想像と現実の違い 3

「競技、会……?」


 不思議そうに眼を瞬かせたアリシアに、俺は思っていたのと違う反応で困惑するしかなかった。


 そんなにおかしなこと言ったかな?

 ただ、すぐに理由に思い至る。たぶんアリシアは本当に競技会について何も知らないのだ。


「入隊した時に、救助隊には競技会があるって聞いてない?」


「ううん、なにも」


 やっぱりだ。

 普通は入隊時に救助隊の業務内容を伝達し、怪我や死亡の危険性を十分に納得させる必要がある。そのために入隊時の承認書類は隊長が全て読み上げながら説明し、理解させた上で書類一枚一枚にサインするというプロセスを踏む。


 競技会はそれらの書類の中でも結構な紙面を割かれていたはずだ。

 それを知らないということは、カウフマンは説明を大幅に端折ったのだろう。


 いや、場合によっては何もしていないまでありえるか?

 これは思ったよりも知らないことが多そうで、あとで確認したほうがいいと思えた。脳内のスケジュール帳に最優先として書き込み、ちょっと考えてからラーミアルフィに告げ口、と注意書きをしておく。


 俺が言っても流されて終わりだろうが、ラーミアルフィは実の娘だけあってカウフマンの扱いは手馴れたものだ。どれだけ言い訳しようと気にせず、尻の一つも蹴り上げてくれるだろう。


 カウフマンへの対処はそれでいいとして、目下の問題はアリシアだった。

 どこから説明するのがいいか。思案しながら、頭の中で説明すべき内容を組み立てる。


「まず、救助隊には番手っていう順位があるのはわかる?」


「うん、それは知ってるよ。新人が入ったり、欠員がいると番手が下がるんだよね。一年前まではうちの番手は結構上で、中層を任地にしていたんだよね。シオンが入ったから、新人がいる部隊として番手が下がったって聞いたよ」


「あれ、結構知ってるね。カウフマンが……ああいや、ラーミアルフィさんかな?」


 競技会の説明を端折ったカウフマンが説明しているわけがないと思ったのだが、想像は当たっていたようで、アリシアはすぐに頷いた。


「あのおっさんのサボリ癖はともかくとして、番手は大丈夫だね。じゃあ番手が下がる要因として欠員や新人の加入があるわけだけど、そうすると上がる要因もあるはずだよね」


「そっか、それが競技会?」


「そう。半年に一度、各層の部隊が集まって救助技術を種目ごとに競うんだ。俺達救助士ならロープ移動、ロープ登攀、懸垂降下、補助士なら部隊展開、迷獣阻害、救助直掩とかね。それぞれで順位に応じて点数をつけて、総合点が高い順に番手が決まる。ちなみに、各層の上位二隊は一層下の下位二隊と入れ替え戦をする。そこで勝利すれば、晴れて一層下の最下位部隊ってわけだ」


「じゃあうまくいけば、私達の任地が中層になるんだ。最下位の部隊ってことは、中層の入り口が任地になるのかな?」


「そういうこと。理解が早いね」


 アリシアは照れたように前髪を指先でねじり、口元を笑みの形に崩した。

 新人を含んだ隊がいきなり上位二隊に食い込んだ例はいままでないが、それは口にする必要はない。


 大事なのは、アリシアの目に興味と好奇心が沸き上がり、負の感情が薄れているという点だ。人間単純なもので、何かに熱中して前に進んでいる限り、後ろは気にならないものだ。


 良い悪いはあれど、それは実体験として実感していた。

 どれ、もう一押ししておこう。


「次の競技会は二か月後だからね。期間が短すぎて一番になるのは難しいと思うけど、四位にはなりたいな」


「えっ、三位って凄くない?」


 驚きの声を上げるアリシアだが、残念ながらそこまででもない。


「上層を任地としているのは六部隊なんだ。うちの隊は新人を含むってことで五番手で、下には医術士の欠員が出てる部隊だけしかない。逆に言うと、四番手の部隊は新人がいるわけでも欠員が出てるわけでもない充足部隊だ。そこを抜かして四位になれたら、新人がいるなんて言われない。一人前の部隊として評価してもらえる……それって、アリシアの実力を示すってことになると思うんだ」


「そうかな?」


「そうだよ」


 実際のところアリシアの成績が悪くても、それなりの順位は獲得できると思っていた。俺はそこまで役に立たないかもしれないが、カウフマンを筆頭にした部隊メンバーは元々中層を任地にしていたのだ。


 だが、それは気にする必要はない。

 部隊は全員で一つの装具のようなもので、一人が失敗しても全体でカバーする。全体の成績が自分の成績であり、部隊の順位が全てだ。


 それに、いまは前を向いて歩くことのほうがよほど重要だと思う。

 こういうのは勢いだと熱を込めた視線を向ける俺に負けたのか、アリシアも渋々ながら納得してくれたようだった。


「……うーん。じゃあ、頑張ってみようかな。もちろん、訓練は付き合ってくれるんだよね?」


「もちろん。一人で頑張れなんて言わないさ。俺がついてるよ」


 アリシアは一瞬目を丸くして、それからふっと笑った。


「それ、他の女の子にも同じようなこと言ってるの?」


「え? 他の女の子……?」


 救助隊にいる女の子はラーミアルフィだけだ。

 女の子というか、姉御という感じだけど。救助士と補助士という職位の違いがあるし、向こうのほうが先輩だ。俺が訓練の面倒を見ることはないから、アリシアに言ったのと同じ台詞を言うことはない。


 なんだけど、なんだか重大な齟齬があるような気がする。

 そのまま答えると何かが間違ってしまうような、そうでもないような。

 そんな俺の様子を見かねたのか、アリシアは「もういい」と肩を小突いた。


「よくわかった。あなたは少しは勉強したほうがいいわね、シオン」


「えぇ、なにを……?」


 わけがわからず、俺の混迷の度合いは深まるばかりだった。



 ◇◆



 楽しそうに笑い声を嚙み殺すアリシアにシオンが困惑している光景を、遠くから見つめる人影があった。


「青春だねぇ……」


 カウフマンである。

 こっそり持ち込んだ手のひらサイズの酒瓶に口をつけながら、酒精を楽しむ。本来であれば訓練中に酒など言語道断だが、酒に強いカプーノ人の中でもカウフマンは特別だ。


 樽で飲むならともかく、小さな酒瓶程度ではびくともしない。

 それがわかっているから、個人用天幕からのそりと顔を出したラーミアルフィも父親の手に握られている酒瓶に嫌な顔こそすれ、指摘はしなかった。


 代わりに酒瓶を奪い取り、一口煽ってから持ち主に押し付ける。


「おい、俺のだぞ。ただでさえ少ないのに、お前……」


「けちけちするんじゃないよ。シオンに言いつけてもいいんだよ?」


「……一口だけだからな」


 規則にうるさいシオンにばれたら面倒くさいことになるとわかっているだけに、カウフマンはそれ以上文句を言う代わりに、奪われないように酒瓶を抱きしめた。


 それから仲良く話している二人を眺めながら、にやにやと笑う。


「しかし、若いってのはいいねぇ。なかなかいい雰囲気じゃないか」


「は? あの二人が?」


「それしかないだろう。なんだ、他に誰がいるんだ」


 ラーミアルフィはまじまじと父親の顔を眺めた。

 その顔には「こいつ正気か」という文字がありありと浮かんでいたが、カウフマンはまったく意味がわかっていない。


「あの二人を見てそういう関係だと思うのかい?」


「いや、だってそうだろう。見ろよ、もういつ付き合ってもおかしくない距離感だぞ。シオンがちょっと朴念仁すぎるが……」


「あんた、本当に大人の男か? 我が父親ながら、女心がわからなすぎだろう。よく母親を口説けたな?」


 呆れるラーミアルフィに反論しようとしたカウフマンだったが、それよりも早く声を発したのは二人の横に音もなく座り込んでいたアルツトだ。


 巨体ながら、猫人族らしい隠密性でもってそっと近づいていたらしい。


「それについては彼の能力の問題ではないと思うね。口説いたのは彼ではなく、奥さんのほうだよ」


「母ちゃんが?」


 物心つく前に母親を亡くしたラーミアルフィは初めて聞く話に身を乗り出した。慌てるカウフマンを片手で押し返す彼女に、アルツトはくぐもった笑い声を漏らす。


「実に君に似た性格の女傑でね。猟兵だったカウフマンに一目ぼれしたとかで、口説きに口説いて追いかけまわしていたよ。彼が逃げ切れたのは三日だけのことさ。四日目には尻に敷かれ、五日目には妻子持ちだ」


「ちょ、おい、アルツトてめぇ……っ!」


 長年の関係の気安さから声が荒くなるが、アルツトはそれを鼻で笑って無視した。


 まったくもっていい性格である。

 ただし、それ以上暴露を続けることはできなかった。


 カウフマンの父親としての威厳を保つという意味ではなく、異変を感じたからだ。


「誰か来るな。最近嗅いだ匂い……昼間にすれ違った猟兵達のようだね。ただし、一人いないようだ」


 その瞬間、二人の意識が切り替わった。

 弛緩していた空気がぴんと張り詰め、アルツトが示す暗闇に視線が集中する。


 彼らが現れたのはそれから数分後だ。

 全員がぼろぼろだが、致命的な怪我はない。

 彼らだけでも十分に帰還可能だろう。


 ただし、一人足りない。

 それが問題だった。


 酒瓶を投げ捨て立ち上がったカウフマンは、ようやく彼らの姿に気付いたらしいシオン達に向かって叫んだ。


「緊急体制! 装備装着、活動準備開始! 救助士は二分で動けるようにしろ! アルツトは怪我の確認、ラーミアルフィはガキどもから話を聞いて欠員の理由を確認しろ! 場合によっては荷物を捨てて帰還するぞ!!」


 その指示は有無を言わさぬ力があり、一同は即座に動き出した。

 驚いたのは野営地に到着したばかりのバッツ達だったが、彼らの表情は驚きのあと、どこか危地を切り抜けたようなほっとしたものに変わっていた。 

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