救助隊の心構え 2
隊舎を出たあと、俺たちはまずアリシアの宿屋へ向かい、置いてあった荷物を救助隊宿舎へ運ぶよう宿の従業員に頼んだ。
「自分で持つよ?」
「それなりに歩く予定なので、荷物は減らしておきたいんですよ」
「でも、大丈夫かな?」
不安そうな顔をするのもわかるが、大丈夫なので安心してもらおう。
荒事で生きる猟兵御用達の宿屋だけあってそれほど治安は良くないが、その辺の通行人に任せるならともかく、宿の従業員であれば問題ない。
迷宮に踏み込む者は良くも悪くも頭のネジが緩んでいる。そんな人間相手にトラブルを起こさないよう、その辺りの危機意識はしっかりと持たされている。
念の為、駄賃代わりの昼飯代を握らせておけば大丈夫だ。
確実ではないが、だいたい問題ない。
万が一の時はごめんと謝るからよし。
荷物の依頼が終わったら次は道具類の買い付けだ。
救助隊で使う道具や装具は物好きが持ち込む私物以外は全て隊支給の既製品だ。サイズも幾つかの種類があるが、中には隊員の体格に合わせて作らねば命に関わる物もある。
今日購入するのはそれら個人に合わせる必要がある道具類というわけだ。
すでに買う物は決まっているので行先に困ることはない。
隊と懇意の店を幾つか回れば、ほとんどの用事は終わった。
気づけばずいぶん日も陰ってきている。
日が落ち切るまであと一時間くらいか。
さすがにそれなりに安全な地域とはいえ、こんなに可愛い女の子を連れて日が落ちた道を歩くのは遠慮したいところだ。
街の中心部ならともかく、隊舎は迷宮のすぐ側にある。
迷宮帰りの猟兵を当てにした酒場や娼館もあり、それだけ柄が悪い人間も集まる。しかし残る店は一つだけだから、ぎりぎり陽があるうちに帰れるだろう。
店は遠くないというか、すでに視界に入っている。
もうすぐ着くぞとアリシアに言おうとしたが、言葉は出なかった。
目的の店から男が飛び出して来たのが見えたのな。
いや、飛び出して来たというと語弊があるな。そう、叩き出された。それがしっくりくる。
地面に転がっているのは初老の男だ。
見た目からして猟兵あがりだが、明らかに現役とは違う雰囲気だ。
落ちくぼんだ眼窩、生気のない虚ろな視線は焦点が合っているのか怪しい。なにより、むくんだように丸い指先と皺だらけの顔を見れば、男の事情はだいたい察せられた。
「二度と来るんじゃねぇぞ、ロワン! 手前に売る装具なんざねえ、帰れ帰れ!」
店の中から工具がびゅんと飛ぶ。
飛んできた工具と怒声り追い立てられるように、ロワンと呼ばれた男はゆっくりと立ち上がり、片足を引きずってのそりのそりと路地に消えて行った。
「揉めてるみたいだね。なんだろう、あの人も具合悪そうだったけど‥‥‥」
「迷宮病の末期患者ですね。見たことないですか?」
「迷宮の毒気を吸い過ぎて、限界値に達した人のことだよね。でも、別に迷宮に潜らなければ死なないわけだし、揉めるのが良くわからないよ」
不思議そうに首を傾げるところも可愛いが、それは迷宮に魅せられた人間のことを理解していないからこその言葉だろう。
「迷宮と関わる生活にすべてを捧げてきた人間が、ある日突然迷宮に潜ってはいけないと言われるんです。家族や友人がいればともかく、猟兵なんて独善的でまともな人間関係を築ける人のほうが少ない。そんな人間が次にどうしたいと思うかということです」
「……頑張って地上で生きて行こう、ではないってことよね?」
思わず苦笑した。
そうだったらいいのになと俺も思う。
だがアリシアも察しているように、そう思う人間は少ない。
拠り所であった迷宮からすらも拒絶された時、人は孤独に苛まれる。耐えきれぬ者が求めるもの、それは――
「彼らが求めるのは、迷宮で死ぬ事ですよ」
死ぬことが分かっているのに、まるで焚火の火に飛び込む蛾のように、迷宮に戻ろうとする。
迷宮の厳しくも慣れ親しんだ腕に抱かれ、最後の時を過ごしながら一人で静かに死んでいくことを求めるのだ。
そのために粛々と準備をする様は幽鬼のごとく、達観した精神からは生気が消える。
いくら死んではいけない、地上でならば生きていけるのだからと諭したところで彼らの心には届かない。
その場では与えられた優しさに理解を示し、頑張って生きてみると答えを返すだろう。
だけれど、それは見せかけだけだ。
彼らの中ではすでに死は定められた運命で、他者の意見など入る余地がない。
今でこそ迷宮病は限界まで毒気が溜まった状態を指す言葉だが、元々は迷宮で死ぬことに執着する彼らの姿が、ある種の精神的な病にかかっているように見えたことから名づけられたのだ。
「止められないのかな。なんだか、悲しいよ」
おっといけない、無駄に暗くなるような話をするものじゃないな。
「大丈夫ですよ。迷宮病と診断された時点で迷宮の探索許可証は失効しますし、迷宮に入る前に体内の蓄積毒素の測定をされます。限界値を超えている人間は立ち入ることができません。あの人だって迷宮以外の場所での死は望んでいませんから、迷宮に入れさえしなければ問題ないんです」
「入らなければ……そっか、そうだよね。ふふ、ちょっと安心した」
「それはよかった」
世の中には抜け道というものがあり、実際には迷宮病患者の死体が頻繁に迷宮で見つかるということは内緒にしておいたほうがいいだろう。
安心してくれた彼女の心をあえて乱す必要はない。
「そういえば、その話し方。癖なのかな?」
「話し方ですか?」
何か変だろうか。
特に何か変だと指摘されたことはないが。
「敬語だよ。たぶんそんなに年変わらないよね?」
「ああ、そういうことですか。でもそうですね、だいたい敬語ですね」
敬語しか使わなくなったのはいつぐらいからだろう。
メルロイさんの隊に入ってからかな。
周囲に大人ばかりで、しかも自分は役に立たない足手まといの分際だったから、せめて嫌な気持ちにさせないようにと敬語で話すようにしてたんだ。
敬語だと心の距離が取れるというのも楽だ。揉め事を避けるためという言い訳で、いまではそれが当然になっている。
だがアリシアはそれが気に食わないようだ。
腕を組み、少し怖い顔で敬語を使わないようにとお願いされた。
「そう言われても‥‥‥」
もはや癖づいていて、敬語を使うなと言われても違和感しかない。
だが頬を膨らませて見つめるアリシアの目は険しさを増していくばかりだ。
残念なことに異性といえば姉と、姉御肌なラーミアルフィくらいしか関わりのない俺には女性に対する耐性が皆無だ。
慣れていれば上手くかわせるのかもしれないが、俺はなんと言えばいいかすらわからなかった。
「隊長が言ってたよ。救助士は最前線で二人きりで活動する相棒だって。だから、なんでも言い合える関係性が重要なんだって」
「それはそうですね」
俺もディアンは結局そういう関係性は構築できなかったな。
でも、一瞬のロスが命に直結する現場だ。
お互いに言葉にせずとも通じ合えるような信頼関係がある方がいいのは間違いない。
「でしょう? 同じご飯を食べていいところも悪いところも知り尽くして——」
同じ釜の飯ってやつだ。
確かに同じ食事をして苦楽をともにすれば関係性は深まるものだ。
「手をつないで街を散策してみたり」
うん、うん?
「お互いの食べ物を食べさせ合ったり」
おかしいな。
俺の知る信頼関係ではない気がする。
「お互いの好きなところを十個づつ言い合ってみたり――」
「よし、一回落ち着きましょう。それは隊長から聞いたってことで間違いないですね?」
「う、うん‥‥」
自分で言っておいて徐々に顔を真っ赤にしていくアリシアは少しアホの子なのかもしれない。
それはどう考えても世の中ではバカップルというのだ。
カウフマンにからかわれていることに気付いていない。根が素直と言うかなんと言うか、人に言われたことを素直に信じすぎてしまうのだろうか。お父さん、将来が不安だよ。血縁関係はないが。
それはともかく、あとでカウフマンのおっさんにはお仕置きが必要だ。
ラーミアルフィに言いつければ尻の一つも蹴り上げてくれるだろう。
「信頼関係を築くのは同意しますが、手をつないで以降は忘れてください。あのおっさ――隊長の悪ふざけです」
「え、でも――」
「忘れましょう。いいですね?」
何が悲しくて恋仲でもないのにバカップルの真似事をしなければならないのだ。
恥ずかしい上に空しいとかどんな拷問だ。
熱心な俺の祈りが通じたのだろう、アリシアも納得してくれたようだ。
若干目に力が入りすぎたな。
なぜかアリシアは怖いものを見たような顔で怯えているが、きっと気のせいだ。
うん、絶対そう。
例えそうだとしても俺のせいではない。
あのおっさんのせいだ。
とはいえアリシアが言うように信頼関係が重要だというのは最もだ。
敬語を使わないことに違和感がある、関係を深めるために敬語をやめよう。
……うん、意地を張っているのはやはり俺の方だろう。
「敬語をやめればいいですか?」
「そうしてくれるとうれしいけど‥‥いいんですか‥‥?」
なぜそっちが敬語になっているのか。
なぜ顔を背けるのか。
なぜだろう、全然わからないな。
とりあえず安心させるために満面の笑みを浮かべ、頷いてみせる。
さらに距離を取られるが、むしろ近寄ってやるぞ。
どうだ、ほらほら。
「いいですよ。いや、いいよだね。相棒になるんだものな。だから、とりあえず目をそらすのはやめよう? 泣くよ?」
俺の顔はそんなに怖かったのか。
姉さんには可愛い顔だと言われていたというのに。
ちょっぴり傷つきました。
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