4話 「それでも時は進むのを止めない」




 暗い暗い空間の中にただひたすら走る少年が一人。髪型は少しツンツンと逆立って黒い無地のシャツを着ており、片腕を怪我した患部を抑えながら何かから逃げている。



(これは、夢だ。そうに違いない…倒されたはずのあのオークが追いかけてくるなんてな!)



 夢なら速く覚めて欲しい。新太はそう思いながら走り続ける。



「なっ!?」



 すると地中から青白い巨大なオークが逃げ道を塞ぐように出てくると、大きな斧を振り回してくる。



 そして新太はなすすべなく胴体を斬られ、真っ二つになる。



「ああああああああああっ!!」



 そこで新太が夢から覚める。起きた時全身には冷や汗が大量に噴出しており、ただでさえ寝起きが悪い新太は最悪な気分になる。



「ほんと…最悪だよ」



 今にでもその場に吐いてしまいそうになる。諸説はあるが、人は普段の生活で起きた出来事や脳に蓄積した情報を整理するために夢を見る。



 起きてしまった出来事を整理するというのなら、嫌な記憶さえも呼び起こしてしまうのなら、夢なんて見る事無く寝られたらいいのに。と思う新太。



「アラタ~大丈夫か?」



 ギイィっと扉を動かして部屋に入ってくるのは、長い銀の髪、青い透き通った瞳に黒い上着を羽織り、中の白いシャツからは少しヘソがチラッと見える。おまけに一本アホ毛が目立つ女性レオイダ・クメラという女性。



「あぁ、先生…」



「いつも寝起きが悪いが、今日のは一段と酷いな」



「俺の顔が酷いのはいつもの事ですよ。あ、先生が治してくれたんですよね?この包帯」



 厚く巻かれ、固定されている包帯は両腕に縛られている。この怪我は夢に出てきたオークによって出来た怪我。その両腕は恐らく腕全体の骨が複雑に折れるほどの重症だった。



「ありがとうございます…」



「いや問題ないさ。だからその作り笑いを止めな?」



 新太は心臓が掴まれるような感触が走る。目の前の女性に言われるまで新太の体は少し震えていたのだ。



「怖かったか?」




「…はい」



「もう戦う事は嫌になったか?」



「……はい」



「私からは何も言えない。今後自分に関しての道はお前自身で決めるべきだと思うからな」



 そういって新太の目の前に居る女性は、小さな袋を投げ渡してくる。中身を確認をするために上下に動かす。



「ん?金属音」



 ジャラジャラと小さな金属が重なり合って発生する音が聞こえてくる。



「前に着ていた上着がボロボロになってしまったからな。そのお金で新しい服でも買ってこい。考えはその後に聞くよ」



 新太が着ていた紺色のパーカーは完全に修繕不可能な状態になってしまい、その下に着ていた衣服も同じ目に遭っていた。



(服か…そんでもってこのお金もツケになるんだろうな~)



「別に中にある分なら自由に使っても構わないぞ」



 ジト目になりながら、自分に都合が良い事が起こるなんて思うのをすぐに止めた。



「あ、そうだった。あの村に居た人達はこの町『カパルア』に避難出来たそうだ」



「そうなんですね。まぁよかったのか…」



 新太の浮かない表情を見た彼女は椅子から立ち上がり、入ってきた扉の取っ手に手を伸ばす。



「服を買ってくるついでに観光もしてくればいいさ」



 そう言って彼女は部屋から出ていく。



 新太はゆっくりと自身の両腕を見る。果たして自分は今後このままでいいのだろうか?本当に戦っていくことが正解なのだろうか?



 今考えても答えが出てくることは無く、とりあえず新太もベッドから降りて部屋から出ることにした。
















「さ~てどうしたものかな」



 新太は手渡された金貨をコイントス代わりにしながら、カパルアという町を歩いていた。



「この世界にパーカーとかあるのかな?それに近い上着でもいいんだけどな」



 小さく独り言をブツブツと呟きながら買う物を考えていくと、ふと道の端に立ててあった掲示板に気になる記事が書いてあり立ち止まって見ることにした。



(あ。克己さんに瑠香ちゃん。凛さんの記事だ)



 新太の言っていた人物は、最初にこの世界に召喚された時に同じ境遇に遭った人達である。



(克己さんは他の人と一緒に大型の魔物を倒した。瑠香ちゃんと凛さんは…新しいギルドの設立の噂!?何やってんのあの人達…あと裕樹は、と。あった)



 記事にはこう書いてあった。



 異世界からの召喚者ヒロキ殿の活躍により、鉱山に住みついていた凶悪な魔物の討伐に成功した!その前は街を蹂躙していた魔物を打倒した。



 少ない期間で数々の業績を立てていくヒロキ殿は、これからどのように活躍していくのか!?そしてヒロキ殿は「自分はどこまで行けるかはわかりませんが、この異変を終わらせ必ず救ってみせます」と申しており…



「…完全に物語の主人公じゃねえか。そんでもって楽しんでるな…多分。皆頑張ってるんだな…」



 こんな自分にでも肩を並べて戦っていけるのだろうか。だが今の現状だとそれは難しそうだと結論付ける。



「どうせやったって、また足手まといになるのがオチだな。えーとこの町の地図は…っと。お、あった」



 案内板を見るとどうやらこの町には、中央にある高い時計塔がある場所が広場らしく、その付近に店を構えている。新太はそこを目指すべく早速移動を開始する。



「…前に王都に居た時に思ったけど、平気で亜人の人は歩いてるんだよな」



 この世界では人間と亜人種が主に外を出歩いている。亜人種といってもそれは獣耳が生えた人や顔がそのまま動物の人物がいる。



「…ん?」



 道の端を歩いていると目の前から大きな荷車が新太の視界を遮る。一応邪魔にならないように立ち止まって様子を伺うと同時にその荷車を押している人物を見ると言葉が詰まる。



 それは2人の青年が手で押していたのだが、気になったのはその人の容姿だった。肌には鱗があり、爬虫類の様な顔の人物が苦しい表情で押しているのだった。



(重そうな荷物を引いてるなぁ。ご苦労様です)



 そのまま素通りをしようと歩こうとすると、背後からバチィ!!と何かが叩かれる音が聞こえた。



 恐る恐る振り返ると、先程大きな荷車を押していた男が鞭で何度も叩かれていた。



(そうだ…これまで自分の事しか考えてなかったから忘れていた。確か恰好が魔物近い人は魔人族って呼ばれていて、色んな所から迫害みたいな扱いを受けているって)



「速く立ち上がらんか!」



 高級そうな服を着た中年の男性が何度も鞭を今でも叩いている。これは止めるべきなのだろうか、一歩を踏み出そうとするが脚が動かない。



 これがこの世界の当たり前なのであれば、自分が止めたとしても変えられるとは思えない。



(どんどん周りに人だかりが…ここはそれにのっとった言い回しで)



 新太は中年の男性の肩を叩く。



「なあそこの兄さん。その辺しときなさいよ~」



「何だお前は馴れ馴れしいな」



「いや~お兄さん。見たところ商売人でしょ?それに高そうな服まで着てるし、さぞかし偉い人と見てるんですよ。そんな人がこんな所で油なんか売ってていいのかな~って」



「何だ貴様。私にたてつくのか?」



「いえいえ。そんな貴方様の大切な時間をこんな場面に使っていいのかなと」



「ぬっ…」



「それでもし大切な商談がパーになっちゃったら元も子もないでしょ。俺の国ではタイムイズマネーって言いますしね」



 右手の人差し指と親指を丸くしてお金を表すポーズを取って笑顔を見せる。すると中年の男性は何も言う事は無く、舌打ちをして歩いていく。



「……はぁ。無理矢理この場を収めることが出来た。えっと大丈夫っすか?」



 肌に鱗がある人物に声を掛ける新太は手を伸ばし、2人を起き上がらせる。立ち上がった2人は小さく会釈すると、再び荷車を押し始める。



(ごめんな。今の俺じゃあこうすることが限界なんだ…あの男を殴ったとしても問題はその後なんだ。ほんと隙があったら無事に逃げ出してくれ)



 無理矢理この場を新太が掌握し、合理的な理由を並べて意見を出させないようにした。しかし今の出来事で更に人だかりが増し、新太に視線が集まっていく。



 たまらず新太は逃げるようにその場から離れる。



「はぁ…はぁ…人の視線が恐い!めっちゃ心臓がバクバクした!」



 逃げるという事に必死になって目的地の広場にたどり着く。一休みを挟んで服屋を探し出す。



「やっぱり武器とか売ってる店が多いなあ。ま、俺には関係ないけど~」



 そして視線を別の方へ向けると、ガラス越しに見えるのはオシャレな服を着せられたマネキンを見つける。他に見当たらなさそうだったため意を決して店の前に立つ。



(こういうオシャレそうな店に入る時すげえ勇気いると思うんだ…俺みたいなオシャレに気を遣わない人間にとってはな!)



 ドアノブを回し、いざ店の中へ。



「いーーらっしゃいませぇっ!!お客様ぁぁぁぁ!!」



「ぁ…」



 いきなり店の中は静寂に包まれる。衝撃的すぎて絶句してしまった新太は店内を見渡す。普通に服が並べられているため間違えたわけじゃないらしい。



「どーうっしましたかぁ!?お客様ぁ?」



「いや、テンション高すぎてびっくりしたというかなんというか…」



「はい!うぅちは元気が取り柄ぇですので!」



 店員は黒髪で身長はアラタと変わらない程であり、丸眼鏡を付けてテンションが常に高い人物であった。



「とりあえず服、見ていいでしょうか?」



「どうぞどうぞ!こちらへ!」



(こういう時は早めに選んでとっとと退散しよう…!)



 しかし新太は手を引かれ、試着室に連れていかれる。



「え?いやあの。俺自分で選びたいんですけど!?」



「いやいや!お兄さん中々にイケている人ですから、是非コーディネートしたくて!」



「いやあのちょ――」



「では!」



 新太の意見も聞かずにカーテンを勢いよく閉める。狭い空間に取り残される新太は呆然と立っているだけだった。



「なにこれ…ん?なんか鉄臭い…」



 そして今度はカーテンが勢いよく開けられる。



「ねえ店員さん。誰かこの店で怪我でもした?」



「さあ?それは貴方の怪我から発せられた物では?こちらなんていかがでしょう!」



 渡してくるのは背中にヒラヒラしたマントが付いた、まるでヒーローが来ていそうな服を見せてくる。



 しかし新太は両腕を交差して、この服を断固拒否した。



 今度はぴちぴちしたライダースーツの様な服や全体に花柄が付いた服。挙句の果てには女性が着るワンピースまで出してくる。



「いい加減にしてくんない!?このお店はアレなの?客に無理強いして着せるのか服を?完全に遊んでるよね!?」



「おおう…私にとっては合いそうな気はしますけどねえ」



「いやもういいよ。自分でゆっくり選ばせてくれ…」



「了解いたしましたあ!」



 新太は対応に疲れヘロヘロになって店内を歩き回る。とりあえず今の自分にはあまり派手な色合いにはしたくはない願望なため、色が複合した服はなるべく手に取らないようにする。



「おっ」



 キョロキョロと辺りを探していると、見慣れた物を発見した。それは以前新太が着ていたフード付きパーカーに近い上着でジッパーが付いた物で色は少し明るめの灰色。そして商品名の下の欄に説明が書いてある。



『この服には属性魔法に対しての耐性が付与されている魔道具の一品になります』



「なあ店員さん。こういった服も魔道具の一種に数えられるの?てか服にも魔道具みたいな扱いされるの?」



「ええ!ご存じだと思いますが、剣に魔法効果が付与されている物は魔道具。それが例えどんな道具でも、魔道具の一種として数えられます」



(武器や防具だけじゃないんだ…仮に人間と戦う場合どんな軽装でも、魔道具かもしれない場合が出てくるってことか)



 しかし新太はどんな特別な武器や防具を身に付けていたとしても、新太にその恩恵は与えられることは一切無い。



「ん~でも他に良さそうな物は見当たらないしな。すみませんコレいいっすか?」



「お買い上げありがとうございまーす!!」



「他に中に着るシャツとかズボンとか買っておいた方が良さそうだな」



 上着の他に動きやすそうな長めのズボン、半袖のTシャツ二枚と長袖のTシャツ二枚ずつ購入する。



 それぞれシャツは無難に白や黒の物。ズボンは茶色の物を選んで購入する。流石に効果が付与されている服は選択はしなかった。



「合計は3万8000エルになりまーす!」



(未だにこの世界の通貨に慣れないや)



『エル』と発言された単語の意味とは、この世界の通貨を表す物である。その硬貨の種類として金・銀・銅の3つに分かれている。



(金の方は、危ねえ。中身5万エルしかなかった…!)



 対価を払い大きな声でお見送りされながら店を出る新太。早速灰色の上着を身に付け、着心地を確かめる。



「問題は無さそうだな。でもお金使いすぎたんじゃ…まあツケにされていつの日か取られるんだろうなあ」



 包帯で少し蒸れてきた腕を触りながら宿屋に戻ろうと歩き出す。が、ふと通路の端に目が止まる。



 そこには小さな子供が今にも泣きそうに、ポツンと立っている。



(あー要はアレだ。迷子的な奴だ)



 助ける義理は無いため新太は無言で通り過ぎようとする。しかし周りの人達は目もくれず新太同様通り過ぎている。



(こればっかりは、俺が元居た世界と変わらないんだな…)



「う…うぅ」



「どうしたんだーお前。迷子にでもなったのかー」



「えぇ!?いゃ…その…うぅ…」



(えぇ!?何故にもう一度泣く!?俺怖がらせた!?えーっと何か泣き止ませる方法は…)



 懐から先程服を購入したときに使った銀の硬貨を取り出す。



「よーし少年このコインをみろ!この右手にあるのはなんの変哲もない銀のエル。そしてー!俺の手には何にもありません。この右手をもみもみするとー?」



 しっかりとその子供はその硬貨をまじまじと見ていることを確認した新太は、先程見せた硬貨を見せる前に袖の中へ。



「なんと?右手にあったコインが無くなりました~そして消えたコインは君のポケットの中に瞬間移動していました~」



 新太が行った手品は、大層な仕掛けがあるわけではない。新太は元々2枚硬貨を持っており一枚を袖の中に。もう一枚を手を重ねた後に別の袖の中に入れて、あたかも硬貨が無くなった演出をする。



 そして見せている対象の人物の意外な場所から取り出す。簡単な手品だが少年は喜んでるため気を引かせることには成功した。



「あ、か、返します…」



「いいよいいよ。それはやるから、なんで泣きそうになってたか教えてくれない?」















 ――――――――――――――――――――――――――――――



「ルイス君のおかーさんはいらっしゃいますかー?」



 話によると、この「ルイス」という名前の子はやはり親とはぐれてしまったらしい。手を繋いではぐれた付近で探している。



「お母さん…」



「大丈夫だって。絶対向こうも探してる筈だ」



「ううん。心配なのはお母さんの方なんだ」



(あれ?この子自分が迷子ではないと否定していらっしゃるのかしら?)



「ん~。まあ自分勝手に行動してしまった事には多分向こうは怒ってる。けど問題はその後。お前が今後お母さんの為に行動出来るかどうかだと思うんだ」



「ん?」



「簡単に言うとだな…きっちり叱られて、お前が家族をどう守っていくのか考えていくことかな。このまま離れ離れは嫌だろう?」



「あ、そうじゃないくて」



(なんか話が嚙み合わないな)



「ルイスー?どこー?」



 別の方向から声が響いてくる。白色のワンピースを着た女性が口元に手を近づけ、叫んでいる。



「おっ?噂をすれば」



「お母さーん!」



「ルイス!」



 ルイスの母親らしき人物は自身の子供に抱き着いた。何はともあれこれで解決したと思った新太は無言で見守る。



「もうっルイスどこにいたの!?」



「だってお母さんの靴が野良犬に持っていかれたのが悪いんじゃん!」



(お前が原因作ってたんかいぃ!)



「それよりうちのルイスをありがとうございます!」



「いや、いいっすよ。じゃ俺はこれで」



「いえ!何かお礼を…」



「いえ。別に大丈夫なんで…」



「いえ!そうはいきません!そうです!うちに来てください!」



「いや!いいんで!大丈夫なんでぇ!痛い痛い痛い!なんでこんな力強いの?」



 このままだと怪我している箇所が、悪化してしまいそうで大人しく女性の言う事を聞くことにした。



「ねえ。お前のお母さんなんであんなに力強いの!?ちょっと怖かったんだけど」



「お父さんから聞いたんだけど、昔は冒険者やってたみたいで…」



「え~なにそれ」



 新太とルイスは小声で会話する。新太からすれば、あんなにグイグイ来られる大人を見ることは恐怖の対象になってしまった。おまけに前までは冒険者だと知れば尚更怖い。失礼なことをしてしまえば粛清されてしまうと、脳内で答えをはじき出していた。



「そういえばアラタさんは一体何してるんですか?」



「俺ですか?えーとなんて言えばいいか…まあ普通に旅とかして、生きていくための修行をしてる感じですかね…」



「へえ。あ、ここが私達の家です。上がっていってください!」



「いや、そこまでしてもらうつもりは」



「大丈夫です!夫のために用意したケーキを出しますので。あ、申し遅れました私、リーナと申します」



(いや!それもう聞いただけで食べづらいからね!?)



 新太この家族のヒエラルキーはどうなっているのか気になりだした。そして渋々家に上がらせてもらうことになり、食卓の上にそのケーキが出される。



「お母さーん。僕もケーキ欲し~い」



「駄目よ。もうすぐ晩御飯なんだから食べられなくなるでしょ」



「え~」



「悪い子はいつか名前を取られちゃって、こわーい魔物になっちゃうのよ?」



「ん?何ですかその脅し文句」



「ああ。私もよく小さい頃に言われたんです。悪い事をしていると色んな人達から自分の存在を忘れられて、魔物になってしまうんだって」



(脅し文句にしては怖すぎるだろ!なまはげが少し可愛く見えてくるレベルだぞ?それ)



 ケーキを食べながらこの世界の躾け方について比べていると、ルイスが本を一冊手渡してくる。



「なんだコレ?」



 その本のタイトルは『名前を失った怪物』と書かれていた。もしかしたらこの本が、魔物の凶暴化に繋がるヒントがあるのかもしれないと思い、ルイスから受け取るとページをめくる。



 その本は右のページには絵が載っており、左には文章が綴られている絵本に近い本だった。



 慣れないこの世界の文字に四苦八苦しながら読み進んでいく。


















 ある村に男の子が居りました。



 その男の子は悪戯好きで周りの子供や大人にも、嘘を吐いたり大事な物をあちこちに隠したりと。とにかくやりたい放題でした。



 そしてその男の子は青年になりました。ですが、幸せな生活を送っている訳ではありませんでした。



 それも当然です。



 青年が行ってきた過去を知っている周りの人達は関わろうとしていなかったのです。



 彼は悔やみ続けています。過去、現在、未来が二度と光に照らされることはないのですから。



 しかしそんな彼にも恋人が出来ました。絶望の中、太陽の様な存在の恋人をそれはもう大事に大事にしていこうと決心し、これから変わっていこうと張り切りました。



 ですが、その願いは叶うことはありませんでした。彼は知らぬ間に冤罪を掛けられていたのです。では誰に?



 その答えは彼の恋人だったのです。



 彼は「やっていない」と必死に叫んだのですが健闘虚しく、その声が届くことはありませんでした。



 そしていつしか誰も彼の名を名前で呼ぶことは無くなり、「おい」や「あれ」など。挙句の果てには無視をされ、暴行までされる始末でした。



 彼は床で泣き崩れ、いつしか自分でさえこの世界に存在しているのか分からなくなり、生きる活力が無くなっていったのです――。











「そして彼が自分の名前を憶えていなくなった時、誰からも存在を覚えられなくなっていた時、鏡で自分を見たのです」



 音読しながら静かにページを捲り、次の場面に変わった時新太は驚いて本をうっかり落としてしまった。



 その見開いたページは、右と左の両ページに絵が描かれていて。暗い背景に赤い瞳が無数に描かれ男の表情も、初回で読めば心に残ってしまうほどの絵だった。



「……っ」



 固唾を飲んで本を拾い上げ、次のページを捲る。



「だ、誰からも忘れられた男は、もう人間の形では無かったのです。そして心が無くなった怪物は周囲の人達を殺めました。その怪物は暴れ終わると姿を消し、人達の前で立ち塞がりどこかで寂しく暴れているのでしょう…」



 本を閉じて、目を瞑る。そして「ふぅ」とため息を吐くと、誰かから袖を引っ張られる。



「どうだった?」



「怖えよ!なんだこの本?明らかに子供の心にトラウマ植え付けようとしてんじゃねえか」



「その本かなり怖かったでしょ?多分ほとんどの大人は心に残ってると思うの」



「まあ、子供騙しにはうってつけって感じですね」



「それがそうじゃないのよね。ある国ではそんな事件が起こったって噂があったりと、あながち馬鹿には出来ないの」



(魔物になっちゃうねえ…)



 ふと頭によぎったのは先日襲われたあの青白いオークが印象に残る。明らかに他の魔物とは違う別の何か。



「い…や。まさかねぇ」



「アラタさん。どうしたの?」



「へ?いや何でもないっすよ」



「……嘘だね。貴方は何かに怯えている目をしてる」



「っ!?」



 思わず椅子から立ち上がってしまう新太。自分の素性を話している訳ではないのに彼女は言い当てたのだ。これが圧倒的な経験の差というものなのだろうか。



「冒険者稼業をしていた先輩に何でも言ってみなさいな」



 ここで渋ったとしても彼女は詰め寄ってくるに違いない。争う気は毛頭無い新太は今自分が置かれている状況について話す。



 力の差を見せつけられ、死が目前まで迫って命のやりとりという物が恐くなったという事。



 未だに震える声を出して話しているが、リーナは真剣に聞いてくれている。



「男のくせに情けないっすよね。ハハハ…」



「全然。そんなことない。私が続けてた時なんか女でも男でも自分の命欲しさに見捨てる人なんかざらにいたもん」



 リーナはルイスを抱きしめ、頭を撫でていると笑顔を見せてくる。



「逃げ続けるってことは、何かを守れないってことにもなる。でもいざという時に動ける人はやっぱり強い人だと私は思う」



「でもそれだと、ずっと守ることが出来ないってことにもなるんじゃ」



「どんな人でもずっと強いなんていう人はいないと思うよ。私はいざという時に戦ったから、今の幸せを手に入れた。それだけでいいんだよ…戦う勇気なんて」



「戦う勇気…」



「今は分からなくてもいい。でもね、その場面は多分直ぐにやってくると思うの。その腕の傷を見ていたらね」



 包帯に包まれた両手を見る。今すぐに答えは出せなかったが、何故か震えは止まっていた。



「その時君がどう動くか、君次第だから」



 リーナは、まっ直ぐな瞳で新太を見つめていた。



「ありがとう、ございます」



「いいのよお礼なんて。私だって恰好付けたかっただけだから。あ、ご飯食べていく?」



「もう充分ですよ。たっぷり貰えましたから」



「そう。それじゃあ私達は貴方を応援します。貴方が大きな功績を挙げた時またここに訪れてくださいね」



「…はい!それじゃあなルイス。お母さんのサポートしっかりするんだぞ?」



 新太が親指を立てるとそれに反応するようにルイスも親指を立てる。少しだけ迷いが吹っ切れた新太はドアノブを引き再び外に出る。



 時刻はもう夕暮れ時。人通りは昼間に比べると少なくなっている。



「ひゃ~なんか悩みを打ち明けたら少しスッキリしたな~」



 背伸びをして眠気を覚ます。帰路の道中でもしっかりと、掛けられた言葉が心に残っている。



「いざという時に動く…ね」



 自身の右腕に巻かれている包帯を少し解いてみる。まだ右腕は青く腫れており、触ると少し痛みがある。



「……うし。帰るか!」



 解いた包帯を不器用ながら巻きなおして歩き出すと、前方から手を上げてこちらに向かってくる人物達が見えてくる。



「お?」



 新太の元に走って来たのは5名程で、老人に青年。子供を抱えた女性が近づいてくる。



「えっと、どちら様?」



「先日あの村で貴方達に救われた者達です。この度のお礼を申したいと思いアラタさんを探しておりました」



「いや、俺は何にも出来なかった奴ですよ?お礼なら先生…クメラさんに言ってください。俺はただ引き付けてただけです」



「でも、その引き付けてくれたお陰で私達は助かったんです」



 青年が新太の手を握りしめて、言葉を掛けてくる。



「この度は本当にありがとうございました…」



 包帯が巻かれているのに、握りしめてくる手の暖かさは伝わってくる。



「その立ち向かっていける勇気を、それを捨てないで下さい。俺達は今、貴方に返せるものはありませんが、またいつか会いに来てください。その時には必ず…!」



「うん…分かった。落ち着いたらまた会いにいきます。お陰でこの先も頑張っていけると思います」



 新太も強く握りしめ、お互いの手が離れる。迷いが完全に吹っ切れた新太は大きく手を振りながら寝泊まりしている宿に向かい始める――。




















「今日は色々と疲れたけど、助かったな~」



 他の召喚者達の安否確認。変な店員との会話。迷子というべきか分からないが、親まで送り届けた事。生存者達からお礼を言われた事。



 そしてこれからもいろんなことを体験するのだろうか。辛いこと、楽しいこと、悲しいこととかも多分起きるかもしれない。



「明日から多分また旅をする…あの辛さを何回も体験する…」



 はっきりとした強くなる目的は無いが、今の自分には生き抜いて無事に元の世界に帰る。今はただそれだけでよかった。



 扉を開けて、部屋のベッドに寝転ぶ。そうしているとうつらうつらと瞼が重くなっていく。色んな物を貰えたから、このまま寝てしまおうか。と顔を枕に沈めていると、トントン。と扉が叩かれる。



「先生かな?」



 新太は起き上がり、返事をしながら扉を自身の手で開ける。



「あーい。先生――!?」



 目の前に立っていたのは、長い銀髪の女性ではなく。黒いローブを着た大男が、堂々と仁王立ちしていた。



「誰――っ!!」



 大男は新太が反応出来ない速さで、片手で首を締め上げる。新太の体は持ち上げられ足が床から離れる。



「ぐ、あ…があ…」



 必死にもがいて相手の手を振りほどこうと、右脚を何度も大男に蹴りを喰らわす。しかし大男はびくともせず、締め上げる力は強くなっていく。



(やべ…意識が…ぁ)



 手に力が入らなくなっていくタイミングで、新太を拘束していた手が離れる。新太は白目を剝きながら床に倒れこむと、咳をしながら必死に酸素を取り込むために激しく呼吸を繰り返す。



「これで、聞こえる…」



「あ゛ぁ?いきなり何しやがるんだてめえ!」



 よろめきながら新太は魔力を纏った右拳を大男に向かって放つのだが、その拳は空を切るだけで、いつの間にか大男の姿は音もなく消えていた。



「なんだったんだよ…今の」



 聞こえるとは何を意味しているのか、全然答えが分からない。かと言って殺す気は全く無かったと思われる。



「はあ~次から次へと一体どういうことなのよ…」



 ふらふらとベッドに再び倒れこむ。



「変な厄介事に巻き込まれなきゃいいけど」



 もう一度開きっぱなしの扉の方へ視線を移す。そうしていると時間は流れていき日は完全に沈み、夜が訪れる。



 すると廊下から軋む音が宿内に響く。思わず味わった恐怖で立ち上がって入り口を警戒する。



 足音が近づいて、やがてその姿が現れるとその人物は新太が見知っている長い銀髪の女性だった。



「なんだ…よかった」



「ん?どうしたんだ新太。顔色が少し悪いように見えるが」



「い、いやあ〜ちょっと今日いろんな事があったり、慣れない場所だったんで歩き疲れただけですよ~」



「そうか。とりあえず服は買えたのか?」



「あ~買ったのは買ったんですが、結構買っちゃったんですよねぇ…」



「別に気にしなくていいさ。残った金額はお前の好きにすればいい」



「えっ。嘘…てっきりツケにされるのかと思ってたんだけど」



「そうした方がよかったのか?」



「いえいえ!全然。ありがたく頂戴致しますぅ!」



「どうやら…迷いは晴れたみたいだな」



「えっと、分かるんですか?」



「まあな。作り笑いではなくなっているのは確認できたからな」



「色んな人から、たくさんのものや考え方を教えて貰えた気がするんです。俺がやってきた事は少しでも間違えじゃなかったってことが分かったし、約束もした。俺はやっぱり強くなってこの世界を先生と生き抜いて行きたいです」



「そうか。明日には出発するからゆっくり体を休めておけ?宿のご飯をしっかり食べていけ」



「はい!」




 意気込んでいる新太を見て、笑顔を見せる彼女は不思議と悲しそうに笑っていた――。


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