救助隊の心構え3
店に入ると、雑多な雰囲気とともに、鉄臭い匂いが鼻をついた。
装具類に使われている鉄の錆びと、錆止めのオイルが混じった独特の匂いは、装具を扱う者であれば嗅ぎなれた香りだ。
だがアリシアはその匂いに物珍しそうに周囲を見回し、顔を輝かせている。
見るもの感じるもの全てが面白い、そう言いたげで、その姿は年相応の少女らしさがある。
まあ俺も大して年は変わらないんだが。
姉さんのために全て捨てると決めた時から、どうにも俺は感覚が大人びたというか、感情の琴線に触れるものが減ったような気がする。
いいことか悪いことかはわからないが、とはいえ俺は俺だ。
これでよしということにして、店の奥に声をかけた。
「ギダンさん、いますか」
店の主の名前を呼ぶと、奥から声をが聞こえた。
なんと言っているかはわからなかったが、気にせず奥に進む。この店の主に関しては特に気を遣う必要はない。というより、遠慮してここでまっているほうが気を悪くしかねない。
その程度には馴染みの店なのだが、初見のアリシアは我が物顔で歩を進める俺の後ろで躊躇うように周囲を見回している。
「入っちゃっていいの?」
「平気。ここは俺の家みたいなもんだから」
「あ、ここ実家なんだ?」
「いや、違うよ」
わけがわからないという顔をしているアリシアを尻目に先に進み、
この装具屋の主であるギダンだ。
イリヤ人の種族的特徴として俺の身長の半分ほどしかない小柄な体躯だ。
しかし、反比例するようにその態度はでかい。
強い髭を蓄え、突き出た腹を揺らしながら「さっさと入れ!」と怒鳴る姿には貫録があった。
「久しぶり。ギダンさん」
「ふん。馬鹿弟子が。まだ生きておったか」
ギダンは両親が死んだあと、俺を育てるために猟兵となった姉さんの助けになりたいという俺に同情して見習い弟子にしてくれた人だ。同じ職人だった父さんと親交があったとはいえ、弟子を取らないことで有名だったこの街で一番のギダンの弟子になれたのは本当に凄いことだ。
しかしそれも姉さんを助けると言って飛び出すまでのことだ。
猟兵として迷宮に潜っていた五年はギダンに顔を合わせることもできず、救助隊に入隊してぎこちないながら関係を修復できたところだ。
あの時はずいぶんと怒鳴られたっけなぁ。
何度叩き出されたか分からないが、一カ月近くも日参してようやく謝罪を受け入れてもらうことができた時はほっとした。いまではこうして顔を見せるたびに生存確認代わりの憎まれ口を言われる程度には距離が近づいている。
遅れてて工場に入ったアリシアは、椅子の上に仁王立ちするギダンに一瞬目を丸くした。
「え、イリヤ人?」
驚いた様子で言ったのはアリシアだ。
ギダンの太い眉がぴくりと跳ねるが、彼には慣れた反応だけあってそれ以上の反応は示さなかった。
この街にイリヤ人はギダンしかいない。
いちいち気にしていても仕方ないだろうしな。
職人気質で怒りっぽいギダンですらそう達観するほどだから、会う人間のほとんどが同じ反応なのだろう。
まあ、仕方ないといえば仕方ない。
イリヤ人といえば優れた冶金技術と細工の腕を持つことで有名な種族だが、大陸北西の大国、アルバニア王国から出てくることがないのだ。
彼らの故国であるイリシュ・ラアが迷宮の裏返りで消失した際、彼らを受け入れ、居留地まで用意してくれたアルバニア王国への恩義は根強い。熟練の職人集団であるイリヤ人達の技術はアルバニア王国にとって重要な国家機密であり、外に漏れることを嫌った。それに従い、イリヤ人達は居留地の外に出ないのだ。
良い意味でも悪い意味でも昔気質の職人、それがイリヤ人の性質だった。
とはいえ慣れていることと平気なことは別問題だ。
助け舟代わりに軽く咳払いをすると、アリシアも気づいたようで飛び跳ねるように頭を下げた。
「あの、ごめんなさい! びっくりしたとはいえ、失礼なことを言ってしまってすいません!」
「……いや、いい。珍しがる馬鹿は履いて捨てるほどいるが、謝れる馬鹿はそんなに嫌いじゃねえ。それより、お前さん」
「は、はい!」
ぶっきらぼうで皮肉っぽいギダンの口調に目を白黒させたアリシアが顔を上げる。
ギダンは胸元まで伸びた顎髭をしごきながら、まじまじとその顔を見つめた。
「シオンの、これかよ?」
ぴん、と立てて見せたのは小指である。
おいふざけろ、なんてことを言うんだこのジジイ!?
「小指……ってどういう意味ですか?」
「違う違う! 救助隊に新しく入った新人だよ。今日は装備を作りに来たんだ! アリシアも気にしなくていいから! 何も見なかった、いいね!?」
「なんでぇ、違うのか」
恋人を意味する小指のジェスチャーをアリシアが知らなかったのは幸運だった。
別に間違われたって違うと言えばいいだけなのだが、なぜだかわからないが物凄く悪いことのような気がして全力否定してしまった。
まずい、アリシアが困惑している。
「とりあえず、この失礼な爺さんがギダンさん。見ての通りイリヤ人で、この街一番の装具職人で、カウフマン隊と専属契約を結んでる人だよ。で、こちらはアリシア。さっき言ったとおり新人で、俺の相棒になる人です!」
「あ、うん。よろしくお願いします」
「こちらこそだ」
ちょっとばかりまくし立てるような説明になったが、とりあえずこれで誤魔化せた。
二人はぎこちないながらに頭を下げ合い、挨拶が終わった。
「この嬢ちゃんがディアンの代わりか。ずいぶん細っこいが、平気かよ?」
「それはまあ、これからの訓練次第じゃないかな」
「まぁいいがよ。どれだけ装具が上等でも、使い手が半人前じゃ意味がねえぞ?」
まったくもってその通り、ごもっともな話だ。
カウフマン隊が専属契約を結んでいるからギダンの装具を使えるが、本来ならギダンは自分が認めた猟兵にしか装具を作らない。カウフマンがどうやって専属契約を結んだのかも不思議なくらい、へんくつな爺さんなのだ。
事実、ギダンに装具を作って欲しいという猟兵達は途切れることがない。
弟子時代ギダンの言葉を真面目に聞きはしていたが、どこか流している部分があった。
しかし、実際に姉を助けるために迷宮に潜るようになって、ギダンの言葉がどれほど的を射ていたか思いしった。金言という言葉があるが、まさしくギダンの言葉はそれだ。
ただし、言い方に棘がありすぎる。
そんなことだから猟兵達に陰で「偏屈じじい」と呼ばれるのだ。
「はい、仰る通りですよね。訓練、全力で頑張ります!」
うん、半人前扱いに気を悪くしていないか心配だったが、全然大丈夫そうだ。
無意識的にギダンの言葉が重要だと理解しているのかもしれない。
前のめりに話を聞こうという姿勢はアリシアの素直さの現れだろうが、ギダンも悪い気はしないようで、相好を崩しながらあれやこれやと語り出している。
おかしいな、俺が弟子の頃だってこんなに饒舌じゃなかったはずだが?
俺だってまともに口きいてもらうまでに二か月かかったんだが?
なぜそんな一瞬でうちとけているのか。
アリシア、恐ろしい子……なんて冗談はともかく、拒絶されていないなら都合がいい。
「ギダンさん、アリシアにハーネスを作ってもらいたいんだ」
「ああ、言われずともわかってるよ」
おい、会話を邪魔するんじゃないみたいな顔したな、いま。
あ、こっそり舌打ちしたの見えたぞ。
拒絶されてないだけいいんだよな、うん……釈然としないが。
とにかくハーネス作りだ。
ハーネスは簡単に言えば上半身と股下にベルトを通し、体を締め付ける道具だ。
主な機能は二つで、一つは各所にある金具と降下機にロープを通し、手放しでもロープに固定できるようにする。ロープを使った登攀、降下が多い救助士にとっては必須の機能だ。
もう一つは万が一の際の止血具だ。特に腕と太ももに巻きつけられたベルトは、金具を上下に動かすごとに締め付けを増し、動脈が切断されていてもしばらくであれば動くことができる。
一瞬の停滞が生死を分ける迷宮では、その場しのぎでもほんの数十歩移動できるかどうかが重要なこともあるというわけだ。
一般の流通品もあるが、命に直結するだけにカウフマン隊では個人装備としてオーだメイドだ。
その分値段もするが、救助隊持ちなので借金があるアリシアでも問題はない。
ハーネス作成は一から行う必要があるから、今日のところは採寸だけ行った。
ギダンの手つきはさすがに熟練で、それほど時間もかからず終わるだろう。
これなら予定通り、陽が落ちる前には帰れそうだ。
「ねぇ、シオン。なんていうか、少し怖くなってくるね」
「え、なんで?」
怖くなる要素なんてあったか?
アリシアは採寸作業に集中しているギダンにされるがままになりながら、顔だけこちらを向けた。
「私、迷宮が危ないって知ってるつもりだったけど、ちゃんと理解してなかったんだなって思って」
「あー‥‥さっきの迷宮病の人?」
ううん、と首を振り、しばらく考えてからアリシアは言葉を選びながら口を開く。
「そうじゃない、ってことはないかな。それもある、くらい。危ない目にあって助けられて、救助隊に入隊して、少し舞い上がってたのかな。色んなこと知って、準備のために道具を買って‥‥いまさらだけど、またあんな危険な目に遭う場所に戻るんだなって実感が湧いたの」
「なるほど‥‥ならやめる? いまならまだ引き返せると思うけど」
カウフマンも鬼じゃない。
借金は後払いで分割だって問題ないのだ。
危険のない仕事をしながら返すことだってできる。
だが、アリシアはすぐに否定した。
「やめないよ。ただ、危険なところに行くんだって自覚しなきゃなって思ったの。遊びじゃないんだって」
「それは‥‥そうだね。救助隊は他人の命に責任を持たなきゃいけないからね」
「重いね。想像してたよりずっと」
「そうだね」
アリシアの中でどんな心境の変化ぎあむたのかはわからない。
だが、少なくとも彼女の変化は救助隊にとっては通過儀礼のようなものだ。人を助ける、そのために命を賭ける。
彼女の言葉を借りるなら、それは想像よりもはるかに重い。覚悟が必要な難事だ。
自分でその考えに行き着いたアリシアは救助隊に向いているのかもしれない。
身動きした拍子にギダンの道具箱を盛大にひっくり返すアリシアを見つめながら、彼女の入隊に少しだけ前向きになれた気がした。
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