5話 「行き着く先は霧の中」
カパルアという町を出て約一週間が経過した。
「はあ…はあ…うぇ」
口元を抑えてその場でえずく少年が一人。その少年は髪色は茶色寄りで短く、髪型は少しツンツンして逆立っており、灰色の上着を着た少年。輪道新太が今にも吐きそうに蹲っている。
「大丈夫かアラタ」
そんな新太を心配するのは、長い銀の髪、青い透き通った瞳に黒い上着を羽織り、中の白いシャツからは少しヘソがチラッと見える。おまけに一本アホ毛が目立つ女性レオイダ・クメラという女性。
「待って…先生揺らさないで!は、吐く…吐いちゃうぅ!」
「そういう時は吐いてしまった方が楽になる」
「え?」
そういって彼女は新太の口の中に指を突っ込ませ、新太の体調を悪化させる。それに新太は耐えきれずついにその場に吐瀉物を出してしまった。
「な、何故こんなことを…」
「まだ修行は終わってないし、気分が悪い状態で行ってもパフォーマンスに響くだけだしな」
「…ちょっと休憩してきていいですか?」
「そうだな。30分程休もうか」
顔色が悪いまま新太はフラフラとこの場を移動する。
「どっかに川とかねえかな?喉が焼けているように痛い…」
「アラタ遅いな。30分はもう過ぎている」
新太が彼女と別れて30分が過ぎてしまっていた。しかし新太は一向に戻ってくる気は無い。
「流石にやりすぎてしまったか?あいつがサボっているとも考えにくいし…とりあえず探しに行くか」
彼女は銀の髪を揺らしながら新太を探し始める。周囲に争っている気配は見当たらないため、魔物と交戦している訳ではない。
「吐いてしまったあいつが目指そうとする場所は、水源がある場所を求めて進んだはず」
彼女は目を閉じて耳を澄まして、水が流れる音を聞き取ろうと魔力を集める。
「こっちか」
ポチャンと水面に何かが落ちた音が聞き取ることに成功するとその方向へ進み始める。
水が流れる音が大きくなっていく。彼女は木の後ろから覗き込むように見ると、見知った顔立ちがそこにあった。
(座って何をしているんだ?)
川の近くに座禅を組んで座っているのは灰色の上着を羽織った少年。新太が深い息を吐いて目を閉じて集中を途切れないように、身体の周囲に魔力を張り巡らせていた。
(恐らくアラタは自身が苦手としている。魔力を動かす修行を自主的に行っているのか…時間を忘れるほどに)
そして彼女は木にもたれかかって新太が満足するまで待つことにした。それは10分と20分と簡単に過ぎていく。
「ふぅ~何かを意識しながら座るのめっちゃキツイな。息が詰まりそうだったし」
両腕を上げて凝り固まった体をほぐす。そして新太は直ぐに気付いてしまった。
「やべ!?先生と約束してた時間めっちゃ過ぎてるんじゃね?」
飛び起きてそそくさとこの場を移動する新太。しかし直ぐに呼び止められる。
「いつも自主的に行っているのか?」
「ヒャア!?先生!ごめんなさい。決して約束をすっぽかしてたわけではなくてですね…」
「サボっていた訳じゃないんだろう?自身の弱さを克服しようと努力するのはいいことだと思うぞ私は」
「怒っては、いない?」
「サボっていたなら怒ってた」
(はあ…危ない。半分意識無くなって寝てたなんて言えないわ)
土を払い落としながら新太は進み始める。しかし肩を掴まれ反射的に驚いた新太は、居眠りしていたことがバレたのか内心焦り始める。
「まあ待てアラタ」
(バレたのか?やっぱりこの人の目は誤魔化しきれなかったのか!?)
心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。平然を装うとなるべく表情は変えないように気を張る。
「いやな?近くに火の地脈と水の地脈の交差点があってな、多分お湯が湧いている場所があると思う。少し寄っていかないか?」
「……地脈?」
「地脈とは、地面の中に流れる魔力のことだ。この世界の地脈には火、水、風が通っている。風の地脈が多いところは風が吹き荒れたり。水の地脈が多いところは川や池、海が出来るんだ。火の地脈が多いところは火山や砂漠が生まれる」
「ひゃ~この世界の魔力すげえな」
「それだけじゃない。この世界の自然には魔力が溢れているんだよ。その自然の中で出来た魔力を体内に吸収することで、消費した魔力回復することだって出来る。それに最近の私達は森の中に居る場合が多かっただろ?」
「もしかして、俺が1日1日の修行で疲労があまりなかったのも」
「個人差はあるだろうが、まあそういうことだ」
2人は歩きながらその地脈がある地点に移動する。すると段々と白い煙が進む方向から溢れて、先が気になった新太は岩から岩へと飛び移るように先を急ぐ。
「おお!温泉だ」
不安定な山道を進んだ先にはお湯から発せられる湯気に包まれた10㎡程の大きさの温泉があった。
温度を確かめるため手を湯の中に突っ込むが、意外にも温度が高温だったために反射的に手を引っ込めて熱くなった手を冷ますため、ブンブンと振り回す。
「結構熱いな…この温泉。先生は大丈夫ですか?」
「このぐらいなら問題はないさ。どうだアラタ一緒に入るか?」
「そうですね。気分転換に入り…え?今何て言った?」
「いやな?一緒に入ろうって」
新太は深く息を吸い込んで思考を張り巡らせる。
(どうすればいいんだ…俺は思い切り『よし。入りましょうか』と言えばいいのか!?だがこの人の事だ…俺をわざとからかって反応を楽しむつもりなのかもしれん!ならば俺がとるべき選択は…!)
この張り巡らせている思考の時間はおそらく1秒も経過していない。そして新太の出した結論は――。
「ふっ。先生…どうせ俺が慌てふためく姿を見たいだけなんでしょ?一緒に入る気なんてさらさらないくせに。俺はこの辺りを見張っておきますよ」
澄ました様な顔で物言う新太を見た女性は、肩を落とし少し落胆した表情を見せる。
「そうか…では先に入らせてもらうな」
(あれ?選択肢をミスったのか?俺は!合法的にラッキースケベを起こせた可能性があったというのに…)
拳を握りしめて込み上げてくる悔しさをどこにぶつければいいのか。もっと素直になればよかったのか。もう過ぎてしまったことはどうしようもないのだが……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はあ~この後ろにはパラダイスがあるのに…しかし覗きという行為をしてしまえば、ラインを越えてしまって何かが壊れてしまいそうだ」
「どうだ~?アラタも入らないか?」
「いや!?後から入るのは…流石にぃ」
「なんだ。自分自身に不満があるのか?いつまでたっても子供のままで人生終えてしまうぞ?」
「ち、違うからね!?そのことについてはアレだから!守ってるだけだから!別に悔しくないんだから!」
少し熱くなって覗き込む形で顔を出して反論する新太。しかしその行動が功を成したのだ。
ヒュンッ!と何かが飛んできて、新太の首元を矢が掠めたのだ。もし新太が体を動かしていなかったら喉元に矢が突き刺さっていたかもしれない。
(へ!?魔物?どちらにしろ敵であることには変わりはない!)
「誰だ!?どこに居やがる!」
新太が声を出すと茂みから赤い髪でモヒカンを模した髪型の男が姿を現す。それにつ続いて2人の男が出てくる。恰好的には新太が想像している世紀末の様なトゲが付いた服装を着ていた。
「よぉ…驚かせるつもりはこっちにはねぇけどよぉ…ちょっと話があるんだよ」
(絶対ロクな話じゃない。周りのやつらも殺意剥き出しですもんね?)
「お前達、ここのお湯に浸かっただろ?」
「まあ、少なくとも一人は浸かったな。それが何か問題なのか?」
「ここは俺らが管理してるんだよ…そのあとは分かるよなあ?」
その言葉で察することが出来た。この温泉は奴らの縄張りで、勝手に使った相手に金目の物とか要求してくるのだろう。
「生憎だけど金は出すつもりはないぞ」
「ヘヘへ…それだったらよお。痛い目に遭ってもらわないとなあ?」
真ん中に立っている男が目配せすると、大きなハンマーを持った男が新太に襲い掛かる。
必死に身構えて両腕に魔力を込めて防御して敵の一撃を受けとめるが、勢いは殺しきれず温泉の方へ弾き飛ばされてしまう。
「だあ!?」
背中から温泉に落ちてしまった新太は、急いで熱湯から体を出そうと起き上がる。
「大胆な覗き行為だな…アラタ」
「ち、違うから!?これは偶然のトラブルじゃなくて意図して起こされたトラブルだから!」
手で顔を覆い隠して彼女の裸体を見ないように視線を敵の方へ移す。
「敵です!多分盗賊とかそういう奴らがここを縄張りにしてたらしいです!」
「へえ~連れは女か。しかも恰好的に中々の上玉……いや。女は身ぐるみ剝いだら捨てとけ。あいつは売り物にすらならねえからな」
「ホントだ!女の体は傷だらけっすね。ガキはどうします?」
「マキリさん。見ればアイツの髪色は黒っぽいっすよ?それだけで価値はあがりますぜ」
左右に立っている男は真ん中に居る男にどうするか聞いている。そして突然『マキリ』と名前らしい単語が聞こえてきたため、恐らく赤い髪の男がリーダーなのだと分かった。
しかしそれだけでは無く。もう一つ聞きなれない言葉も新太の耳に入ってきたのだった。
(傷だらけ?先生が…?)
丁度彼女が背中を見せてタオルを巻こうとしていたので、新太はドキドキしながら恐る恐る肌を見る。
そして見てしまった光景は背中越しでも分かる。生々しいとそう呼べる程の傷跡が残っている。
それも深く。
無数に。
本当に痛みがもう消えているのか疑ってしまうぐらいに。
「……来やがれ!お前ら全員俺が相手してやる!」
それは彼女が間接的に侮辱されてしまった怒りと、今まで何も出来ていない自分を払拭する思いで敵に勝負を挑んだ。
「ハッハッハッ!威勢だけで何とかなると思ってんじゃあねえぞ!お前みたいなクソガキがこのマキリに勝てる訳な――。」
赤い髪のマキリという男が新太に物申そうと声を上げていたのだったが、彼の顔面には1本の足が置かれていた。
「ちょっと先生!?貴方の弟子が頑張ろうとしているのに出番を奪わないでぇぇ!?」
この場に居る人の中で、タオルを巻いた彼女は誰よりも速く移動し、マキリの顔に飛び蹴りを喰らわせていた。
「いや~普通に体を見られたからな。それに相手は私達の荷物を奪おうとしていたし、抵抗するのは当然だろ?」
「うん……そう、ですね」
「こいつ!よくもマキリさんをぉぉ!」
先程新太を弾き飛ばしたハンマーを持った男が襲い掛かっていた。しかし彼女は片手で受け止めると男の腹部に一発の鋭い拳を入れ込み、男は唾液を吐きながら倒れる。
「う、おおおお!」
恐れながらもう一人の男も襲い掛かるが、簡単に躱すと回し蹴りを喰らわせ撃退する。
1分にも満たない時間で盗賊3人を返り討ちにした彼女を見ていた新太は、なんだか敵に同情してしまった。
「全く。こんなところに縄張りなんて作らないで欲しい物だ」
「そんなことよりも先生。その身体についた傷…は」
「んー何を話せばいいのか…何から話せばいいのかな」
新太の目の前に立つ彼女の体は震えている。少し意外だった…この人は何をも恐れない人だと思っていた。しかし、どんな人間でも恐怖を感じて生きている物なんだと今気づいた。
「まあ私にも最初仲間がいたんだ…でも次々と死んでいって、時には自ら死体を作った事もある。見殺しにした事だってあったかなぁ…」
そう言って彼女は笑顔を見せる。無理に笑顔を作って気まずい雰囲気を作らないようにしている事は分かった。
(違う…この人は弱音とかそういうの吐いちゃいけない人だ…)
「まあ傷といってもこれは割と最近出来た物だがな?」
「治さないんですか?魔法で」
「いや。私は治さないようにしてるんだよ。これは私が受ける罰でもあるし、幸せになる価値なんてないからな」
「なら…俺が探します。貴方が幸せになっていい理由を!」
「いいんだよ。私も十分に抗ってみたけど駄目だった…お前は自分の事を考えて生きていけばいいんだ」
「抗ったってことは、自分が犯した罪を認めてるってことでしょ?赦してもらおうと動いたんでしょ?正面から向き合ったんでしょ?」
「……」
彼女の表情は曇っていく。しかし新太は彼女をほおってはいけなかった。
何故ならば――。
「貴方が何をしたのかは分からない。世界からすれば極悪人なのかもしれない。それでも俺は償おうとしてる人は絶対に幸せになっちゃいけないなんて理由は無いと思うんだ」
(あぁ…駄目だ。今のお前は!)
「幸せならその地獄の中で見つければいいよ。勿論俺も探しますから!」
(私に構えば、お前もどこかで…!)
女性は何かを思い、力一杯爪を立てて握りしめる。それも血が滲むほどに…。
「ん、あぁ?」
「あ、マキリって奴が起きた。先生は速く服を着た方がいいと思いますよ」
「そうだな。奴らから目を離さないでいてくれ」
ほんの少し。ほんの少しだけ新太と彼女の関係性に揺らぎが生じ始めた瞬間だった――。
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