想像と現実の違い 2
訓練は順調に進んでいた。
ドミナ砂海では主に救助士の射出器訓練を行っていた。
というのも、ドミナ砂海は峻厳な地形こそ厄介だが、他の難所と呼ばれる場所と違い、近くに迷獣の巣がなく迷獣の襲撃を気にする必要がない。さらに天井部が砂岩鉱と岩盤が交互に繰り返される縞状地層で、的確に砂岩鉱の地層を避けて射出器を扱う訓練にちょうどいいのだ。
訓練場で射出器の扱い方を学び自信を持ち始めていたアリシアも、実際の迷宮の中では勝手が違い、四苦八苦していた。
天井に打ち込んだ鉄針からロープでぶら下がりながら、天井を難しい顔をしながら眺めている。
「アリシア、無理しなくていいからよく色合いと模様を見るんだ! 岩盤と砂岩鉱は全然違うからね。見極め損ねて砂海に落ちても、安全索は俺が保持してるから、安心していいよ!」
「わ、わかってる! 大丈夫、やれるよ!」
特徴的な模様と色合いの違いは明るい場所でなら素人でもすぐに違うと言える。しかし、暗い迷宮の中ではその難度は一気に上がる。
迷宮の壁面は薄青く輝くのだが、距離があるとその光ばぼんやりと拡散するせいか、模様と色合いの判別が困難になるのだ。
とはいえ、ここなら落下しても落ちる先も砂海と呼ばれる砂岩鉱の緩やかな斜面だ。落下の衝撃が吸収されて怪我をすることもなく、安全索で引き上げるだけでいい。
すでに何度か落ちているアリシアは恐怖心も消えているようで、ロープでつるされた不安定な体制にも臆さず慎重に地層を見定め、鉄針を発射した。
がつん、と手ごたえを返す鉄針に、アリシアは顔を輝かせて俺のほうを見た。
よっぽどうれしいのだろうが、どうも小動物のような感覚を覚える。
「いったよ、いった!」
「ああ、いったね。その調子で対岸まで渡ってみよう。そこに降りれるでっぱりがあるから、そこに着地してから折り返して戻ってくるんだ! その時は鉄針の回収も忘れずにね!」
「うん、わかった!」
岸壁に刺さった鉄針は貴重な装具だ。
よっぽど緊急を要する事態でなければ回収する。
ロープ登攀の訓練にもなるし、無駄に装備喪失届けを出す必要もなく、すべての部隊の装備を管理する装備管理課からねちねち言われることもない。
すでに今回の訓練ではアリシアのミスで装備を一つロストしているからな。
回収できるものはしっかり回収する。
順調に砂海を渡って行くアリシアを見ながら安全索を送り出していると、カウフマンが横に並んだ。
「どうだ、調子は?」
「遅すぎますね。装具操作は散々隊舎でやったのでぎりぎり及第点ってところですが、地層の見極めは経験が物を言いますからね。見極めが終わった頃にはロープの振り幅がほとんどないようじゃ、距離が稼げませんよ。向こう岸まで鉄針五本全部使うっても届かないんじゃないですか?」
前へ前へと鉄針を射出し、振り子の要領で距離を稼ぎながら移動する救助隊特有の移動術はそう簡単ではない。
新人ならこんなものだろうと答えた俺に、カウフマンはふうんと頷いた。
「お前も最初はあんなもんだったしな」
俺は五本だったぞ、と思ったが、さすがにそんなことを口にするのは子供っぽすぎる。口を尖らせて無言を貫くだけに留めたが、不満そうな俺の様子に気付いたらしく、カウフマンは苦笑した。
「馬鹿にしてるわけじゃねえさ。新人はみんな通る道だろうよ。ところで、さっきの話だがよ。嫌な予感がしたって?」
「ああ、まあ……気にするほどのことじゃないですよ」
「そうもいかんだろうよ。ここが危ないのか?」
当たるかどうかもわからない勘なんて気にする必要はないと言ったのだが、カウフマンはそれで許してくれない。
自分でも当たらないと思っているというのに、何をそんなに気にするんだ?
正直これ以上話題にしたくなかったが、いつになく真剣な様子に答えないという選択肢は許されない雰囲気だった。
「ここじゃないですね。なんでしょうね、奥地の方角……というか、あの人達のような気がします」
「……あれか?」
明確な言葉にせずとも、二人の脳裏に浮かんだのは同じだろう。
アリシアを見捨てたという猟兵たちだ。
「駆け出しどもが来るにはここはちぃと危険だからな。やばい空気を感じてもおかしくはないが……ベテランの引率がいるって言ってたから大丈夫、か?」
「そうですね、そうだといいんですけど」
そこでふとあの時気になったことを思い出した。
「そういえば、ちょっと雰囲気違う人がいましたよね。顔は見えなかったですが、装備も使い込まれてたし、たぶんあの人がベテランだと思うんですけど、どこかで見たことがあるような気がするんですよね」
「知り合いか?」
「いや、それなら後ろ姿だけでもわかると思います。だからたぶん気のせいかなとは思うんですが……妙に引っかかったんですよね」
「ふむ。考えてもわらかねぇな。これが終わったら野営地まで向かうが、その方向があいつらが向かった先なんだよな……お前の勘が当たらないことを祈るぜ」
「大丈夫です。所詮は勘なので」
当たるはずもないと軽く流すと、カウフマンは何も言わず肩をすくめるだけに留めた。
◇◆
訓練が終わり、野営地に向かった俺達だが、運よくというべきか勘が現実のものになることはなかった。
バッツ達がいるかと思ったが、野営地には誰もいない。
珍しいことに、俺達だけの貸し切りだ。
野営地は国が整備しているわけではなく、猟兵によって維持整備されている。元々は野営する中で椅子代わりの岩や
迷宮に携わる者であれば誰でも使える安全な拠点が野営地だ。
特に下を目指す上で誰しもが最初に通るこの野営地はもっとも利用頻度が高く、貸し切りというのは俺の記憶でも初めてのことだ。
「静かだね……」
訓練で疲れたのだろう、少し眠そうなアリシアはどこまでも続くなだらかな砂海の斜面を見つめながら、ぽつりと言った。
確かに、静かだ。
いつもなら多くの猟兵で賑わう場所なだけに不思議な感覚だな。野営地以外の移動中は歩く音や呼吸の音が響くだけに、これほど完全な無音の時間はさほど経験がない。
アリシアの声が暗闇の中に吸い込まれるような気がして、俺はなんだか声を出すことを躊躇った。
代わりに、焚火にかけていたポットを取り上げ、木杯に注いでアリシアに渡した。乾燥した茶葉は柑橘の果物の皮が混ざっていて、爽やかな匂いがする。
疲れすぎていると眠りが浅くなる。
寝る前にしっかりと体を温めて、少しでも深く眠ってもらおうという配慮だ。
「今日の訓練、うまくできなかったよね。ごめんね」
「いや、別に……初めてだし、そんなもんじゃないかな」
とろんとした目で見つめられると、なんだか妙な気分になる。
俺は気づかれないように目を逸らしながら、自分の分のお茶も淹れて誤魔化すようにすすった。
うん、熱い。
ちょっと火傷したが、誤魔化せたからよし。
「実際に迷宮に立ってみると、訓練場と全然勝手が違ったなぁ。もうちょっとうまくできると思ってたから、自分に自分でがっかりだよ」
「へぇ……珍しいね」
アリシアは俺の感想が腑に落ちなかったようで、怪訝そうに俺を見た。
「珍しいって、なんで? 私は落ち込まないと思ってた?」
「うーん、そうだね。そうかもしれない。正直、出会ってからずっとアリシアって元気いっぱいでさ、いつもやる気があって活発で、悩んだりしないのかと思ってたんだよね」
「なにそれ」
くすりと笑ったアリシアは、両手で持ったお茶の水面をじっと見つめた。
普段の彼女なら決して見せない表情だ。
きっと極度の疲労と眠気で、自制心が緩んでいるのだろう。
「私だって悩むし、落ち込むよ? ただ、そう見せないように頑張ってたのは事実かも。私が救助隊に入ったのは成り行きだったけど、ここで一人出してるって言えるようになりたいんだ。だから、ね」
なるほど、と俺は頷いた。
そりゃそうだろう。猟兵としても素人同然だったアリシアが、曲がりなりにも救助隊の訓練に泣き言も言わずについてきているのだ。
無理をしていないわけがない。
無理を言えない事情があるということなんだろう。
俺を含め、救助隊なんて報われない仕事に就く人間は大なり小なり事情を抱えているものだから、それは違和感なく納得できた。
「もう少し……うまくできると思ったんだけどなぁ……」
それは本当に小さな呟きだった。
きっとアリシア自身俺に聞こえるとは思わないくらいの小声だったのだろう。
だが先に床についたラーミアルフィの寝返りの音すら聞こえるほどの静かなこの空間では、アリシアの呟きはしっかりと俺の耳に届いていた。
さて、どうしたものだろうか。
そんなことないよ、うまくできてる、なんて言葉は言えない。
嘘は失礼だと思う。
かといって、そうだねと肯定するのは違う気がした。
励ますのが一番だと思うが、女慣れしていない俺にはうまい言葉が出てこない。姉さんを救うために五年近く男所帯に身を置いていた生活は、俺に気の利いた言葉を学ぶ機会を奪っていたのだ。
立てた両膝に顎を乗せたアリシアは、何やら思索に耽っているようだ。
時折漏れるため息を聞けば、それがあまりよい方向に向かっているとは思えなかった。
ここは気の利いた言葉が言えなくても、何か声をかけたほうがいい。
がしがしと頭を掻き、俺は一世一代の覚悟を決めた。
「あ、あのさ」
「うん?」
視線だけこちらに送るアリシアに、俺はごくりと息を呑む。
言葉は出てこない、どうしたものかわからない、そこではっと思いついた。
我ながらグッドアイデアだ!
「それなら、競技会で結果を出すのはどうかな?」
「競技、会……?」
アリシアは不思議そうに眼を瞬かせた。
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