幽世のまれびとたち:忍び寄るガチンコ勝負

 桜花たちのボール遊びも、かれこれ十数分ほどで終わった。遊び疲れた訳では無いが、十分に遊んで三人とも満足したらしい。もしかしたら、子供ゆえに見知らぬ相手と遊んだ事での緊張などもあるのかもしれなかった。


「野分に青葉。桜花君と遊べて楽しかったかい?」

「たのしかったー!」

「キツネのおにいさん、やさしかったよ」


 野分たちの手を引いたり抱き上げたりして二人の感想を聞いているのは、やはり二人の義兄たる雪羽だった。穂村たちも幼いいとこらには興味津々なのだが、少し離れた所から様子を見るだけに留まっている。

 一方の稲尾桜花は、もちろん父親である燈真の傍にいた。お父さんっ子であるという事で、桜花も燈真には無邪気に甘えているらしかった。


「ありがとうな、源吾郎君。桜花たちが遊んでいる間、周りに結界を張ってくれただろう。結界術なら、竜胆も出来たんだけど……」

「いえいえ、良いんですよ燈真さん」


 言いながら、源吾郎と燈真はちらとテーブルの方を見やった。竜胆は兄貴分の蕾花や妻である氷雨の傍にいるのだが、彼ら諸共現世の妖怪たちに囲まれ、談笑したりあれこれ質問されたりしている最中だった。

 現世とは異なる世界の妖狐、それも若干四十代にして三尾を具える才能と妖力の持ち主である。現世の妖狐たちが珍しがって、一言でも話そうと取り囲むのはごく自然な事と言えるだろう。

 ましてや、この度集まった妖怪たちは、萩尾丸の部下や源吾郎の知り合いの中でも、特に幽世や神使たちに興味のある妖怪たちなのだから。


「僕も結界術は多少心得ていますし、桜花君たちにはボール遊びを、他の大人の神使の方たちには、交流会を存分に楽しんでいただきたかったので」


 燈真の言葉通り、源吾郎は桜花たちがボール遊びを始めた時点で周囲にそれとなく結界術を展開していたのだ。ぶつかったとしても柔らかく押し返されるような、そう言う類の結界術である。

 広いとはいえ、ボール遊びが行われたのは室内だ(生憎外は雪まじりの雨だったので、外で遊ばせるという選択肢はなかった)。神使たちや妖怪たちの囲むテーブルにボールが飛んで行ったり、既に飛行能力を具えた野分や青葉自身が突っ込んでも大事である。

 さりとて結界にぶつかって痛い思いをしても良くないので、やわらか結界を展開する事となったのである。元々は小鳥形態だったホップが変な所に止まらないようにと考案した術であり、そもそもからして戦闘用の術ではなかった。

 やわらか結界の術自体は役に立つシーンは少なかったが、来賓たちが訪れる場で、きちんと役立ったのだ。

 ここからは、雪羽や彼の弟妹達も交えて、桜花や野分たちなどの子供妖怪たちの話にシフトしていった。現世と幽世の妖怪は幼子の頃から異なる点が多いが、互いに話を聞く事でそれを再確認できたのだ。


「ええっ。桜花君ってもう二十キロもあるんですか。二尾で、幽世の妖怪は成長が早いと言えども大きいですね」

「二十キロかぁ。俺は大体十一キロだから、桜花君は俺の倍近い重さがあるって事だよなぁ」

「あ、だけどさ雪羽兄さん。俺ら五匹が集まったら、桜花君の体重をちょっと上回れるよ。雪羽兄さんだけでも十キロ以上あるんだし」

「いやいや開成。何となく張り合いたいのは解るけど、僕たち兄弟で集まって体重を上回れるって、その発想が出た時点で負けじゃあないか」


 源吾郎たちはというと、桜花の体重が既に二十キロを超えている事に驚いていた。

 現世の妖怪たちも、もちろん妖力を蓄えれば巨大化はする。雪羽とその弟妹達の体格差などが身近な例であろう。三尾である雪羽は十キロ強の大きさにまで育っているが、弟妹である穂村たちはそこまで大きくはない。比較的妖力の多い開成や時雨でさえ四キロから六キロ程度であるし、穂村やミハルに至っては、その重さは三キロ台に留まっている。歳の近い兄弟姉妹でこのように体格差が生じるのは、妖力の多さに起因するものだった。抜きんでて妖力の多い雪羽は、歳の近い弟妹よりも大きな体躯を誇る事になったという事である。

 とはいえ、幽世の妖怪たちに較べれば、現世の若妖怪たちは格段に小さい。何せ幽世では、カマイタチででも、ゆうにはあるほどなのだ。雷獣であれ猫又であれ妖狐であれ、若い個体でも三、四十キロクラスの個体は珍しくないという。

 現世では、妖力の多寡に関わらず、若妖怪の大きさは元の動物の大きさと同じか、それよりもやや大きい程度である。なので一尾の妖狐では数キロ程度の個体も珍しくはないし、それは雷獣も同じ事であるらしい。カマイタチや管狐などの小柄な種族であれば、一キロに満たない者とてそう珍しくはないほどなのだ。むしろ若妖怪として考えた場合、十一キロの雪羽は大きな部類に入るだろう。

 現世の妖怪はそう言った感じであるから、獣妖怪で二十キロもあるといえばであるという印象を持つのだ。尾の数で言えば、それこそ三尾や四尾の妖狐が、それくらいの大きさになるという感じであろうか。


「おとうさん。のわきくんもあおばちゃんもフワフワういたりとんだりしていたの、すごかったよね」

「そうだな桜花。雪羽君が空を飛ぶって事は知ってたけれど、野分君たちみたいな小さなころから飛べるってのには驚いたよ。幽世の雷獣は、皆が皆空を飛ぶ訳じゃあないからな」

「確か空を飛べる雷獣って、大瀧さんでしたよね。光希君は、俺が空を飛べるって話を聞いた時に驚いてましたし」

「まぁ俺たちってちっさい頃から浮いたり飛んだりする術を覚えますからねぇ……そう言えば島崎さんも浮く術を覚えているって雪羽兄さんから聞いたんですけれど」

「いやいや開成さん。僕は浮遊術なんて覚えていませんよ。結界術で足場を作って、何もない所で浮かんでいるように見えるだけに過ぎません」

「それはそれで凄いと思うんですけど……」


 一方、燈真と桜花は幼い野分と青葉が既に浮遊術を体得し、ボール遊びの際にフワフワと浮いて飛んでいた事に驚いていたようだった。

 現世の雷獣は事あるごとに空を飛び宙を舞う事が往々にしてあるし、実際雷獣の身体は空を飛ぶための構造を具えているともいう。哺乳類妖怪としては代謝と体温が異様に高い事や、骨格が軽量化されている点などは、むしろ鳥妖怪に近い部分すらあるのだ。

 かくして肉体のレベルで空を飛ぶ事に適応しているのが現世の雷獣であるが、幽世では全ての雷獣が空を飛ぶわけではないという。源吾郎も蕾花からかつて聞いた話によると、空を飛べる雷獣は、その身を雷に変化させる事の出来る雷獣だけなのだという。

 そして秋唯と光希の尾張姉弟は、身体能力の強化に特化した雷獣であり、雷に変化する能力やそれに伴う飛行術は具えていないそうだ。だからこそ、ハクビシン系雷獣の光希は、同じくハクビシン型(猫のような特徴もあるにはあるが)の雪羽が難なく空を飛ぶと聞いた時に、ひどく驚いたそうなのだ。


「それにしても、今回の交流会は俺たちや椿姫みたいな大人の妖怪たち向けの交流会かと思っていたけれど、桜花も同年代? の子と遊べたから良かった、な?」


 狐耳と角の生えた頭や、フワフワの二尾を撫でながら、燈真はしんみりとした口調でそう言った。その動作はまさしく父親のそれだったのだ。まぁ、彼の口にした「大人の妖怪向け」という言葉に対し、菘が「わっちもおとなのなかまいりかな?」と言ったりしていたのだが。それはそれで微笑ましいし、幼い菘が大人っぽく振舞いたく思っている事は、源吾郎もよくよく解っていた。

 一方の雪羽もまた、青葉の頭を撫でたり野分を抱っこしながら頷いた。


「野分と青葉については、叔父貴が自分の子供って事で是非とも顔合わせしたいって意気込んでいましたからね。二人ともまだまだちっさい子供ですけれど、俺ら兄妹も参加するし連れてこようって事になったんすよ」


 元々妖狐と雷獣とでゆるくグループ分けされた状態で交流会は進んでいたのだが、今はもう妖狐も雷獣も関係なく一緒くたになって、現世の妖怪たちは幽世から訪れた神使たちの話を聞いたり、あれやこれやと世間話に花を咲かせていたのだ。

 源吾郎が燈真たちから離れてテーブルに戻った時も、まさにそんな状況だった。使い魔のホップは源吾郎の尻尾に潜んでくっ付いていたのだが、妻の玲香は神使である妖狐たちと意見交換を行っていた。特に稲尾家の三十四代目当主・稲尾椿姫とは意気投合しているほどである。

 だがそれにしても……テーブルに戻った源吾郎は、妖怪たちの雰囲気が先程までとは異なる事に目ざとく気付いた。彼らなりに盛り上がっている事には変わりはない。だがある者は妙に緊張していたり、妙に興奮していたりするのを肌で感じ取ったのだ。


「戻ってきたのねゴロー君。お疲れ様」


 そんな妖怪たちの輪の中から、玲香がこちらに戻って来た。早歩きで歩み寄ると、そのまま源吾郎の隣に腰を降ろす。彼女はもちろん、源吾郎が子供妖怪の為に結界術を展開していた事を知っていた。


「玲香さん。皆結構盛り上がっているんだね」


 源吾郎の言葉に玲香はまず頷いた。それから周囲の様子を一瞥し、伏し目がちに言葉を続けたのだ。


「それがね、雉鶏精一派の三國さんと、幽世の武闘派神使の大瀧さんが力較べをしたいって話し合ってるのよ。それで萩尾丸様も、その件についてどうしようか少し検討なさっているようで」

「そ、そうだったんか――!」


 おずおずとした声音で説明してくれた玲香に対し、源吾郎は驚きの為についつい叫んでしまった。雪羽の叔父である三國は、クズリのごとき体躯を持つ八尾の雷獣だった。雷獣にして武闘派神使である大瀧蓮が七尾の狼系雷獣であると知ってからというもの、何かと彼とのガチンコ勝負を望んでいたのだが、まさか本当にその事を口にしてしまうとは。

 周りが妙にざわつくのも無理からぬ話だ。源吾郎も納得しつつため息をついたのだった。

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