アリシアという少女 2

 ディアンが出て行ってから一週間、隊舎は平和だった。


 とはいえそれは望ましいことではい。

 単に、仕事がないということなのだ。


 欠員が出た救助隊の番手は否応なく下げられる。俺が加入して一年、そろそろ中層も目前というところまで上がっていた番手も、現在は下から数えたほうが早い。


 というか、下には中層での事故で三人欠員が出て事実上の活動停止に陥った隊しかない。


 実働可能な救助隊で考えれば、実質最下位だ。

 任地もそれに合わせたもので、なんと上層入口近郊とくる。危険な迷獣の巣もなく、日に何度も猟兵が行き交う。そんな場所で貴重な救難板を使い、救助隊を呼ぶ人間などいるわけがない。


 通りかかった猟兵に一夜の酒代を払って入口まで運んでもらうことができる距離である以上、俺達にお呼びがかかる可能性はないも同然だった。


 だがそんな平和な隊で危険極まりない者が一人。


「隊長、あれ、大丈夫ですか?」


 救助隊施設は四つの隊が合同で利用するため、施設はそれに伴って大型だ。訓練設備も共有だけあってしっかりとしたものが設けられていて、崖やら谷やら疑似森林やらと迷宮のあらゆる環境を想定して訓練できるようになっていた。


 俺が指差したのは崖を模した訓練施設で、ちょうど要救助者の引き上げ訓練が行われていた。


 要救助者役の人形を引き上げようと奮闘している大柄な赤毛の女は、濃い褐色の肌に映えるややくすんだ白い翼が印象的だ。


 大柄で筋肉質であることを差し引けば文句のつけようのない美女だった。

 

「ふんぬあぁぁぁあぁっ! 上がれえぇぇぇぇっ!」


 ただし、百年の恋も冷めそうな脳筋ぶりだが。


 力いっぱい絶叫しているが、装具の扱いが壊滅的過ぎる。力任せに装具を操作しているせいで、要救助者が寝かせられた搬送具はぐるんぐるんと回転している。


 あれが本物の人間なら目を回しているだろうな。

 下手をしたら崖にぶつかって余計な傷ができそうだ。とてもじゃないが本物の要救助者は任せられそうもない。例え助けられても苦情の嵐になりそうだった。


 名前はラーミアルフィ、カウフマンの実の娘だ。

 顔立ちだけを見ればちょっと信じられないが、筋肉質な体と何事にも雑な性格を見れば血縁者なのだと納得できてしまう。

 

「いくらディアンがいなくなったからって、ラーミアルフィは補助士ですよ。やっつけの訓練で救助士に配置換えなんて危険すぎますよ」


「そうは言うがな、補助士はともかく救助士は二人一組が基本だ。なに、ラーミアルフィだって補助士としてベテランなんだ。うまくやるさ」


「それ、本気で言ってますか……?」


 さっと目を逸らすカウフマンがすべてを物語っている。

 救助士は補助士と比べて扱う装具が多く、細かい作業が苦手なラーミアルフィは自分でも向いていないと公言していたのだ。


 実際、いまも使ったことがない装具の習熟訓練で四苦八苦しているではないか。


「だ、大丈夫だって。上層入り口で遭難する馬鹿はいねえよ。訓練する時間はたっぷりあるさ」


 だったらいいんだが。

 自分の面倒で精一杯なところに、ラーミアルフィの補助なんてできる気がしないぞ。


 だがその時の俺はすぐに思い知ることになる。困ったことに、こういう時ほど祈りは通じないものだ。


 きゅぃん、と耳に痛い音が鳴り響いたのはちょうどその時だった。


 その音はどんな生き物でも不快感を感じるだろうというような高音で、俺達救助隊にとっては何よりも聞きたくない音の一つだ。


 猟兵によって救難石が割られた、その合図だった。


「最悪ですよ、本当に……呼び寄せたじゃないですか」


「俺のせいかよ!? ただの偶然だろ。偶然……偶然だよな?」


 カウフマンは不安そうに表情を曇らせるが、眼帯をつけたごついおっさんがそんな顔をしても可愛くない。


 要救助者が待っているのだ。

 おっさんの戯れに反応する時間すら惜しかった。



 ◇◆



 目的地は迷宮上層のアーサスタン高原。

 到着まではほんの一刻ほどだった。


「発見、滑落跡だよ!!」


 さすがの熟練の目、周辺探索で最初に痕跡を発見したのはラーミアルフィだった。


 一番近かった俺は崖際に滑り込むように到達すると、顔をのぞかせて素早く状況を確認する。


「要救助者一名! 女性、十代後半! 崖の途中で引っかかってます! おおい、生きてますか! ……対象、反応なし!」


 カウフマンはすぐに周囲を見回して現場を確認、矢継ぎ早に指示を下した。


「シオン、ラーミアルフィの補助で降下しろ! ラーミアルフィはシオンの合図で要救助者の引き上げ! さっきみたいな醜態はさらすなよ! 俺は――」


 言いながら背嚢から取り出した指先サイズの丸薬に火をつけ、あたりにばらまく。


岩甲蟲がこうちゅうどもを相手するからよ!」


 ちょうどアーサスタン高原に巣を作っている迷獣、岩甲蟲が巣穴である盛り土の穴からのそりのそりと這い出してくるところだった。


 岩甲蟲は一抱えほどの大きさで、背中に小さく硬い甲羅が鱗状に並び、その可動性を生かして緊急時にはくるりと丸まってしまう可愛らしさを持つ。


 普段は凶暴さとは無縁の可愛らしい生き物だが、巣に近づく者には容赦しない狂暴な一面を持っていた。


 そしてこのアーサスタン高原は、まさしく彼らの巣のど真ん中である。


「こっちは気にするな、近づけさせねえからよ!」


 カウフマンが迷獣が嫌う煙を吐き出す嫌煙香を追加でばらまくと、俺達と岩甲蟲の巣の間に白い煙の壁ができあがった。


 向こうは補助士の仕事だ。

 意識を切り替え、腕に装着した射出機を天井に向けて引き金を引くと、ばしんっという鈍い音とともに鉄の黒針こくしんが発射された。


 黒針はそれ自体が装具であり、先端に衝撃を感知すると同時に高振動を起こして硬い岩盤にずるりと埋まり込むと、仕込まれたばねの力で戦端を開き、楔として固定された。


「ラーミアルフィさん、お願いします!」


「お、おう! あたしに任せろっ!」


 慣れない手つきで引き上げ用の装具の準備を始めたラーミアルフィが頷いた。


 少しばかり不安だが、信じるしかない。


「これがこうで、ロープをここに通して、そんでここを固定して……ええい、準備よし! 行けっ!」


 おい、本当に大丈夫だよな?

 なぜそんなに汗だくなんだ、強すぎるだろう。


 だけど行くしかない。

 仲間を信じずして何を信じるというのか。


「左右よし、上よし、下よし、安全よし! 降下します! 降下、降下、降下ーっ!」


 崖から飛び出すと同時に体の向きを変え、崖肌に着地するように足を向ける。壁を蹴りながら、あとは下へ下へと向かうだけだ。


 崖の中ほどにあるでっぱりでぴくりともしない要救助者の少女に近づき、動きを止める。


 でっぱりの強度がわからない。

 直接乗るのは危険だと判断し、宙づりのまま体勢を変え、少女の呼吸を確認する。胸は規則正しく上下していた。


 やれるか?

 一瞬不安が過ぎるが、ばかばかしい問いだ。やれなくてもやるしかないのだ、馬鹿め。


 覚悟を決めて少しづつ距離を詰める。

 よし行ける、そう確信した瞬間、がくんっとロープにかかる張力が消えた。


 同時に頭上から降り注ぐ「やばい!」という悲鳴。

 一瞬の浮遊感のあと落下を始めるのを意識せずとも、ラーミアルフィが何かやらかしたのだと理解する。


 ちくしょう、不安が的中した!

 咄嗟に崖肌に手を伸ばすが、今一歩届かなかった。


「こ、の――っ!」


 運が悪いというべきか、射出機に新たな黒針を装填するのを忘れていた。やむを得ず、咄嗟に両手両足を広げて少女をまたぐように着地する。


 少女に覆いかぶさるような四つん這いでの着地は、もはや激突である。


 やけに弾力のある苔のおかげで怪我こそ負わなかったが、本気でひやりとさせられた。


「た、助かった……?」


 ほっとすると同時に、距離が近すぎることに気付いて顔をが熱くなる。


 拳一個分ほどの距離の向こうに、薄緑色の髪の少女の可愛らしい顔があった。


 きっと笑うと愛嬌が増すのだろう顔立ちは見ていて飽きが来ない。思わず女の子はこんなにまつ毛が長いのかと考えてしまうほどには見惚れていた。


「って、そんな場合じゃない! ラーミアルフィさん、あとで覚えててくださいよ……っ!」


 悪態をつきながら現実に戻り、身を起こそうと体を動かす。

 その刹那、少女の目がぱちりと開いたのが見えた。


 脳裏をよぎったのは、姿勢のまずさである。

 これではまるで少女を襲う変態のようではないか。


 違う、と言葉を発するよりも、少女の拳が俺の頬にめり込むほうが早かった。


「ぐほぇっ!?」

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