新たな仲間

 隊舎に戻った俺は、救護室で巨大な猫の前に座っていた。


 いや、猫というと語弊がある。

 なにせ目の前にいるのは猫型の人種なのだ。


 獣人は祖とする神獣によって幾つかの氏族に分かれるが、アルツトという名前の彼はグルーティアという猫に似た神獣を祖とする猫人族だ。


 猫とは異なる神獣を祖とするのに猫人族とは奇妙な気もするが、外見的な特徴がどう見ても二足歩行の猫で、猫人ねこびとという俗称のほうが通りがいいらしい。


 確かに、ぱっと見には二足歩行の猫にしか見えないし、猫人という呼び方にも納得できる。


 体は白と灰色のキジトラ柄の短めの毛に覆われ、やや長い指と二足歩行であること以外は猫そのままなのだ。


 とはいえ猫特有の可愛らしさは、巨大さによって薄れている。

 アルツトはカウフマンよりも上背があり、ずんぐりとした体躯は脂肪の下に分厚い筋肉の鎧を隠している。


 獣人種はミシュテール人より持続力に劣るが、瞬発力と最大出力であれば圧倒的に上だ。比較するだけ馬鹿らしいほどの地力の差があり、単純な力比べならば勝負にもならない。


 体格に恵まれたアルツトならばなおのことだ。

 実際、頭を打っていた俺を絶対安静として宿舎まで運んできたのはアルツトだ。体格に恵まれているほうではないが、それでも大の男を数時間も背負って平然としているパワーは凄まじい。


 なお、この年でおんぶは恥ずかしいという俺の言葉は黙殺された。


「それで、すぐ訓練に復帰できますか?」


 はずれた肩は現場ではめてもらい、いまは多少の痛みがあるだけで腫れも引いている。アルツトの手技の精緻さのおかげだ。


「ふむ……特に問題はないな。多めに見て全治一か月というところか」


 顎をしゃくりながらそう言うアルツトの動きはなんとも人間臭く、わかっていても違和感を感じる。


 だがそんなことより何より、全治一か月?

 その間訓練はどうなる?


 俺の無言の問いかけを察したのか、アルツトは白い毛に覆われた太い腕をサムズアップして見せた。


「訓練だったな。吾輩を倒してからなら許可しようじゃないか」


 つまるところ、許可はしないというわけだ。

 無理をしては治りが遅くなるということなのだろうが、ディアンがいなくなって気が急いている俺にはちょっと酷じゃないだろうか。


「どうする、挑戦してみるかね?」


「……遠慮しておきますよ。これ以上怪我を増やしたら余計に訓練の時間が削られそうです」


「そうかね。では素直に休んでもらおうか。一、二週間は軟膏を塗って、しっかり包帯で固定するようにな。絶対安静とは言わないが、腕を動かすことは控えたまえよ。君は放っておくと見えないところで訓練をやりすぎる傾向にあるからね」


「修行は隠れてやるって相場が決まっててですね」


 へら、と笑うと、アルツトは露骨に嫌そうに顔を歪める。

 冗談めかした本音だったのだが、アルツトには見透かされたらしい。

 そんなにわかりやすいだろうか。


「ミシュテール人は寿命が短いせいか生き急ぐ傾向にあるが、君はその中でも特に早死にするタイプだね」


「これでも前よりましになったんですよ」


「人の人生だからとやかく言うつもりはないがね、治療してもすぐに死んでしまうのではやるせない気持ちになるものだ。せめて私が治療したのを忘れる頃合いに死んでくれるかね」


「善処しますよ」


 切れ味鋭い毒舌だが、アルツトなりに気遣ってくれているのだろう。


 そうだよな。そうでないなら言葉の刃物が鋭すぎる。

 ちょっとばかり何も知らない人間が聞くとぎょっとするというだけで、その裏には温かい何かがあるはずだ。そう信じてるよ、アルツトさん。


 そんな埒もないことを考えていると、隊長室の扉が開き、中から二人の人影が現れた。


 カウフマンとアリシアである。

 救助後の後処理にしてはやけに長いと思っていたが、カウフマンの朗らかな笑みと比べてアリシアの顔色が優れないのが気になった。


 笑みこそ浮かべているが、どことなくぎこちなく、緊張しているような?


「おう、二人ともいたな。ラーミアルフィがいないが……まあいいか。それより、聞いて驚け。重大発表だ」


「……吾輩、聞く前からろくでもないとわかるのだが」


「奇遇ですね、俺もです」


 皮肉たっぷりな俺達の言葉を華麗に聞き流し、カウフマンはアリシアを前に押し出した。


 緊張気味の彼女は俺とアルツトを交互に見やりながら、ぺこりと頭を下げた。緊張の面持ちで彼女が口にしたのは、とんでもない爆弾だった。


「あ、アリシアです! 今日から救助士としてお世話になります! よ、よろしくご鞭撻のほどお願いします!」


 ……いま、なんて言った?


 聞き間違いかとアルツトに視線を向ける。

 ため息をつきながらアルツトは首を振っていた。


 念のためカウフマンに視線を向ける。

 てめぇふざけんじゃねぇ冗談だろこの野郎冗談だと言ってくれ、という想いを込めた視線に、カウフマンはアリシアに見えない位置で親指を立てて返していた。


 なんともふざけたおっさんだが、やはり聞き間違いではなかったらしい。


「新しい救助士?」


「は、はい! 頑張ります!」


 その意気やよし、大変結構。

 だがいくらなんでも女の子、それも迷宮上層で救助を要請するような猟兵としても経験が不足している人間を勧誘するなど正気とは思えない。


 救助隊は猟兵とは違う。

 猟兵は自分の命に責任を持てばいいが、救助隊は他者の命にも責任を持つのだ。要救助者の死は救助隊の責任で、回避するために自身の命を危険に晒すことを当然とされる。


 自分と要救助者の命を守るために覚えるべき救助技術は多岐に渡るが、その前提として迷宮への理解度の深さも求められるのだ。


 だからこそ、救助隊の新人は元猟兵、それも古株と呼ばれるような者達が多い。


 俺のように五年の猟兵経験はまだ浅いほうで、三十年近く猟兵をやっていた新人も珍しくない世界なのだ。


 猟兵としての経験がなく、男よりも筋力に劣る女の子。

 隊としても、彼女としても苦労する未来しか見えなかった。


 だがカウフマンは気にした素振りもなく、にやりと笑った。


「知っての通り、救助には金がかかる。救助板はあくまでも救助を要請できる権利の購入であって、救助が完了したら成功報酬を別途頂く。これは非常に重要な救助隊の運営資金となるわけだ」


「国営組織って言っても内情は火の車ですからね。でもなんで急にそんな話を……?」


 救助隊が常に金欠なのはいまに始まった話ではない。

 装具だって古いものを自身で整備して長持ちさせるようやりくりしているのだ。新製品どころか、新品だってなかなか買えない。


 そんな悲しい台所事情とアリシアにどんな関係があるんだ。

 そこまで考えたところで、はっとした。


「まさか……報酬が払えない?」


「そう、そのまさかってわけだ。報酬の支払いができない場合は後払いって形にするんだがな、アリシアちゃんは一緒に潜っていた猟兵団とはさよならするらしい。そしてうちにはちょうど欠員が出ている。つまり?」


「うちで働かせながら報酬分を支払わせる?」


「あわよくば支払い後もうちで働いてもらう」


 にんまりと悪い笑みを浮かべるカウフマンに、思わず手が出そうになった。

 色々世話になっている恩人だが、なぜか腹が立つんだよな。


 アリシアもそれでいいのかと思ったが、彼女は別に構わないらしい。

 苦労するぞ、物凄く。本当にわかってるのか。わかってないんだろうな。


「迷宮で生き抜く技術を教えてくれるというので……続けるかどうかも私の意志で構わないということですから」


「そうだぞ。決して騙したりはしていないぞ。支払いさえ終われば辞めたい時に辞めてもらって構わんさ」


 そう言いつつ実際辞めようとしたらあの手この手で引き止めるんだろうな。

 そういう顔をしている。具体的には悪い大人の顔だ。


 どうやって彼女を説得しようかと考えあぐねていると、予想外の方向から助け船が来た。


 ただし、その船の助ける先はカウフマンだ。


「彼女がそれでいいというのなら、構わないのではないかね」


「アルツトさん!?」


 アルツトは綺麗に整頓された机に手を伸ばし、木箱の蓋を開けて葉巻を取り出した。蓋を閉め、衝撃で少しずれた木箱を指先でつついて位置を戻すと、葉巻の尻を切り落とし、火をつける。


 ぷかり、とうまそうに紫煙を吐き出すと、不満げな俺に視線を向け、太い首をすくめた。


「元より人員不足なのだ。どんな人材であっても御の字だろうさ。吾輩が思うに、一人前になるには本人のやる気がもっとも大切だと思うが……さて、そこが問題なければいいのではないかね?」


「それはそうですが……ええと、アリシアさん?はどうなの? 猟兵経験もないとなると、物凄く大変だし、覚えることもたくさんあるよ。正直猟兵をやりながら借金を返すほうが絶対に楽だ」


 救助隊なんて金にならず、失敗すれば総叩き、成功しても当然と褒められることもない。報われない職業なのだ。


 俺のようにここしか居場所がないならともかく、そうでないなら別に救助隊に固執する必要はないはずだ。


 俺はかなりの熱量でそう力説したつもりだが、アリシアは少し考え、それでも救助隊で働くと宣言した。


「入った猟兵団には見捨てられちゃいましたし、新しく信頼できる猟兵団を見つけられるかもわかりません。それに、まずは挑戦してみないとわからないと思うんです」


 意志は固いらしい。

 俺はため息をつき、最後にカウフマンを睨みつけて不満をぶつけることだけは忘れなかった。


「どうなっても知らないですよ」


「ああ、責任はおっさんが取るもんだから安心しろよ。それじゃ、宿舎と装具の手配は任せたぜ」


 カウフマンは話しは終わりだと切り上げ、隊長室に一人戻る。

 鼻歌に混じってグラスが鳴る硬質な音がするから、きっとこんな昼間から酒を楽しむのだろう。


 とんだ不良中年にため息しかでない。


 ちらりとアリシアを見れば、やる気に満ち溢れた表情で俺を見ていた。

 まったくもって困った事態になったものだ。

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