序章 下編

 6、


 クロエがおかしい。


 心がわからないと言いながらも、自分の関心がないことには興味を示さなかったクロエ。

 だが、戦争を経験してから積極的に政治に介入を始め出した。

 それも王子様の名を借りて、虎の威を借る狐が如く、王家に連なる者であることをアピールして権力を振い出した。


 新たな王になった若者も、賢者に戦争を止めてもらったという建前がある以上逆らうことができない。


 クロエは、美しい女性へ成長して、賢者として蓄えた知恵を宰相として使い出した。

 戦争を止めた英雄、宰相クロエ。


 クロエがしていることは正しい。

 

 戦争を起こさないために民を育て、教育して、国全体を強くする。


 それには貴族の力が必要であり、貴族たちは明確な規律で縛られていく。


 ただ、法律を作る動きに、心を求めたクロエらしさが欠けているように感じた。

 効率的で合理性はあるかも知れない。

 だけどそれは遠回しにでも心を理解することからは離れた感情に思えた。


 7


 俺はクロエが求めた答えから離れているような気がして意見した。


「最近のお前はどうしちまったんだ? こんなことを続けていれば、人の心なんてわからないぞ! むしろ、他の人たちに嫌われて心がますます遠のいていく」


 クロエに意見したら、俺は必要ないと切り捨てられた。


 本当におかしい……。

 心を求めた時のクロエの方が、まだ心があったように思える。

 メイドは俺が切り捨てられたことを怒った。


「どうしてあなたが! クロエ様のことを一番にわかってあげないのですか? あなたがいるからクロエ様は賢者ではなく対等な関係を気づけていたのに」 


 メイドの言葉が理解できない。

 俺もどこかおかしいのかも知れない。


「野蛮なだけでなく、鈍感なんですね」


 意味がわからない。 

 メイドとはそれから会うことはなかった。


 俺がクロエの下を離れてすぐにクロエの旦那である王子が死んだ。

 病だったそうだ。

 男としては確かに幼く弱いやつだったが、心はしっかりした奴で、クロエを支えてくれると思っていた。


 いい夫婦になると思っていたのに残念だ。


 また、クロエが孤立した。


 いや、様々な政策を梃入れしたことでクロエはけむたがられていた。

 全ては王国のためで、賢者様が判断した必要なことなのかも知れない。


 だけど、それは貴族のメンツを潰してしまう結果につながってしまう。


 どうにかしてやりたいが、クロエに首にされて兵士もやめた。

 

 今は、しがない冒険者だ。

 剣聖なんて呼ばれているが、剣以外に誇れるものがないだけだ。

 クロエを守るために必死に鍛えた剣が、今の俺を支えている。


 8


 きな臭い噂を聞いた。


 クロエが殺されるという計画だ。

 それも俺のような殺し屋を使って、暗殺するようなケチくさい話じゃない。


 大規模な内乱だ。


 若き王が病に伏せて、王子を失った賢者がいつまで、でしゃばっているんだと、声だかに叫ぶ貴族が増えている。

 それに対してクロエはなんの対策も講じない。


 ただ、会議の場で発した言葉は有名だ。


「貴様たちのような無能がいるから戦争など起きるのだ! 飢餓を止めるために自分の領地に病人を入れない? それで放置された人によってどれだけの人が死んだと思っている! 無能とつるむのは疲れる」


 貴族たちを無能とコケ落とした。 

 これには裏で密かに失脚を狙っていたものたちを表舞台に出させるのに十分な威力を発揮した。


 皆、賢者と呼ばれるほど賢くはない。

 凡庸でも、賢くいきたいと思っていた者たちを刺激してしまった。

 王国のために人生を捧げていると言えば聞こえはいいが、傲慢でエゴイストで、永遠に好き勝手生きる女として認識されたことだろう。


 誰もクロエの味方をしない。


 それは貴族だけでなく、平民の中にも広がっていった。

 クロエの政策は貴族を弾圧して平民を助けるものだった。

 だが、賃金を支払う貴族が渋り、仕事を与えないという状況が現れ始めた。


 内乱前の静けさは水面下で平民たちを苦しめる結果になった。


 そして、その原因を作った者に矛先が向けられる。


 9


 孤立無縁で誰もいなくなったクロエに久しぶりに会いにいった。

 褐色の肌に真っ黒な髪、獣人を表す狼の耳はそのままだったが、顔色は決して良くはない。


「あなたは解雇したはずですよ。勝手に入ってこないでください」


 初めてあった時のような、世界を知らない無垢な瞳。

 そうか、こいつは何も変わっていないんだとやっと気づいた。

 王国を助けるために奔走していたのだろう。


 変わっていたのは俺の方だった。


 俺は賢者クロエに惚れてしまっていた。

 だから、彼女が変わってしまったと悲しむフリをして、叶わぬ恋から逃げたのだ。


 彼女は成長して、心を学んでいた。


 だが、一つを学んだからといっても成立しないのが人の世だ。

 理不尽なことに見えても、時には遠回りであっても機微を理解しなくてはいけない時がある。


「クロエ! お前の政策には心がない」


 その言葉にクロエは愕然とした顔を見せた。

 俺ごときの言葉などなんの意味もないように思っていた。

 それなのに賢者であるクロエは、頭を抱えて考え込んだ。


 あぁ……、俺はたくさん間違っていたんだろうな。

 こんな風になるまでクロエを放置してしまっていた。


 心が壊れかけて、スキマ風がビュンビュンと吹いている。


 人外として悩み苦しみ出した結論が、あまりにも受け入れられなくて、理想ばかりを追うが故に悪と呼ばれる生活が始まっていた。


 その終わりはあまりにも悲しく破滅への道であるとわかってしまう……。



 10


 メイドが終わりの始まりを告げる情報を持ってきた。


 なんでも王都周辺に貴族たちが兵を起こして、クロエを殺すための戦いを始めるという。


 クロエが死ぬか、貴族たちが死ぬか、一つに二つしか選ぶことはできない。


 ここで助けに入ったら、恩を売れるんじゃないか? もしかしたらクロエを俺の女にできるんじゃないだろうか? そんな期待を思っていた。


 単なる平民のビビりまくっていた剣士でしかない俺が……。


 クックック、俺はバカだな……。


 自分で対処できる力を持つクロエを守ろうとするなんて、烏滸がましい話だ。



 11


 圧倒的力の前ではすべてが無力!


 貴族たちはクロエの前に倒れていく。

 雇われた騎士も、冒険者も、傭兵も、全てがクロエの魔法になす術がない。


 だけど大勢の命を奪うごとに、クロエは泣いているように見えた。


 もう後戻りはできない。


「魔王クロエ! 勇者として貴様を断罪する!」


 クロエが愛した王子に顔がそっくりな奴がクロエを殺すために剣を持つ。

 守ろうとしていた王国から、殺されるのか? そんなことがあってもいいのか?


 俺は黒い鎧に全身を包んで、黒の騎士としてクロエの隣に立つことを選んだ。


 勇者と剣を交え、クロエの理解者として最後まで……。


 メイドが死んだ。

 勇者のパーティーとしてやってきた聖騎士団長に殺された。

 バカな女だった。 


 奴隷として殺しを依頼され、クロエに解放されたのに、クロエの側にずっといるなど余計に狙われるだろうに。


 それでもあいつは気高くクロエを守るための戦いをして死んだんだ。

 クロエに対しては常に慈愛を込めた瞳を向けていた。

 

 メイドは俺のことが許せないだろう。

 もっと早く俺が戻ってきていれば、メイドもクロエもここまで苦しむことはなかった。

 王子が死んだ際に俺がそばにいる決断をしていれば……。


「魔王クロエ!!!」


 クロエは殺されたかったのかも知れない。


 勇者の叫びに、魔法を発動することなくその身を捧げた。

 その後ろにいる若き王を守るように……。


「魔王を討ったぞ!!!」


 倒れるクロエを抱き上げる。

 息が少しだけある。


「私のために戻らなくてよかったのに、あなたには生きていて欲しかった。愛しています」


 なっ! お前はずっと王子を好きだったじゃないか! 


 俺は……。


「俺もお前を愛していたよ。出会った時からお前に心を奪われていた」

「私はあなたの心をもらえて幸せでした。あとはあなたの好きに生きてください。私の力をあなたに……」


 これが俺が愛したクロエという女性の一生だ。


 好きに生きてくれと言われた。


 だから、俺は自分の思うように生きる。



 ラスト


 冷たい風が頬を刺す。


 勇者と、のたうち回っていたバカの首は刎ねた。

 魔王を殺したことで人の世がよくなる? そんな簡単な話があるはずがない。


 誰よりも王国のために働いた賢者クロエを殺すような、バカな王国に未来などありはしない。


 滅んで仕舞えばいい。


 かつて、王国と呼ばれた場所は、今では魔王城クロエとして呼ばれるようになった。

 力を求める者たちが集まってきて、俺はクロエを殺したこの世界を滅ぼすことを目的に歩み出した。


「魔王クロノ様、配下が全て揃いました」


 クロエに似た黒髪狼の獣人少女が膝を折って俺に礼を尽くす。


 別にクロエに似ていたから登用したわけじゃない。

 世界を滅ぼす旅の中で、亜人として迫害を受けていたところを利用するために助けただけだ。


 クロエがどんな未来を望んだのかなんて関係ない。

 俺は自由に生きる。


「ああ、世界を、傲慢な人間を滅ぼしにいくぞ」


 いつか全ての人を殺せたなら、俺もクロエのもとへ向かいたい。

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