カウフマンの決断

 カウフマンとの出会いから一年が経ち、俺は十七歳になった。


 この一年は激動の日々だった。

 毎日毎日訓練漬けだ。


 朝日が昇る前から動き出し、お月様が真上に見えてようやく訓練が終わるなんて日も珍しくない。救助隊には猟兵と異なる技術と経験が必要とはいえ、あまりにも異常な訓練量だったと思う。


 だが、俺にはそうしなければならない理由があった。


 薄れかけた意識が、ばしゃりと冷たい水をかけられたことで急速に戻る。


 どうやら気絶して寝ころんだ俺に、気付けの一杯と冬の冷たい水をぶちかましてくれたらしい。目を開くと、件のそうしなければならない理由が俺を見下ろしていた。


「ディアン……俺は、また意識を?」


 俺の質問に対する答えはない。

 狼の獣人であるディアンは、苛立たし気にしっぽの毛を逆立てているだけだ。


 獣人には人に近い容姿の半人種と、獣に近い半獣種がいるが、ディアンは明らかに獣寄りだ。 頭部は狼そのもので、半人種の特徴でもある人間のようなつるりとした皮膚はなく、全身を灰色の獣毛で覆っている。清潔に整えられながら、触らずともわかる剛毛はいかにも手触りが悪そうで、逆立った毛に至っては人間の皮膚くらいなら貫きそうに見える。


「てめぇ、命令を無視した上に気絶とはどういう了見だよ。ただの訓練だって舐めてるのか。役立たずの能無しが手を抜くとは偉くなったもんだな?」


 狼の巨大な口元には鋭い牙が覗き、何でも飲み込みそうな喉奥からは唸り声が漏れ出ていた。


 俺の相棒の救助士であるディアンは、実力が足りない俺への侮蔑を隠そうともしない。 強い毒のこもった言葉だ。


 ぎゅうと胸が締め付けられるような気がした。

 ここで言い返すことができればいいが、言葉は出なかった。

 情けない話だが、実力不足は事実だ。


「ご迷惑を、おかけしました……」

「本当にな。おっさんもなんでお前なんか‥‥ああ、くそむしゃくしゃすんな。おい、片付けしとけよ!」


 むくりと起き上がって謝罪をするも、ディアンは痛烈な舌打ちをして足音も高くその場を立ち去った。


 周りを見回せば、気絶する前に見た景色のまま救助隊の訓練場だった。


 迷宮にほど近い場所に用意された四つの救助隊が同居する救助隊舎の訓練場は広い。いまいるのはその中でも救助士用に特化した、崖や谷といった起伏の激しい模造地形が目玉の第二訓練場だった。


 ディアンがいなくなり、いまは自分しかいない訓練場は無駄に広く、がらんとしていた。


 まるで自分のいまの心境を現すような空虚さにため息が漏れる。


 痛む体を動かし致命的な傷がないことを確認すると、片付けを始めた。 ディアンに言われたということもあるが、元装具士の弟子としては使った装具を野ざらしにすることに抵抗があったのだ。


 姉が迷宮で命を落とすまで、俺は少しでも生活の足しになればと装具を作る職人である装具士に内弟子として雇ってもらっていた。


 職人の弟子など稼げる金銭はたかが知れているが、それでも年端もいかない子供ができることなどそれくらいだったのだ。


 とはいえ、装具士としての修行は性に合っていたらしい。

 装具をいじるのは思いのほか楽しく、姉が迷宮に飲み込まれなければいまも師匠にどやされていたに違いない。


 へんくつな師匠の顔を思い出しながら使った装具を一か所に集め、一つ一つ故障がないか丁寧に確認していく。


 道具は命だ。

 どれほど気を使っても使い過ぎるということはない。


 普段はあって当たり前、使えて当然。そうやって便利さを日常として胡座をかけば、本当に必要な時にそっぽを向く古女房のようなものなのだ。


 しみじみとそう言っていた師匠に心の中で頭を下げる。

 半ば無理矢理辞めてしまったが、いまもあの偏屈な爺さんは元気だろうか。


 手入れが必要な装具を手早く分解し、清掃し、油を差し、最後に研磨剤を使って拭き上げる。 ぴかぴかになった装具を所定の位置に戻せば、どんよりと立ち込めていた心の中の雲も少しは晴れた気がした。


 とはいえ、全て吹っ切れたわけでもない。


「やっぱり、向いてないのかな」


 最後の装具を棚に戻しながら、ぽつりと呟く。

 カウフマン隊に救助士として配属されてから一年、足を引っ張ってばかりだ。


 救助隊の中でも最前線で要救助者の救出活動を行う救助士は花形のポジションだ。それだけに求められるものは多く、素人が一朝一夕でこなせる仕事ではない。


 だったら別の配置にしてもらえばとも思うかもしれないが、残念ながらほかの配置のほうが難しいとくる。


 救助隊の職種は全部で四つ、救助士、補助士、医術士、探索士だ。


 補助士は指令塔にして何でも屋で、救助士の補助、現場の保全、迷獣の妨害と、現場を俯瞰して把握する視点と刻々と変わる現状をコントロールするだけの経験がいる。


 医術士は言わずもがな。救助隊や補助士のような技術や経験はいらないが、道具と薬が不足する迷宮で患者を生存させることに特化した医療技術を持っていなければならない。


 そして最後の探索士は、たった一人で迷宮を探索し、迷獣の生態調査や異変の確認といった調査全般を担う。熟練の猟兵ですら徒党組むのが当たり前の迷宮で、独力で生き抜くことができる生存術、そして必要と不要を判断し、情報を精査する優れた判断力と処理能力が必要となる。


 悔しいが、どれも俺にはないものだった。


 もちろん救助士も技術がいらないというわけではない。高い技術と体力、そして度胸が必要だ。


 ただ、他の三職が比較して努力でカバーできる部分が大きく、仮にミスをしても要救助者と救助士の命で被害を留めることができる。


 非情な言い方にはなるが、危険が付きまとう迷宮では最優先は自身の命であり、部隊の生存はそのための必須事項なのだ。


 つまるところ俺が救助士に配属されたのは消去法なわけだ。


 そして、それでも足りない実力で毎日怒鳴られている。

 成長していないわけではないし、結果も出しているが、ディアンが求める水準に達したことがない。


 姉を助けられなかったと落ち込んでいた俺がそんなディアンに怒鳴られ続ければどうなるか、自信を喪失した哀れな少年が出来上がっていた。


 なんとかしなければ、なにくそと思いもするが、現実としてディアンを前にすると体が萎縮するし、心が締め付けられるように感じてしまう。


 メルロイさんに認められていた勘の鋭さすら鈍っている。

 いままでは何となくわかっていた毒気や迷獣の接近も、なんだかよくわからなくなっていた。


 まったくもっていいところなしだ。

 お荷物ぶりにがっくりくる。


 それでも朧気な空気の違いを感じることはあるが、当たらなかった場合に何を言われるかわかったものではなく、言い出すことすらなくなっていた。


「こんなんじゃダメだよな、やっぱり」


 俺には姉さんを見送る、そのために姉さんが死んだという下層まで行くという目標がある。


 そのためにはカウフマン隊の救助隊としての番手を上げなければならない。


 シオンの成長とともに一年前から多少上がったが、それでもまだ任地は上層止まり。それでももう少し頑張れば中層が見えてくる。


 ならば奮起するしかないじゃないか。

 そのためには先輩であり教官役であるディアンに認められるくらいに訓練するのが早道だろう。


 考えるだけで胃がしくしくと痛む気がするが、覚悟を決める時だろう。 むしろ遅すぎたくらいだと勢い込み、ディアンを探して隊舎を歩き回る。


 今日のディアンは訓練の後は半休のはずだった。


 救助隊隊舎は広いが、敷地の大部分は訓練施設が占ていて意外と人がいる場所というのは限られる。ましてプライベートを過ごす空間と考えれば自室か談話室ぐらいなものだが、どちらにもディアンの姿はなかった。


 街に出かけたかと考えながら廊下を歩いていると、ちょうどよくお目当ての人物の声が聞こえた。


 ただし、少しばかり不穏な声音だ。


「おっさん、今日こそは決めろや!」


 声が聞こえた扉の横にはおざなりな筆致で描かれた「隊長室」の木札がかかっている。隊員からはカウフマンの執務室兼自室兼遊び場というなんだかわからない評判の場所だが、中にいる人物はわかりきっている。


 ディアンと、だいたい飲んだくれている部屋の主カウフマンだ。


 盗み聞きするつもりはなくても、聞こえてしまうのだから仕方ない。


 仕方ない、よな?


「ディアン、何度この話をすれば気がすむんだ。俺には責任があるんだ」


「責任? 責任ってのはあんな使えない馬鹿ガキを後生大事に抱えることかよ!?」


 ああ、俺のことか。

 ディアンが声を荒げるような話なんて限られるし、そんな気はしていたが、はっきりわかってしまえば心にくるものがあるな。


 それでもその場を離れようという気にはならない。

 カウフマンの言う責任という言葉が気になっていた。


「あいつをうちで面倒を見ると決めたのは俺だからな。お前もそうだぞ、ディアン。俺はお前も、うちの隊にいる奴らは全員面倒を見ると決めている。どちらかを選ぶなんてことはできない」


 なるほど、そういうことか。

 いまの言葉でディアンが決めろと言っている意味がわかった。

 つまり、ディアンか俺か、どちらかを選べと言っているのだ。


 ずきり、と胸が痛む。

 実力だけで見れば簡単だ、明らかにディアンだろう。


 俺が選ぶのでもそうする。ディアンは怒りっぽいし皮肉屋だし乱暴だしで俺との相性は最悪だが、救助士としての技術は高い。それこそ下層を任地とする救助隊でも活躍できるほどだ。


 彼の友人であり俺の前任だった救助士が怪我で引退しなければ、きっと今頃カウフマン隊は番手を上げて下層で働いている。


 そんなディアンと比較して俺を選ぶというのはいかにも無理があった。


 だが、カウフマンは返事をしないディアンに向けもう一度繰り返した。


「ディアン、あいつはまだガキで、新人だ。一年かけて仕込んできたんだろう。あいつほどとは言わないが、一人前と評価してもいい頃合いだぞ」


「……あいつに比べれば、足りねえよ」


 舌打ちの後に、ディアンの深いため息が聞こえた。

 さらに、「もういい」という投げやりな言葉が続く。


「俺は一番になるんだ。救助士として上を目指す。そのためにあんなガキのお守りなんてしていられねえ。そんな時間はねえんだよ。わかるだろ、おっさん」


「……わかるからこそ、困る」


「いいさ。一生困ってろよ、おっさん。俺は俺でやらせてもらうからよ」


「どういうことだ?」


 意図が読めなかったらしいカウフマンに、ディアンの怒声が続いた。


「別の隊に勧誘もらってんだ。俺はそこへ行く……そこで上を目指す。あんたには恩があるが、これ以上は、駄目だ。なぁ、おっさん。これが最後だぜ、どうするよ?」


 いまならば引き止められるぞ、と言外に匂わせる。

 きっとそれは彼なりのカウフマンへの義理立てなのだろうが、その天秤に俺が乗っている状況は苦しいものがある。


 ここでカウフマンから見捨てられたら、下層で姉を送るという目的が遠ざかる。猟兵の資格を取り直すのに最短二年、そこから仲間を集めてと考えると、何年無為の時間を過ごすことになるかわかったものではないのだ。


 頼める立場ではないが……頼む。


 祈りながら待ったカウフマンの言葉は、予想外に愛情に満ちた声音だった。


「お前なら、どこでもやっていける。応援してるよ」


「それが答えでいいんだな?」


 止めてもらえると思ったのだろう、ディアンの反問にもカウフマンの答えは変わらなかった。


「あばよ」


 部屋を出たディアンは逃げ遅れた俺を一瞥し、何かを言おうと口を開いた。


 だが複雑そうな表情で頭を掻き、結局何も言わずに去っていった。


 皮肉の一つも言われるかと思っていただけに意外だ。

 どこか寂しそうな後ろ姿が印象に残っている。


 正直、苦手ではあれ尊敬できる男だ。目的のためには遠慮したいが、自分ではなくディアンが残るべきではないかと思う気持ちもある。


 なぜ自分を取ったのか。

 カウフマンに聞けば教えてくれたかもしれないが、俺はその勇気が持てなかった。


 とにもかくにも残ることができたのだ。

 ならば全力を尽くそう。


 自分の目的のためにも、努力しなければならない。


 ディアンがいないいま、彼の教えを思い出しながら訓練するしかない。一人でどこまでやれるなわからないが、努力するしかないのだ。


 覚悟を決めた俺は、カウフマンに見つからないよう足音を殺しながら訓練場へも戻ることにした。


 このあとは仕事はなく、ディアンと同じく半休だ。


 なら時間は有効に、少しでも訓練をして足りない実力を高めるとしよう。


 それくらいしか、俺にはカウフマンに報いる方法が思いつかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る