野郎が、あとで説教だ!!」
ほっと安心して、自分の足をまさぐる。
きつくロープを巻き付けた足は充血して半ば感覚がないが、距離を延ばす役には立ってくれていた。
あとはロープを辿って戻るだけだ。
下へ下へと流れて行く砂の波の中ではそれすら難しいが、やり遂げるしかない。
だが覚悟を決めてロープをたぐり始めた俺は、すぐに想像以上の重さに気付いた。確かに砂の波の抵抗があるとは思っていたが、これほど重いというのは予想外だ。
砂海からの救助を想定してロープを手繰って人を運ぶ訓練は何度もやっている。
だが、それらの訓練では感じたことがないほどに重いのだ。
慌てて後ろを振り返れば、その理由はすぐに判明した。
アリシアの手が、いまだロワンの服を掴んでいたのだ。
「アリシア! 手を放せ、放すんだ!」
必死に叫び大きく開いた口に、大量の砂が流れ込む。
ああくそ、吐き気がする。
なんでこううまくいかないのか。
なんでこうも、彼女の諦めの悪い瞳がうらやましいのか。
ああちくしょう、すぐに見捨てた俺が馬鹿みたいだ。
何も間違っちゃいない、そのはずなのに、なぜだかひどく苛立つ。
「手を放せ、アリシアぁーっ!」
一瞬、脳裏に彼女が手を離さないのならば、俺が手を放すしかないのではないかという考えが浮かんだ。
最悪すぎる下衆な考えだと思う。
だが、自分の命を第一と考える救助隊としては、それは当たりまえの思考だった。
しかし、体はその考えを拒絶する。
一瞬の逡巡、迷いを嘲笑うようにアリシアがいやいやと首を振るのが見えた。
もう、それしかない。
覚悟を決めようとしたその時、ロワンがこちらを振り向いた。
ひどく優しい表情だった。
彼は何も言わず、そっとアリシアの手に触れ、ゆっくりと引きはがす。
「だめ、だめだよ……っ! やめて……っ!」
大量の砂でまともに息がつけないアリシアの手を、ロワンは最後に優しく撫でた。そして、手が離れた。
「だめぇ……っ!!!」
離れて行くロワンから引きはがすように、俺はアリシアを抱きしめた。
生きて帰る、絶対に。
手繰るロープの先から、カウフマン達の声が聞こえていた。
深く昏い迷宮で救助隊が必要とされる理由 ~迷宮にすべてを奪われた僕が救助隊に入り、全てを取り戻すまでの物語~ ひのえ之灯 @clisfn3
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