18話 「救うための力」
この世界に来て、どれほどの時間が経過したのだろう、とつくづく思う少年がここに一人。その少年の名は輪道新太といい、灰色のパーカーに黒いハートマークが付けられた上着を腰に結び着け、前の戦いで駄目になった代わりに少しぶかぶかの濃い緑色のズボンを履き、黒い無地のシャツを着ている。髪は茶髪でツンツン寄りの少年。
彼は今全員分の荷物を持って岩山を歩いている。今まで重い荷物を持たされ続けたが疲労感はなかった。だが別の疲労感に悩まされていた。
「……そうだなアラタ。次は左脚に攻撃魔力。右腕に防御魔力。それを10分間維持しろ」
「…ぅす!」
今新太に指示した人物は、腰まで伸びた銀の髪に一本アホ毛を生やしている。黒い上着を羽織り、中に白いシャツをヘソが見える程で露出し、着崩しているそんな女性レオイダ・クメラ。
(ずっとこれを続けて1時間ぐらいか?やっぱり俺って魔力を扱う才能ねえな…)
新太からすれば、まるでずっと動かずにその場に立っている。魔力は自分の命でもある。それを身体の内側と外側両方それぞれの箇所に維持しなければならない。
そして前を歩くもう一人の少女を見る。その女の子は自身の手の平に、炎で造られた細い線を作り上げている。その女の子は、藍色髪をしていて膝が見えるぐらいの短いデニムパンツを身につけ、赤い半袖の上着を羽織り黄色のカチューシャを身に付けた女の子リオ。
リオのやっている事も銀髪の女性に課せられた物で、口を開かず真剣な表情でどんどん形を作り上げていく。
(もうあんな惨めな思いはしたくない…)
そう心の中で決意を露にすると、クレアの手には炎で『矢』が形成されていく。上手く形作れた事に静かに喜び、ガッツポーズをする。
その光景を後ろから見ていた新太は、少し焦っていた。やはり魔法面に関してはリオの方が断然上だろう。
しかし新太はここで疑問を持った。
(俺とリオの身体能力は特に大差は無い。けどあの時の白い魔物の戦いでリオは力を使い果たして倒れた…多分それは魔力をたくさん使いすぎたことによる疲労だと思う。リオでも魔力消費で倒れるってことは…俺の戦い方の主力に魔法は合わないよな…)
今までの経験からして新太の戦い方に魔法は主に回避行動しか使っていない。相手と密着した時、風の魔法で相手を単に吹き飛ばすだけ。今のところ新太の最大の武器は魔力を宿した手足で殴ること。
(今更立ち回りとか変えても弱くなっちまうだけかもな)
静かに右腕を見つめ、ギュッと握りしめる。まだ自分は行き詰まってはいない。辛くなったら皆を頼る。これからもっと強くなっていくんだと、固く決心する。
「お?帰ってきたなカラン」
銀髪の女性が顔を上げ、2人もその声に釣られるように見ると、岩山から一人女の子に見える人物が綺麗な着地を繰り返しこちらの元へ近づいてくる。
「この先少しだけ開けた場所があった。そこでなら休めそうだった」
茶色のフードが付いたローブを着ていて、首までかかったピンク色の髪をし、頭部から獣耳が生えた女の子にみえるが立派な男。その名はカラン。
「すまないなカラン。この辺の調査を頼んで」
「別に。この2人の面倒を見ないといけないなら仕方ないしね」
「お前今サラッと俺達の事バカにしたよね?」
新太の問いかけに聞く耳を持たず、淡々と会話を進めるカラン。
「まあ。カランはお前たちのような魔力の扱いの鍛錬じゃなく、戦いの経験だからな。実戦を通して魔力の『質』を上げていくしかない」
この世界で人が使う魔力には『質』という、言わば魔力にも成長する要素がある。使えば使う程自身の成長に合わせて魔力も強くなっていく。身体の周りに纏っている魔力の色が濃い程相手は相当な手練れの者となる。
例えばカランの場合、魔力の属性は水。成長すれば深い青色に染まっていく。その点幼い頃からカランは魔力を扱い生き抜いてきた。知識と経験においては、新太とリオより抜きん出ている。
「よし。そこで休憩をとることにしよう。アラタ、魔力の維持はそこまで続けるように」
「ウッス。わかってますよ」
整備されていない岩山の道を進み、カランが見つけた場所に向かう。
「ふい~やっと着いた」
「……?」
「先生どうしました?」
「いや、少し様子がおかしいと思ってな」
「え?ちょっとカラン~ちゃんと確かめたの~?」
「チッ。・・・確認した時には問題なかったんだよ。文句あるなら自分で行けば?」
「いやすいませんでした。そんなマジにならんでもいいじゃん。少しからかっただけじゃん?」
「出発は30分後だ。それまで体は休めておくように」
それぞれ、岩の上に座ったり、背もたれ代わりに背中を預けたりと楽な姿勢に休息をとり始めた。
「ぅ…」
小さな声を発したのは新太だった。自身の右手に違和感を感じ、恐る恐る見る。その手は震えていて、震えを抑えようともう片方の手で腕を握る。
(魔力消費の弊害がここに来たか…一瞬だけの使用なら長時間魔力は使えるのに、維持し続けるものなら話は別か…)
「先生ちょっと相談が…」
「…ん?どうした」
「俺の戦い方で、その…風魔法の方を使う時、俺はどのように使えばいいのかなって」
「確かお前は移動方法に使っていたな。だが急にどうした?」
「まだ俺は魔力を上手く扱えない。維持することが苦手で欠点だらけなんです。俺の最大の武器はこの拳しかない。ただ風出しているだけじゃ、この先戦えるとは思えなかったからです」
「そうだなぁ。正直『風』というのは形を作ることは出来ない。リオ、カランなら炎や水の形を工夫すればダメージを与えるのは簡単だ。これは土、雷、光、闇もな。だが…私が思うに『風』は一番殺傷力がある物だと思う」
新太は顎に手を置き一度深く考える。初めて見た風の魔法は目の前に座っている女性の『
(たしかにアレを見たら、攻撃力は高そうだな。けど――。)
いずれ使用することが出来るかどうか――。
(…あ。でも…そうか。いつかこんな事が出来たらいいもんな…)
新太の脳内には確かなイメージがあった。漫画などにある…いわゆる『必殺技』という形にしたい物が。
「アラタはさ。他の属性とか使おうとかは思わないの?」
そこで話を割って入ってくるのはリオ。彼女は座ったままの姿勢で自身の弓の手入れを行っている。
「うーん。リオの言う通り考えたんだよ。一つの事を極めるほうがいいのか、それとも多数の物を極めるべきなのかって。そもそも、俺はこの属性を扱えるのかって話だけど。・・・というか『風』と相性いいのか?他の属性って」
「もちろんあるさ。属性と属性掛け合わせた魔法だってこの世に存在する。例えば『氷』とか――。」
そう言った銀髪の女性は手の平を前に出すと、その上から氷の結晶が作り出される。
「属性の種類は火、水、土、風、雷、光、闇がある。だがそれだけじゃないんだ。2つ以上の属性を掛け合わせて初めて出来る属性がある。その中で氷を生み出すために必要なのは『火』と『水』。水の温度を調整すれば熱湯にするのだって可能さ」
「お~すげえ…あれ?じゃあ前に戦ったロザリーって結構ヤバい奴だった説?」
「よくよく考えたらあの女中々の使い手だったのね…」
リオの集落の問題で戦ったロザリーという人物がまだ人の形を保っていた時、終盤で氷の魔法を飛ばして攻撃してきた。という事はロザリーは少なくとも2種類の属性を持っていたことになる。
「なんてこった。アイツ魔法に関しても上だったんだな」
「他にも『風』と『土』で『砂属性』。『火』と『風』で『爆破属性』とかな。まだ他にもあるが、雷、光、闇は少し変わってくる」
爆破。という心くすぐられる単語の響きが聞こえたが、聞く場所を間違えてはいけないと新太とリオは思った。
「最後に言った属性はあくまで、補助的な役割になるんだよ。『火』に『雷』を混ぜても形が噛み合わなくて、ただ痺れさせる炎にしかならないし威力も中途半端になるから安定した物とは言えない」
「けど『光』や『闇』は効果は変わってくる。そうでしょ?」
「その通りだよカラン。『光』は属性の性質や物体を向上させる働きがある。『闇』は光とは真逆で属性の性質、物体の働きを鈍くさせる」
「あれ?それだと『闇属性』っていらない子になりません?」
「表現が悪かったかな。そうだな…『水』に『闇』を混ぜて、相手に当てたとしよう。その際『闇属性』に充てた役割が発動する。毒にさせるとかな。普通なら自分の得意属性が判明したら、『光』か『闇』を優先して覚えるのが定石…」
話している最中に銀髪の女性の表情が一変し険しくなり、周りを見始め警戒心が高くなる。それに続いて3人も立ち上がり周りを見渡す。
「なんか、一気に獣臭くなりましたね」
リオの言う通り辺りからは獣臭が充満し、さらには四方八方から視線を感じる。周囲に気を配らすと無数の黒い影が岩から現れる。
「囲まれた!?」
岩山からぬらりと姿を現すとそれは、毛が黒く、二足歩行で歩く生物であり、その姿はまるで猿の様であり、猿人類に近いと言うのが正解だろう。
「ゴウマ!?」
「な、何その怖そうな名前?」
「普段なら高い山を好んで住んでいるから滅多に人里には現れないんだよ…しかも軽く50は居るな…めんどうくさい!」
武器をローブの中から取り出しながら新太に説明を入れるカラン。その両手には短い剣を2本取り出し、二刀流の形になっている。
「おそらくこの世界の異変のせいだろうな」
この世界の異変。それはこの世界に生息している魔物の力が増し、それは生半可な兵士では太刀打ち出来ない程である。王国でもその原因はわかっていない。そのため新太達のような人をこの世界に呼び出し、原因の追求。解消をさせようとしている。それが新太がこの世界に来た経歴である。
「数と場所が悪い…走るぞ!」
すぐに銀髪の女性は手の平に『雷』の魔力を溜め道が続く方へ放出する。激しいスパークが巻き起こり、一匹一匹に感電が繰り返され道が開かれる。そして彼女が走る後に続き残る3人も走り出す。
「うわ!追ってきやがった!」
新太達の後方から無数の石礫が投げられ、体にいくらかぶつけられる。しかし歩を止める訳にはいかなかった。その半数が手足を動かして迫ってきているのである。
岩山の道を急いで下って行くが、魔物達の追跡は振り切る事は出来ず、どんどん狭い道へ追い込まれる。
「気をつけろ!ここから先の道の左手は崖になってるぞ!」
「まじか…よ?」
いつの間に追っ手からの攻撃が無くなり、魔物達は壁に這いずくばっていた。何かと見れば丁度坂道の上から巨大な岩を押して運んでいた。
「嘘でしょ!?」
全員の嫌な考えは当たっていた。魔物達は躊躇する事なくその巨大な岩を押して転がしてきたのだ。
「うおおおおお!逃げろおおおお!」
その岩は止まることを知らず、勢いよく転がり進んでくる。しかしその間女性は静かに考え込んでいた。
「ええええっ!先生何してんすか!?」
(一生懸命走った所でこの一本道で岩は止まらない。仮に逃げ切ったとしても3人の体力は大きく消耗してるだろう。おまけに奴らはお構いなしに突っ込んで来ている。万全な状態ではない3人を完璧に護りながら戦うのは厳しい。なら…)
「いや。逃げなくていい!ここで迎撃する!」
「それは何か考えがあるの?クメラさん」
「今この場面をどうするかよりその後の事を考えていたよ。逃げた後ヘロヘロなお前達の事を思うとな。あの岩を私が破壊したら合図だ。いいな!」
もう目前まで、ゴロゴロゴロ!!っと勢いよく岩が転がってきている。そして壁には魔物達が這いずり近づいてきている。
(あんな勢いよく来られたら、俺は壊せる気がしない…でも目の前のあの人なら!)
目をいっぱいにして見開き、銀髪の女性の姿を見逃すことが無いようにその勇姿を見届ける。瞬きすらも忘れて――。
「いいか。アラタ。他人や仲間を思うお前ならば、どんな状況下にあっても周囲に気を配り、最善を尽くして助けるんだ。お前はもう一人じゃないからな」
その時の台詞を聞き届けると新太の心に響いた。ただ自身の心にではなく、魂に響いた。そんな気がした。
銀髪の女性が体を引いて拳を突き出す構えを取ると、3人は一歩踏み出そうと足を動かしていた。
そして――。
迫って来る岩が砕け散る。巨大な岩が残骸となって地面にゴトッと落ちると銀髪の女性は魔物の集団の中に真っ先に入って行き、次々と一人で薙ぎ倒していく。
「おおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」
女性の動きに感化される様に、新太は雄叫びを上げながら魔物に右手を精一杯握りしめて突貫する。
(あの時の感覚を思い出せ!ピンチの時じゃないと出来ないなんて話にならない!いつ、いかなる時でも自身の力ぐらい扱って見せろ!)
短刀を腰から引き抜き、その刃に炎を纏わせる。その炎の刀身はアバロ村の洞窟で戦った時より長く、熱く、燃え盛っていた。
リオは囲まれないよう立ち回り、間をくぐり抜け、頭上を飛び越し、しなやかな動きで魔物達を斬っていく。
(威力はまだ足りないけど…何回だって斬りつけてやる!)
そしてもう一人、カランの方は。二刀の剣で魔物を一太刀で斬り捨て、リオとは少し違う動きで相手を翻弄しながら移動していた。
ほんの少し曲がる際足全体に水の魔力を出し、サーフィンの様に地面の上を突き進む。そのおかげで軌道読みづらく、相手からすればどのタイミング、どの角度から攻撃が繰り出されるのかを瞬時に判断しなければならない。
(2人が強くなっていこうとするから、僕もやらないといけない雰囲気になってきて面倒臭い事になっていくんだ。だけど…置いていかれる自分の姿は見たくはない…!)
そしてここに少年が一人、魔物達に囲まれてその中で戦っている。彼には藍色髪の少女の様に魔力の才は無い。彼には女の子の様に見える少年のように上手に立ち回る事は出来ない。彼は長い銀の髪をなびかせている人のように、全ての才能に恵まれてはいない。
それでも少年は戦い続ける。それは自分のためなのか、仲間のためなのかはまだ彼自身わかっていない。ただ一つ答えがあるとしたら、『救いたい』。
誰を?そんなの決まっている。自身を救い、この世界で生きる術を教えてくれた。この世界の居場所を作ってくれた人を。
「あああああああああああああっっ!!」
変わらない戦い方で、インファイトで攻める。別方向から飛びつかれ拘束されそうになるが、知ったことではない。力一杯投げ飛ばし、一体一体に全力で立ち向かうしかなかった。
「もっと…自由に動け…!!そして周りもしっかり見ろ!」
手だけで戦うのではなく。全身を使う。彼にはもうそれしか戦える手段は無いのだから。足に攻撃魔力を溜め魔物の胴体目掛けて放つ。転ばされそうになったら、しっかり地面に両手を付いて受け身を取る。
彼は誰よりも近づかなければならない。ほんのわずか小さな隙でも見せてしまえばそこから負けてしまう。と自身に思い込ませて戦いに臨む。
(動きを止めるな。呼吸を止めるな。視点を止めるな。全てを止めるな!俺にはこれしかないんだ。泥を啜ってでも勝ちにいかないといけないんだ!)
魔物を殴って攻撃しても有効なダメージになるかは、それは当人の力次第。新太には魔力を扱う才は無い。なら彼が持たなければならないのは、地面に這いつくばってでも『勝つ』という執念。
「はああああああああああああっ!!」
彼は意味もなく叫び上げる。声を上げたって力が増すという事はないだろう。ただ、何故叫ぶのか。それは自分達が人間であるからだ。嬉しい時には喜び、悲しい時には泣く。様々な感情があるから、自分達が人間である証明をしようとするからではないか?
そんな小さな事が繋がって人を表している。無意識だろうが意図的であろうがそれも立派な人間らしさなのである。
(そうだ…それでいいんだアラタ。その思いを、感情を棄てないでくれ。お前は人でなければならないんだ)
彼女は慈愛に満ちた表情で新太を見る。ただ嬉しかった。まるで我が子が強くなっていき、独り立ちしていく様な感覚。
彼女は今幸せの絶頂に達していた。
しかしその幸せは崩れ落ちた――。
「キャアアアアッ!!」
女性の叫び声が響き渡ると、リオが倒れて崖っぷちに追いやられていた。
すると誰よりも速く動いている影を彼女は捉えた。前傾姿勢で移動してリオの元へと走る新太の姿が。
「ぁぐ!?」
魔物に追い詰められたリオは攻撃を受け、持っていた短刀を崖下に叩き落とされる。さらに長い腕が振り払われ、その攻撃にリオは直撃して弾き飛ばされる。
「…やっっっば…!」
弾き飛ばされたリオは、落ちるのを防ぐために崖を掴んだのだ。だが魔物達の脅威は終わってない。崖にぶら下がっているリオに追撃をしようとばかりに大勢で向かっていた。
「速く、上がらなきゃ…!」
リオが顔を上げて見た光景は、新太によって魔物が数体崖下に吹き飛ばされていた。吹き飛ばされた魔物は崖下に落ちていき、姿が見えなくなる。
「か、風の魔力で吹き飛ばしたのね…今のうちに!」
急いで乗り上げようと腕に力を入れたリオだが、予期せぬ事が起こってしまう。掴まっている箇所に亀裂が入っていく。
そして簡単に掴まっている箇所は壊れ、リオの全身は一瞬浮遊感に包まれる。
(………ん?落ちてない?)
目をゆっくり開け、上へ顔を上げると。新太が腕を掴んでいた。
「大丈夫…だからな!今引き上げ、てやるから…」
その手は力強く握られ、リオの腕に跡が残るほどだった。
(っ!?他の奴らが近づいてきやがった!)
視線を自身の背後に向けると、今でも新太に飛びかかろうとしていた。しかしこの右手を離すわけにはいかない。
残った2人は助けようとこちらへ向かっているのだが、間に合うかどうかわからない瀬戸際まで来ていた。
「……くそ!リオ。行くぞ!うおおおおらああああっ!!」
「ちょっと!?何する…えええええええええっ!!」
新太は力一杯リオを引き上げる事に成功し、高く打ち上がった。しかし力一杯引っ張り上げた新太の方は、崖下に落ちる形になってしまった。
「うおおおおおぉわあああああっ!!」
真っ逆さまに落ちていく新太は重力に逆らう事が出来ず、ただ叫び声が響き渡るだけ。
(間に合うか!?)
銀髪の女性は落ちていく新太を追いかける様に前傾姿勢で壁を走る。その速さは現在進行形で落ちている新太より速い。それはまるで、自分だけ今存在してる世界が違うみたいに、何もかもが置いていかれる様に、今この場には彼女だけがそこに存在している様に、強い圧迫感を周りに与えた。
苦しみながら手を伸ばす彼女の腕は、新太には届かなかった。
「ハー…ハァー…!!」
壁に足を置いたまま胸を抑え、荒くなった呼吸を整える。
(苦しい…こんなにも駄目なのか!私は能力が無かったらこんなにも弱かったのか!?そんなことよりもどっちだ?どっちを助ける!)
上には魔物の戦っているリオとカラン。新太は一直線で下に落ちている。
(だが…間に合わない…!今追いかけても私はあの手に触れる事さえ出来ない!)
先程から上で戦闘している音が聞こえて来る。苦渋の決断をした彼女は…。
(お願いします…アラタを。『輪道新太』を救って下さい。そしたらまた私は…)
神頼みを心の中で行いながら、整っていない息をまた荒立てながら、重い足を動かして急いで上へ戻る。
(急いであの2人を助け、下に落ちたアラタを追いかける!大丈夫だ…私は知っている。あの人物は簡単には死なないと)
上へ登った銀髪の女性は、先程まで地形への配慮をしていたが、急ぐために強めの魔力を魔物達へ向けて放った――。
「邪魔だああああああああああ!!」
(ど、どうすりゃいい!?それに地面が見えねえ…このままだと確実に死ぬ!地面にぶつかる瞬間に風の魔力を噴射して、落下の衝撃を…馬鹿か!こんな落下速度ついてたら和らげること出来ねえだろうが!?)
あちこち視点を動かしても、掴まれそうな突起物は無い。あるのは背後に壁があるだけ。
(…後ろには壁…掴めそうな物は無い。なら…俺にやれる事は一つ!)
手から風の魔力を生み出し、逆噴射。なるべく壁に体を近づける。近づいたら体の向きを変えたら、両手に攻撃魔力を纏わせる。そして両手で壁に攻撃し、壁に腕をめり込ませる。その瞬間に体全身に防御魔力を纏わせる。
「ぬああああああああああっっ!!」
ズザァァァァッっと壁を大の字で滑りながら落ちていく。魔力を防御に回していなければ簡単に腕の骨が折れていただろう。
この状態で滑り落ちること約1分。スピードが落ち着いてくるのを感じると、魔力を解き壁にしがみついたまま体を休める。
「フゥ…フゥ…攻撃と防御の切り替え練習をしてなかったら、死んでたな。ん?」
耳を澄ますとすぐ近くから水の流れる音が聞こえてくる。視点をやや下に動かすとそこには激しく流れている川があり、向こう側には木が生い茂っている。
「正直この高さを登るのは無理だな…あっちには先生が居るし無事なはず。とりあえずここを移動して合流しねえと。川の広幅は大体3メートルぐらいか?飛び越えていけるか…」
少し助走をつけるため後ろに下がると、思い切り走ってジャンプする。しかし――。
「あぁ!」
向こう側には届かなかった。その後は流れ逆らって泳いで進んでいきなんとかたどり着く。
「オ゛ホ!オ゛エェ…なんか変な小魚踊り食いしそうになった、危ねえ危ねえ」
びしょ濡れになった服をヒラヒラと乾かす様に動かして、移動しやすくするためズボンを調整し、水を抜くため上着を脱いで搾り取る。
「とりあえずさっきまで居たあの岩山には下の道があったって事は、登るための道が少なくともあるはずだ。けど、先生が滑り落ちて来て追いかけてくる。なんてあり得なくも無いしな…」
入れ違いになってしまえば、それこそ面倒だ。それに新太にとってこの世界は未開の地。目印になりそうな建物なんて知らない。彼女が対象物を探知する魔法などを使えばなんとかなるだろうが、新太は銀髪の女性の事を全て知っている訳ではないので、使用する事が可能なのかもわからない。
「いや。こんな深い所に3人で向かうなんてのは、あり得ない可能性が高いよな。ならやっぱり俺も移動して速く合流した方が効率的だろうしな」
バサバサと服を広げると、まだ濡れたままの服を着て先へ進む。
だが進んで行く時新太は妙な感覚を覚えてしまっていた。それはまるでその先へ進んでは行けない。と誰かに心臓を鷲掴みにされている。だが遠回りして道に迷ってしまうのも本末転倒になってしまう。
(なんだこれ…寒気がする。ずっと纏わりついてくる様なこの空気。まさかやばい魔物が居るのか?近くに)
唾を飲み込み、息を潜めながら音を立てずに移動する。周囲の警戒を怠る事なく、小さな物音でさえも敏感に察知するため、体全身に魔力を纏わせる。
「ん?アレ…は?」
新太の視線の先には、先程岩山の上から吹き飛ばした二足歩行型の魔物が膝から崩れ落ち、跪いている。そしてその先には魔物でもない人間が立っていた。
その光景は魔物がその人物に跪いている様に見えて仕方がなかった。その人物は黒い長髪の髪に、黒い長袖のドレスと、黒い瞳。とにかく黒尽くめの女性であった。
「あら?」
新太の存在に気づくとその黒い女性はゆっくりと新太の方向へ振り向く。視線が合うと新太は瞬時に悟る。
この人物には勝てない。と――。
ただ眼差しを向けられただけで伝わってくるこの寒気。嫌悪感。そして絶望感。前に戦った白い魔物よりも遥かに上の者。
(なんだ…なんなんだこの人は!手が!足が!動かせない!)
女性の前に立っていると新太は地面から足を離すことが出来ない。それは魔法的な物だと思っているが、当の本人は理解していない。
体の隅々が。細胞の一つ一つが、恐怖を超えてあの時味わった『死』という概念を。新太は理解していない。いやー―。本能が理解したくないのだ。
「ねえ。貴方は、魔力は好きかしら?」
息が詰まる。鼓動が速くなる。相手に合わせて話をすれば助かるのだろうか?しかし、新太にとって魔物とは『嫌な存在』として形造られている。
「…お、俺の経験上、魔力は生きていく上で大切な存在だ」
黒髪の女性は新太の顔を覗き込む様にして見つめており、その動作が更に新太の鼓動を進ませる。
「ああ!良かったわ!」
「へ?何……が?」
「貴方は乱雑に…自分勝手に…悪辣に扱わない人間だったというのが、分かったの」
「は?」
「私の前だと皆遠慮して『良い存在』とか『好き』って答えるの。だからね、もし、嘘を言われたら…」
女性の朗らかな表情が一変し、素の表情に戻ると。
「殺そうって思ってたの」
ザシュッ!と何かが切れる音がすぐ目の前で起こる。女性の前に跪いていた魔物の顔がいつの間にか頭が消えていた。
「っ!?」
そして向けられる殺意は、今までに…いや。あの時と同等の物であった。
「それにしても…貴方。面白いわあ…私ね。人間一人一人を見るとき、一本の『線』が見えるの」
「ッ……」
新太は何も動かせない。ただただ目の前の女性の顔を凝視するだけで何もできない。
「その『線』にもいろいろあってねぇ。細かったらその人はすぐに死ぬ。太ければ永生きして強い存在のとなりうる。だいたいの人間は細いか太いか決まっているんだけど。でも…貴方は違う。その線が、細くなったり、太くなったりしてるの。こんなこと初めてなの!時間が経って細い線が太くなるのはわかるわ。でも貴方は今でも細くなったり太くなったりを繰り返しているの!」
黒い瞳が爛々と輝いているように見え、それに伴って彼女の話は激しくなる。
「これって初めてなの…ねえ。貴方の名前を聞かせて貰えないかしら」
無理矢理に重くなった唇を動かし、たった一言言い放つ。
「り、輪道新太だ」
「アラタ…アラタね。私の名は――。いや駄目ね。ごめんなさい…あえて名乗れるなら…『黒姫』かしらね」
彼女――。黒姫と言った彼女は妖しく微笑んだ。
「ねえアラタ。一つお願いしたい事があるのだけれど…いいかしら?」
「な、なん…だ?」
黒姫はスッと白い包帯に巻かれた手を差し出してくる。
「私の、友達になって…一緒に来てくれないかしら」
この差し出された手を見てアラタは、『この手を掴めばあの人に会えなくなる』と誰かから教えられる様に直感する。
「断る!訳もわからないお前なんかに着いていくなんて俺には出来ない!」
断る言葉を発した時、新太の鼓動は今までに無い程に振動している。奥底から這い上がってくる吐き気を抑えながら黒姫と名乗る女性を見つめる。
「あら、残念。でもそれは貴方の意見よね?私は貴方が欲しい。でも貴方はそれは承諾しない。こうなった時手っ取り早い解決策は解る?」
「正直理解したくないけどな…!」
体を身構える新太。その行動を意味する物とはやはり…。
「抵抗しない方がいいわ。多分貴方は今までに味わった事ない、地獄を経験するだろうから」
そう言った黒姫は、新太の視界から完全に消える。周りを見るために目線を変えようと目玉を動かした瞬間…。
「ガッッ!!」
新太は攻撃を受けた。どの角度から当てられたのかさえ理解できなかった。
(な…一体どっから…!)
倒れそうになる体を片足で支え、その場に踏み留まる。再び身構えるが、また攻撃を喰らってしまう。
(駄目だ…目に追えない速度で攻撃してるのか、遠距離からの攻撃なのかさえもわからない!)
うつ伏せに倒れたまま相手を見つけようと見渡す。すると正面に黒姫は立っていた。
「大丈夫?ごめんなさいね。強くて。貴方が見えるように、ゆ~っくり動きましょうか」
わかりやすい挑発だった。黒姫はクスクスと笑いながら新太を見つめる。だが冷静に考えれば生き抜けることが可能性が高くなる。時間が長くなればカラン達が駆けつけてくれる可能性は高くなる。相手は何故か新太を捕らえる事を目的にしている。
この相手には絶対に勝てない。であれば言葉に甘えて、手を抜いて貰えれば生存出来る可能性は広がる。
だが…それでいいのか?と、自身のプライドが邪魔をしてくる。自らの口で「手を抜く」と言われれば、例えそれがどんな勝負事であっても、それは腹が立つというものだ。
「ふざ…けるな!お前がどれだけ強かろうと、情けをかけられる程…俺は落ちぶれちゃいねえ!」
青く腫れ上がった顔を上げ、自身の命よりも。プライドを取った新太は立ち上がる。
「ええ。ええ!ならこうしましょう。私は徐々に徐々に力を上げていきましょう。それなら貴方も納得がいくでしょう?」
「いく…わけねぇだろ!なんなんだお前!俺をじっくり嬲り殺したいのか!」
「いいえ、違うわ。ただただ私は貴方がどれほどの力を秘めているか知りたいだけ。それじゃあ精々足掻いて、魅せてね?」
そう言って黒姫は高速で近づいてくる。だがその速度は新太の肉眼で捉えられる。しかし――。
「ァッ!!」
体が追いつかなかった。顔を殴られて、その後2発体の何処かに叩き込まれる。
「私ったら駄目ね。もうちょっと力を緩めないと」
「こ……の…ぉ!」
バランスを崩しそうになる体を左足で支え、もう片方の右脚で魔力の込めた一撃を叩こうと黒姫に近づける。しかしその攻撃は簡単に受け止められる。
そのまま簡単に新太は放り投げられ木々に打ち付けられる。
背中に鈍い痛みが残り続ける。頭部はなんとか守り切ることは出来たが、全身には痣が出来たであろう。
「まだまだ魔力が若いわね。育ちきっていないじゃない」
「ハアッ!!」
バビュウッ!と手から風の魔力を吹き出し、ジェットの様に一気に距離を詰める。浮遊した状態で体勢を変え右脚で蹴ろうとするのだが、簡単に腕で受け止められる。
「ァガ!?」
攻撃した箇所に違和感を感じ、すぐさま相手に向けて風の魔力を噴射して離れる。違和感を感じた右脚を見ると脛辺りが青く腫れ上がっていた。
(嘘だろ…!?相手の防御魔力が堅すぎて逆にダメージ喰らったってことか!?)
だが引くわけにはいかない。今度はジグザグで空中を素早く移動し、勢いのある回し蹴りを当てようとする。でもその攻撃は当たらず、何もない空を蹴っただけ。
(アイツはどこに!)
新太の背中に重たい衝撃が走る。途切れそうな意識を繋いで後ろを見た。そこに立っていたのは妖艶な笑みを浮かべていた黒姫だった。
その重たい衝撃のまま地面に顔を打ち付ける。黒姫は新太が視認することが出来ない速さで背後に回り、手の平で背中を叩いたのだ。モロに受けてしまい額から血を流してしまう。
全く歯が立たない事に苛立った新太は立ち上がり、腰を低くして構えた。
「ァ…。アァァ…アァァァァァァァッ!!」
全身から殺意を持って魔力を解き放つ。新太自身後先考えず、内側にある力を使って戦いに挑む。一方それ見ていた黒姫は疑問を持ち始めていた。
(残っている魔力を引き出して向かってくるつもりなんでしょうけど、線が太さが変わらないのは何故?)
黒姫はいろんな人の人生を見てきた。目の前の少年の様に全力を尽くそうとする者は、必ず線に影響を及ぼす。
「オ…。オオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
全ての力をこの右拳へ。左腕を振って、両脚を動かして近づく。
(届く。届かせてみせる!大きなダメージにはならなくても、この一撃は届かせてみせる!)
「ダアァァァァァァァァッッ!!」
「正直わからないままなのは癪に触るけど…一つ結論が出た」
新太の一撃は、呆気なく終わってしまった。白い包帯でぐるぐる巻きにされた新太とさほど変わらない大きさの手によって阻まれ、パシッと片手で掴まれていた。
「ぁーー。」
小さな声が漏れた。今までこの一撃で与えられた力と自身は、目の前で完膚なきまで叩きのめされる。
「貴方――。素で弱かったのね――。」
黒姫のもう片方の手が新太の腹部まで伸びる。そこから放たれた魔力の一撃は新太の意識を簡単に奪った。
「はあ…流石に疲れた」
崖っぷちで魔物との戦闘が無事終えることが出来た3人は連戦の疲れからか、流石に体を休めていた。
「これは…中々にキツかったわね…それに、早くアラタを助けに」
そう言ってリオは新太に助けられた場所へ走って向かう。だが下を覗き込んでもその姿はない。その光景を見てリオは心を痛める。
「まあ流石に下に落ちてるだろ」
近寄ってきたカランも下を覗き込む。確認を終えたその後カランは珍しく座り込んでいる銀髪の女性に近づく。
「アンタのお気に入りのアラタは下に落ちた。普通の人なら死んでるだろうね」
「ああ、そうだな…」
しかし動こうとしない。カランが知っている彼女は、新太を助けようとすぐ動いていた。彼女からすれば魔物達を掃討しただけでは問題は無い筈なのだ。
「ほら!行くんでしょ!」
思いっきり座り込んでいる銀髪の女性の腕を掴んだ時、変な感触を味わった。
「ッ!?」
驚きのあまり手を離す。自身が触ったのは若い人の肌のはずだ。しかし彼女を触った感触はまるで、年老いた老婆の肌を直に触った感触だった。
「なんだ…アンタなんなんだよ!?」
「私は…お前達の師匠…ただそれだけだよ。さあ行こうか、助けに」
汗を拭い、ふらつきながら立ち上がる彼女の表情は何事もなかったかのように笑顔を見せる。だがカランにとって目の前に立っている女性の存在は不気味になっていくのであった――。
倒れた少年は薄れ行く意識の中で、少し出来事を思い出していた。
『でやあぁぁぁぁぁぁっ!!』
『隙だらけの踏み込みで近づいて来るなと何度言ったらわかるんだ!』
『うぶえっ!!』
少年は顔面に掌底打ちを喰らわされ、盛大に転げ回る。倒れた後も顔を抑えながら呻き声を上げる少年。
『魔力でしっかり防御しろ。じゃないと戦闘中大きな痛手を喰らってまともに戦えなくなるぞ』
『現代社会を生きていた学生がいきなりファンタジーな世界に放り込まれて、魔法の扱い云々言われたって無理があるのですが!?』
長い銀の髪をした女性に起こされる少年は涙目になっていた。
『やっぱこの世界で戦って生き抜くなんて俺には無理なんじゃないかって思い始めて来ましたよ…あはは』
「そんなことは無いはずだよ。お前は絶対戦っていける。ただお前は出来ないと思い込んでしまっている部分があるだけなんだ」
『……』
『言葉だけで「諦めるな」なんて言うのは簡単だ。正直私としても勝てない相手に諦めず戦って行けなんて言わない。でも…自分の人生は諦めるな。お前の人生なんだ、悔いが残らない選択をしていけばいい。焦らずゆっくりと実力を付けていこう』
「悔いのない選択…今この時がそうだろ…!」
「さて、この子をどうするかだけれど…悩みどころねえ。弱くても興味深い物があるし…見て感じた事は私と同じだし…一応連れて帰りましょうか」
「悪いけど、それは…出来ない話だな…」
攻撃を受け、倒れていた新太は立ち上がろうとする。彼の体は血が流れ、息も絶え絶えで今にでも死んでしまいそうな状態だった。
「俺決めてんだよ…最後まで抗ってやるって。俺が助けたい人を救えるようになるんだって」
「救う?その強さで?何を救いたいかはわからないけど、貴方は何も救えない。それだけは断言出来る」
「言うだけ言ってろよ。何も動こうともしない人に言われてもなんの説得力のカケラもねえからな」
黒姫から見える新太の姿に突如変化が生じた。目を見開きじっくりと新太の体全身を見渡す黒姫。
(線が一気に太くなった…やっぱり変わってるわこの子。私が簡単な魔力を放ったら死んでしまう体力なのに…)
「やっぱり貴方が欲しいわ!!」
黒姫の表情は今までにない程の笑顔でボロボロの新太に向かって迫る。姿はまたしても消え、新太の体を四方八方から打撃を受ける。
「ア゛ッ…!!」
一方的にやられている新太の目は死んでいなかった。向かってくる腕を掴みカウンターを喰らわそうと黒姫に向かって拳を振るう。
(闘志は戻り、魔力は増大した…だけれど戦闘の経験は上がった訳じゃない)
黒姫は狙われた顔をヒラリと鮮やかに躱し、逆に膝で新太の顔面に一撃を叩き込む。攻撃を受けた新太は鼻から血を出血し、骨がわずかに歪んだのが分かった。
そのまま手を引っ張り片腕で新太を持ち上げ、地面に叩きつける。呼吸する間もなくすぐに立ち上がるが、新太の目の前にはもう黒姫は迫っていた。
腕や足の攻撃の嵐が更に新太の体を蝕んでいく。防戦一方、とは程遠い形で戦いが進行していき、しがみつこうと必死に体を動かす。
「貴方魔力の扱いはまったくのど素人なのねえ!守る箇所も守れてないわ!」
新太の腹部に強烈な一撃が入る。地面から足が離れ、体が浮かび上がる程の威力で口から大量の血反吐を吐く。
「ぅお゛…」
もしかしたら内臓が破壊されたかもしれない。体のあちこちが動かなくなっていくのが分かってしまう自分が嫌になっていく。
自身の腹部を抑え、両膝が地面に着きそうな程姿勢が低くなる。
(体全身に魔力を纏っていたとしても、何処かで綻びが生じていたらそこを突くのが定石。彼がその戦いが分かってない。神代器とか別の武器を持てば戦い方は決まって行くだろうけど…)
顎に人差し指を当て頭で目の前の少年の事を思う。しかしそれは命のことではなく、強さの事を思っている。
「ぐ…おお…おおお…おおおおおっ!!」
その歩幅は狭いが着実に一歩ずつ前へ黒姫の元へ向かっていく。その間にもう一度右拳に再び攻撃魔力を込める。その魔力は先程とは打って変わってこの場の空気を震わせた。
(正真正銘最後の一撃かしら。いいわ、乗って上げる!その方が楽しそう!)
受けて立つと決めた黒姫も右拳に攻撃魔力を纏う。だが彼女の纏う魔力は新太とは全く違い、鮮やかな黒色で染め上げられていた。それは新太とはまったく違い魔力の『質』が明確に差が出ている。新太はまだ薄い緑色であり、黒姫のその魔力は白い包帯が見えなくなる程色濃く怪しげに光っている。
互いに見つめ合って二人の距離はゆっくりと近づいていく。新太は段々と目の光と焦点が無くなっていき、一方の黒姫は相手に合わせて歩幅を合わせている。
そして互いの距離が1mも無くなると、その瞬間は来た。
同時に魔力の込もった拳がぶつかると――。
少年の右腕は吹き飛んでいた。
少年の体は数十メートル…数百メートルと吹っ飛んでいく。
「ァ゛…ァ゛ァ?」
地面にねっ転がる形で倒れ、先程までそこにあった。備わっていたはずの右腕を見る。しかしそれは無かった。
初めての経験だった。五体満足だったはずの体がいつの間にか、その一部分を失っていた。痛みに悶える声が出なかった。何故なら遠くまで吹き飛ばされ体が本当に駄目になっていたから。
「ゥ゛ァ…?」
歪んだ視界出て捉えた先に居たのは黒姫という名の少女。少し視線を落とすと彼女の手には何かを持っていた。歩いて段々近づいて来ると黒姫はしゃがんでそれを目の前に落とした。
「ほら、貴方が落とした右腕よ?」
目の前には既に失ったはずの右腕が地に落ちていた。切断面からは血肉が溢れ赤黒くなっている。
「さて、ちょっと話をしましょうか」
しゃがんだままの姿勢で会話を続ける。
「ねえ?貴方は自分の存在をどうやったら残すことができるか考えたことはあるかしら。一番手っ取り早いのは世界に自身の強さを世に残すこと。強かろうと弱かろうと、過程はどうであれ勝者になれば人生すらも思いのままになる」
自分にしか分からない価値観を提唱している黒姫の話を聞きながら仰向けの状態から立ち上がろうと左腕に力を入れるのだが入らない。動こうとした新太を見た黒姫はクスクスと笑った後、馬乗りの形で組み伏せられる。
「抵抗する相手なら心を先に挫く。また、痛くするからっ」
「ぅぶ!」
そう言って黒姫は新太の小さく開いた口に手を躊躇なく突っ込んだ。大きな物が無理矢理口の中に広がり嗚咽感を覚える。
「今から私が貴方に『仲間になるか』と聞く。その質問に5秒以内に頷いてくれなかったら、一本ずつ貴方の歯を奥から抜いていくわ。それでも答えなかったらその次は爪を一枚一枚剥いで行くから」
2本の指が右下の奥歯に当たる感触を感じるのを目の当たりにすると、「コイツは本気なんだ」と悟る。
「それじゃあ早速…貴方は私の仲間になってくれる?」
遂にその質問が投げられた。ただただ新太は見つめるだけで、頷く動作すらしない。
「5」
そして始まるカウントダウン。
「4」
抵抗しようとするが左腕は黒姫の脚によって抑えられている。
「3」
だが正直どうでもよかった。
「2」
だって勝てないんだから。
「1」
全力出して戦って、戦った結果が惨敗。ほんの少し動かすのも正直、彼にとっては面倒くさいと思っていた。
「0」
指の挟む力が強くなると、それを一気に手を引っ込める。抜かれた歯は赤く血が滴り落ちる。抜かれた時の痛みは一切感じないという事はなく、うっすらと感じる程度だった。抜かれた程度の痛みより失った右腕の方が痛かった。
「それじゃあ…次は左奥」
そこからしばらくは馬乗り状態で少女が少年の口に手を突っ込み、一本、また一本と歯を抜いていく。そして4本目が抜かれると黒姫の表情が少し変わる。
「ねえ、さっきから無表情だけど。もしかしてもう死んでる?まさか、このままずっと黙っていたら見逃してもらえると思ってる?フフフ、残念だけどそれは無理な話よ?だって、貴方を気に入ってるから!」
感情はもう死んでいるだろう。闘志はもう燃え尽きた。あの時以上の絶望感が、今の新太にやってくる。
「なら、悪いけどキリがなさそうだから…次は目玉をくり抜きましょう。そうすれば流石に抵抗するでしょう?」
それでも彼は動かなかった。何故なら戦意を失った兵士は戦場で死ぬと同様、彼もまたその一人に過ぎなかった。
少年の右眼にまた指先が置かれる。
「さあ、5、4、3…」
そのカウントダウンを聞いていくうちに、新太の意識はまるで催眠術に掛かっていくみたいに、黒い渦のような物に見舞われる。
「2」
「そこまでに、してもらおうか」
数字を言うのを止めた黒姫は背後から声が聞こえてくる方に気にかけ、倒れている新太から降りる。
「何処かから強い力を感じていたわ。それが強くなったり弱くなったりを繰り返して。それが多分貴方よね?ここら一帯で強い魔力を持っているのは、今私の目の前に居る。初めまして、銀髪の綺麗なお方?」
「ああ、お前とは初めましてだな。そして、そう捉えてもらってもいいがな。私は今怒っているんだよ…大切な者が壊されそうになっているこの現状に」
「そんなに大切な者なら大事に育てておかないと。いつ誰に壊されるかわからないわよ?」
「ああ、まったくもってその通りだよ。この一件でちゃんと磨いておこうと思う。ただ目の前の事は許しておけないがなっ!」
銀髪の女性が飛び出すと同時に、互いの腕がぶつかり合う。その衝撃により地面にヒビが入り、クレーターが出来上がっていく。威力の反作用で体が離れてもすぐに距離を詰める。
攻撃が当たったとしても魔力で防御する。相手の体が薄い線の様に速く移動しても、その姿を互いに捉える。
その実力は拮抗している――。もうこの戦いは常人に理解する事が出来ない程激しく、視界に入れる事さえ出来ない。
その光景を側から見ていた、まだその常人2人は眺めていた。
(見え…ない…)
(体をしっかり捉えることが出来ない…目に追えない、そして周りの木がどんどん倒されて…)
「アッハハハハハハハ!!結構強いのね貴方!でもそれは、全力じゃないでしょう?」
「ああ、まだ半分といった所だな。久しぶりにとんでもない奴に出会ってしまったな…」
「けど残念。そろそろ時間がないものでね、アラタだけ回収しておさらばしたいから」
黒姫は天高く空へ飛び、空中に浮遊した状態で片腕を空へ向ける。
「さあ、ここら一帯まとめて壊してしまいましょうか。貴方やその他のお仲間さんも居なくなってしまいましょう」
『黒よ命令する。全てを染め上げ、命在るものを無に還せ。
黒姫の上空の周りが黒一色で染められ、そこから『穴』らしき物から黒い物体が隕石の如くリオ達に降り注ぐ。
地面に落ちた時衝撃が走ることは無く、ビチャッ!っと落ちた箇所は黒い沼が出来上がりそこにあった草木は枯れ果てる。
(なんなの!?こんなの初めて見た…)
ほんの少しでも触れたら、待っているのは『死』。そんな事リオとカランもうは分かりきっていた。
「先生!今すぐアラタを連れてここを離れよう!」
彼女だってこの技の恐ろしさを理解している筈。しかし彼女は動こうとしなかったのを見て思わずリオは叫ぶ。
「―――よ命令する。……全てそこに在った日に帰るがいい――。」
銀髪の女性が小さな声で魔法の詠唱を唱えた。僅かに聞こえる詠唱に獣耳が反応する。全てを聞くことは出来なかったが、明らかに異質な物だと直感する。
銀髪の女性が口を閉じると、今そこに在った黒い物の風景は無くなっていた。
「な…はぁ?」
流石に黒姫もこれには驚いたようで、空を見上げては下を見てを繰り返していた。
(これは一体どういう魔法なのか気になる…!オマケに黒で侵食した筈の木々さえも元に戻っている――。戦いたい…戦いたい!)
「貴方と全力で戦いたいわッッッ!!」
「叫ぶ程そう言ってくれたら流石に嬉しいよ。でも終わらせよう――。」
左腕をスッと前に伸ばした後、その腕を思い切り下に振りかざす。途端黒姫の体は地面に目掛けて真っ逆さまに落ちていく。重く上からのしかかる重圧に耐えながら空中で体勢を入れ替え、無事に地面に着地する。
「あー。楽しい…」
銀髪の女性に初めて見せるとびきりの笑顔。疼く体を抑えて理性を取り戻し、自身の目的を思い出す。
「けど、誠に残念だけどこのあたりでお終い」
「逃すと思うのか?」
「そうね。逃げるのは大変そう。…だから逃げる手段を今思いついた」
黒姫は指先から魔力で編み出した黒い球体状の物を作り出しては、それを空へ向けて送り出す。するとその黒い魔力の球体は破裂し、辺り一面に黒い針が降り注ぐ。
「急いで助けないとこの辺りにいたあの2人と、アラタが危険な目に逢うわよ?」
銀髪の女性は無言で見つめた後すぐに後ろへ引き返し、倒れている新太達の元へ急ぐ。
「よかった。抑えられて…あのまま戦ってたらどうなってたのかしら。それにしても――。何故あの人には『線』が無かったのかしら?」
そう吐き捨てると黒姫の体は一瞬にして黒に包まれてこの場から消えた。
少年は静かに目を覚ます。先程まで体験したことを振り返り、舌で口内を確かめたり、左腕を見たりする。そして恐る恐る失われた右腕を見ようと、自身の顔の前まで持ってくる。
「ちゃんと…ある」
不思議な事に失くされた右腕は感覚が無かった。それはまるで麻酔を受けたみたいに触っても、ゴムで出来た人形の様な弾力しか感じなかった。
「あまり動かすなよ。魔力で神経を繋ぎ直すのはかなり大変なんだからな」
視線を横に動かすと焚き火に当てられた銀髪の女性が座っていた。一拍置いて新太は体を起こし座る形になる。
「ん?」
ふと視線の端に視点を合わせると、横にはリオがすうすう静かに寝息を立てて眠っていた。
「リオは必死に謝っていたぞ。私がアラタをこんな目に合わせたんだって、泣きながらお前の手を握っていた」
「そっか…別にお前のせいじゃないのに。ありがとな心配してくれて」
新太は本当に嬉しかったのだ。心から心配してくれる友達に会えて、一緒に来てくれる。それだけで嬉しかったのだ。
「先生…」
「ん?」
「俺は、アイツに勝てるんでしょうか。あの時とは違う、本当の格の違いって奴を味わいました…しかもまだ力を隠してた。そんな奴に俺は、勝てるんでしょうか」
「……」
その質問を聞いて銀髪の女性は少しの間星空を見上げ考える。そして口を開き、本音を言う。
「あの者に勝て…いや、そもそも勝つか負けるかの以前に関わる事自体間違っている。お前が間違った力の付け方をしない限り10、20年であそこまで辿り着けるぐらいだろう」
慰めの言葉は一切ない。だがそれが寧ろ清々しかった。
「最短10年で経てば、辿り着ける…それだけ聞ければいいや」
「どういう意味だ?」
「だって、いつかは俺もあのレベルになってるって事でしょ?それなら、いつか勝てる…多分アイツとは今後とも戦うことになりそうですし。先生…お願いがあります。魔力の動かし方じゃなく、魔力を使った近接戦闘を教えてください」
「まさ……もうお前は…いや。わかった、これからは扱い方じゃなく、戦闘経験をのばしていこう。そして…」
彼女はゆっくり腕を伸ばし新太の頭に触れる。ワシャワシャと髪をクシャクシャと撫でると、震える感情と口を抑えながら動かす。
「私はお前を誇りに思うよ。以前より遥かに心が強くなっている…これなら降りかかってくる困難にも立ち向かえそうだ。まだ腕が治りきっていないから、もう休むんだぞ。見張りは私がやっておくから」
「え?いやでも」
「いいんだよ。お前は今日一番頑張ったんだ。私は1日寝なくても大丈夫だから」
子供を寝かしつける様に新太を寝かせる。不思議な事に新太は目を瞑ってしばらくすると、簡単に眠ってしまった。まだ体力が万全ではないらしい。
「大丈夫だ。お前なら乗り越えられる…」
悪戯に寝てる新太の鼻を突っついたり、少し抑えたりとほんの少し遊び心が湧き上がっていた。
「クメラ。聞きたい事がある」
「やっぱり起きてたんだなカラン」
辺りが静かになって、起き上がってきたのは獣耳を生やした少年カラン。真剣な眼差しをしていて曖昧な返答は逆効果になってしまうと、悟ってしまう。
「あの黒姫と名乗った女。奴が使った魔法…アレは一般的な物じゃなかった。アレはまるで闇ではない別の何かだった。魔力には一般的に教えられる範囲の外側があるのか教えてほしい」
(やはりコイツは鋭い眼を持っているな。だが…)
「多くは語れない。ただ一つ言えることは極めれば、あの者と同じように出来るさ。今言ったってお前には実現出来ない。仕組みを教えても」
「そう…なら。もう寝るよ」
「ん?てっきりあの時の事も聞いてくると思ったんだがな?」
「どうせ言ったってはぐらかすだけでしょ。じゃ、お休み~」
カランはそっぽ向く様に寝てしまった。しかし彼女の内心はバクバクだった。
(あの時、力を使ってしまった。やはり使用し続ける事は叶わないんだな…)
女性はまた星達が夜空を照らす空を見上げて、無力になっていく自分に涙を流していた――。
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