失意と出会い
ミリヤ公国、首都。
世界に七つある迷宮のうち試練の牢獄を有するその街は、大陸東部で随一の都市だ。
大陸全土でも珍しい数十万都市。それだけの人口を有する理由は幾つかあるが、大きな理由は迷宮への入り口を都市内部に持つことから、燃料を容易に得ることができる立地だろう。
迷宮石を燃料とした装具が生み出されてから数百年、燃料と発展は互いに欠かせない相棒だ。
そんな都市であるから、迷宮に潜る猟兵達をまとめる猟兵組合の建物も相応の規模になる。下手な貴族の邸宅よりよほど大きく、初めて目にした時は見上げすぎて首が痛くなったほどだ。
だが両親とともにこの街に移住し遠望すること十年、猟兵となってからの五年は実際に出入りしている。もはや見慣れた現状、初めての感動など感じることはない。いま感じるのは、目の前で心底嫌そうな顔をする受付嬢と、同じように不快な感情を抱く周囲の猟兵達の冷たい視線だった。
「いい加減にしてくださいますか?」
豪華な建物に見合うだけのしっかりした作りの制服に身を包んだ受付嬢は、悪態でもつきそうなほど苛立たしそうに言った。
職務だから相手をしているだけで、そうでなければ口を利きたくもないという様子だ。
だからとい言って負けるわけにはいかず、俺はしつこく食い下がるしかない。
「やはり、駄目でしょうか」
「駄目と言ったら駄目です。先もお伝えしたとおり、あなたの猟兵免許は三年間の停止処分となりました。仲間を見捨てたのですから当然かと思いますが?」
受付嬢の侮蔑の視線に、周囲の猟兵達も同調するように頷く。
この場に俺の味方はいないようだが、それも無理はない。
命の危険がある迷宮に潜る猟兵にとって、死んだあとに助け出される保険は重要だ。発見した卵胞は何を置いても連れ帰らねばならない。いつか自分が死んだ時に同じように連れ帰ってもらうためにも、その掟を絶対に破ってはならないのだ。
それを破った結果がいまの現状だ。
三年間の免許はく奪ならばむしろ軽いほうだ。
未遂であったことと、古参で組合の信頼が厚いメルロイさんの口添えのおかげだろう。
とはいえ、そのメルロイさんが通報者であることを考えれば礼を言う気にはなれないが。
実際、メルロイさんはうまくやった。
死すら覚悟して姉さんが死んだ場所へ行こうとしていた俺を迷宮から引き離すには、物理的に迷宮に潜れなくするのが一番だからだ。
迷宮に入るには猟兵の免許が必要で、一つしかない入り口は組合が管理していて免許なしでは入れない。
「まだなにか?」
「いえ……すいません、お手数をおかけしました」
これ以上ここには用がない。
さすがにもう頭は冷え、迷宮の中で死ぬことが無意味だと悟ってはいるが、せめて姉を弔いたい。姉が死んだ下層で姉に別れを告げたかった。
とはいえそのためには三年を待つ必要がある。
命の期限という制限がなくなったことで時間はいくらでもあるが、三年間を無為に過ごすことを許容できるほど俺の心は強くはない。
言葉は悪いが俺には区切りが必要で、姉の死んだ場所で別れを口にすれば、その区切りが手に入る気がしていたのだ。
馬鹿馬鹿しいと自分でも思うが、それが俺なりの姉を送る儀式なのだと思う。
ひとまずはほかに何か方法がないか探るしかないか。
最悪、盗掘屋に渡りをつけるか。
そう思って立ち去ろうとする俺に、受付嬢はため息をついて声をかけた。
「もう少し食い下がるかと思いましたが、予想外に素直ですね。反省しているということでしょうか」
反省は少し違う気がした。
いまは仲間を見捨てないが、あの時、あの状況なら同じことをしたと思うからだ。命の期限が切れているかどうか、その前提条件異なる。
つまり、あの時の判断は俺にとって最善だったし、申し訳なくは思いこそすれ反省するのとは違うのだと思う。
答えに窮していると、受付嬢は再び溜息をつき、「もういいです」と諦めの言葉を吐いた。
「あなたと話したいという方が待っています。あちらの談話室へ向かってください。これ以上私を苛立たせたいというのならば話は別ですが?」
そんなわけもなく、慌てて兵達が人に聞かれたくない話をする際に借りる個室の一つへと向かう。
二度扉を叩いて中に入ると、野太い声に出迎えられた。
「おう、来たか」
部屋の中にいたのは年の男だ
オレンジがかった茶色の髪と、同色の瞳、無精髭。メルロイさんを一回り大きくした筋肉質な体。顔も体も露出している部分は傷だらけで、特に印象的なのは右目を覆い隠す黒い眼帯だ。
眼帯でも隠せないほどの古く硬くなった裂傷が見え、その深さから眼帯の下の瞳がどうなったかなど考えるまでもない。
しかしそんな荒事に慣れた容姿とは裏腹に、男は実に人好きのする笑みを浮かべ、雑な動きで杯を滑らせ蓋が開いたままの酒瓶から中身を注いだ。
「ま、座れよ。出会いに感謝の一杯とくらぁ」
「俺は十六歳ですよ」
ミリヤ公国の法律では、酒は十八歳からと決まっている。
猟兵を筆頭に守る人間のほうが少ないが、それでも生真面目にそう反論すると、男は一瞬目を丸くしてから破顔した。
「心配すんな。ただの果実水だよ」
だから飲め、と指先で押し出された杯を受け取る。
何の用かはわからないが、酒でないのならこれ以上断るのは礼儀に反するだろう。気乗りはしなかったが、渋々口に運び――
「ぶほっ!?」
舌の上に広がる苦みと強烈な辛味は到底果実水のものではなく、思わず吹き出した。
違和感が強すぎて一瞬何が起きたかわからなかったが、にやにやしている男を見ればそれが酒なのだとわかる。
「だ、騙しましたね!」
「騙されるやつが悪いのさ。メルロイの言う通り、素直すぎるぜ。なぁ、シオン・ミグニッド」
「お言葉ですけど、騙す奴が悪いに決まってますよ。あなた、誰なんですか?」
口元を拭い、苛立ちを隠さずに問うと、男はにぃと笑った。
「カウフマンだ。カウフマン・ローリア・アルバスト。よろしくな、坊主」
この辺りではあまり聞かない名前に、眉尻があがる。
その独特の名前の形式は知っていた。
翼ある人種、カプーノ族の独特の名前だ。最初が名前、次が部族名、最後が生まれた土地を示す。つまり、アルバストで生まれたローリア族のカウフマン、となる。
気になるのは、そんな有翼人種であるはずのカウフマンの背中に翼がないことだった。
「カプーノ人、ですよね?」
「ああ、
眼帯を指先で小突くカウフマンは、苦みを含んだ笑みを浮かべる。確かにままあることで、納得できる話だ。
「ご愁傷様です。それで、何か御用ですか。メルロイさんからの依頼だと聞きましたけど。俺なんかに今更用って……嫌味ですか?」
「ずいぶん卑屈だな。ま、いいけどよ」
酒杯の中身を一息に開けて酒臭い息を吐いてから、カウフマンは残り少ない酒瓶を揺らし、ふうむと唸る。
「お前、迷宮の底で死んだ姉貴に謝りたいんだろ。難儀なこったが、そのために下層まで行きたいわけだ」
「なんでそれを……メルロイさん?」
「正解」
お茶らけた返答だが、それで十分だ。
確かに迷宮で気絶させられた時、姉に謝りたいのだと口走ったのを覚えている。
「だったらなんだって言うんですか。あなたが下層まで連れて行ってくれるとでも?」
馬鹿にしたいのならばすればいい、そう思って睨みつけたのだが、カウフマンは「まあな」と頷いた。
「いや、連れて行くって表現は正しくねえか。お前の頑張り次第じゃ下層までも行ける、その道をくれてやるってことだ。救助隊は知ってるだろ?」
救助隊という言葉は知っていた。
というか、猟兵であれば知らない人間のほうが珍しい。その名の通り誰かを救助する組織なわけだが、その対象が猟兵なのだ。
猟兵は社会にとって貴重な資源の採掘者だが、迷宮の過酷さゆえに命の損耗が顕著だ。優れた人材の喪失は社会の停滞を招く。それを防ぐために、彼らを危地から救い出す組織が設立されるのは必然だろう。
実際、俺もメルロイさん達と一緒にいた五年間で一度だけ利用したことがある。
卵胞が発見されるのは運だが、救助隊であれば高確率で助けてもらうことができる。猟兵にとっては卵胞の発見は最後のギャンブルで、救助隊は信頼できりう命綱というわけだ。
話の流れからすると、救助隊への勧誘なのだろう。
理解したことを察したらしく、カウフマンは話を続けた。
「救助隊っていうのは完全に実力主義でよ。ミリヤ公国の救助隊は二十隊あるが、その実力で番手が決まってるんだ。上位の番手なら下層での救助ができるぜ」
「なるほど……でも、なんで俺なんですか。誘うにしてももっと良い人材がいるでしょう」
自分を卑下しているわけではなく、単純な事実だ。
俺も猟兵として活動していた経験はあるが、それはメルロイさん達がいてくれたからこそ成り立っていただけだ。
言い方は悪いが、万年中層止まりだったメルロイさん達ですら俺より優れた技量と経験の持ち主である。中層まで行ければ一流、下層へたどり着ければ英雄と呼ばれる猟兵にあって、俺は二流止まりだ。
救助隊に誘うなら俺などよりよほどいい人材がいるはずだ。
だがカウフマンはあっさりとそれを否定した。
「それがそうでもない。救助隊ってのは日の当たる仕事じゃなくてな。猟兵みたいに一攫千金もなければ未踏領域の踏破なんて名誉もない。高い金を払ってるんだから助けられて当然、失敗しようもんなら貴重な猟兵の損失ってなもんで総すかんだ。それでいて求められる技術は高すぎて、猟兵のほうがよっぽど活躍できる……端的に言って、まともな人間がやる仕事じゃねえのさ」
「その言い方だとカウフマンさんもまともじゃないようですが」
「ああ、まともじゃねえさ。カプーノは空の覇者で、迷宮で求められるのは高度を生かした索敵と襲撃だ。翼と片目を失ったカプーノにそれができるとでも?」
それは確かに、その通りだろう。
細身のカプーノ人とは思えぬほどの巨体はそこらのミシュテール人なら数人分の働きをしそうなものだが、彼はミシュテール人ではなく、カプーノなのだ。カプーノというだけで求められる仕事は決まり、それができなければ一段下に見られる。
ミシュテール人として見れば破格の実力も、人々の意識は呪いのように翼を失ったカプーノとして彼を判断するのだ。
まして、猟兵など
ケチがついた人間を雇うことを良しとするものはいないだろう。それこそ、それは俺にも言える話だった。
「まともじゃないのはお互いさまですね」
「そういうことだ。だが、まともじゃねえ場所だからこそお前みたいな馬鹿野郎の居場所もある。悪い話じゃないさ」
吟味するまでもなく、確かに悪い話ではなかった。
果たして自分の実力で救助隊に通用するかは疑問だが、誘われている時点でカウフマンさんはそれも織り込み済みだろう。
「一つだけ質問なんですが、上位の番手なら下層に行けるってことでしたよね。カウフマンさんの番手はどれくらいなんですか?」
唯一気になるのはそれだ。
知人の頼みとはいえずぶの素人を隊員にしようというのだから人手不足なのは間違いないが、どれほど下に位置しているのか。
どれほどひどかろうと救助隊に入るしか道はないとはいえ、それは知っておきたい情報だった。
カウフマンはにまりと笑う。
「聞いて驚け、なんと最下位の二十番だ」
自信満々に言い切るカウフマンに、俺は絶句するしかなかった。
一体なんの自信なんだと。
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