幽世のまれびとたち:子供妖怪と神眼の力

 和やかに進んでいた交流の流れが変わった瞬間は、ミハルの目から見ても実に劇的なものだった。

 流れを変えたのは、三國の娘である青葉だった。父母に抱っこされる事に飽きたのか、はたまた妖狐たちが集まる隣のテーブルに興味を持ったのか。胡坐をかいた三國の腕から文字通り飛び出し、そのまま妖狐グループの方に駆けていったのだ。


「おとうさん、あおばがいっちゃったよ……」

「本当だなぁ、野分」


 青葉の双子の兄である野分は、小さな手で三國の服を掴んで引っ張っている。

 幼い息子に促され、三國も青葉を追いかけようとした。だがこの時に、雪羽がすかさず立ち上がり口を開いたのだ。


「叔父貴、野分と青葉の事なら俺に任せてよ。叔父貴だって、大瀧さんと会って話すのを楽しみにしてるんだからさ」

「雪羽……」


 三國が父親らしく逡巡し、悩んでいる間にも事は進んでいった。すなわち、雪羽だけではなく開成や時雨、穂村もまた従妹たる青葉の様子を見に行くと申し出たのだ。その中にミハルも含まれていたのは言うまでもない。

 雪羽を筆頭とした甥姪たちに自分の娘が遊ぶところを監督してもらうという事で、三國は当初気まずそうな表情を見せてはいた。しかし蓮から「桜花が遊ぶときは、すぐ傍で燈真が様子を見ているから大丈夫だ」と言われ、気を取り直したようだった。


 桜花の遊ぶ傍にはちゃんと燈真がいて、その様子を見守っているから大丈夫だ。蓮の言葉通り、燈真は桜花と青葉の二人が遊ぶのをそっと見守っていた。

 のみならず、稲尾の白狐たる竜胆と菘の兄妹、更には九尾の末裔である源吾郎の姿もあった。


「あおば!」


 雪羽が手を引いていた野分が、元気よく声を上げて青葉の方に駆けよった。双子の兄妹という事もあり、野分と青葉は仲良しで、一緒にいる事が多いのだ。


「ねぇあおば。キツネのおにいさんと、なにをしてあそんでたの?」

「ぼーるあそび!」


 両手を挙げて答える青葉の傍らには、確かに青いボールが転がっていた。そのボールはかつて、雪羽が幽世に来訪した折に桜花にプレゼントした玩具の一つだった。あの夏の日に幽世に赴いていた雪羽と穂村、そしてミハルはその事に目ざとく気付いた。


「おお、桜花君。俺がプレゼントしたボールで遊んでくれていたんだな。それにしても、わざわざ持ってきてくれていたなんて、お兄ちゃん嬉しいぜ」

「えっとね……」


 身をかがめ、目線を合わせつつ語る雪羽に対し、桜花はちょっと困ったような表情になった。


「もってきたんじゃあなくて、らいにいのしっぽのなかにあったんだ」


 桜花の無邪気な言葉に、雪羽たちは一瞬だけフリーズした。だが次の瞬間には、言葉の意味に気付いて爆笑し始めたのである。


「あはは、蕾花兄貴の尻尾の中にボールが隠れていたとはたまげたなぁ。ああでも、蕾花さんも五尾でめっちゃモフモフしてるから、ボールの一個や二個紛れ込んでいても案外解らないかもなぁ」


 雪羽はそう言うと、その視線を源吾郎に転じた。源吾郎の傍らには妻となった玲香さんはおらず、何故か隣に菘が控えていた。


「島崎先輩もデカい尻尾を持ってますけど、先輩の尻尾にもボールとか玩具とかは隠されてないんですかね?」

「いやいや雷園寺。そんなのは隠されてないって」

「どっちにしろ、桜花も青葉ちゃんたちも、遊びがボール遊びになって良かったよ。比較的平和な遊びだからさ」


 しんみりとした口調で言ったのは、桜花の父親である稲尾燈真だった。青葉に連れられる形で、野分もまた遊びの輪に入っていった。各々ボールを転がしたりゆるく投げたりして、ボールが転がったり飛んでいくのを見て楽しんでいる。

 三人がはしゃぐ様子を見る限り、厳格なルールがある訳では無く、ボールが飛んだり転がったりしている様子を見て楽しんでいるだけらしい。幼子らしい、無邪気な遊び方だとミハルは思った。

 燈真はというと、何処か困惑したような、申し訳なさそうな笑みを見せながら言葉を続けていた。


「実は青葉ちゃんはな、桜花と喧嘩遊びをやりたいなんて言ってたんだよ。そりゃあ確かに、俺たちの世界では喧嘩は妖怪の花って言われてはいるさ。だけど、青葉ちゃんの身に何かあったら三國さん夫妻や雪羽君に申し訳ねぇし……」

「何、青葉のやつは喧嘩遊びをやりたいだなんて桜花君に言ったんすか?」


 雪羽はまず驚きに目を丸くし、それから額に手を当てた。


「全く、わが妹ながらとんだごんたくれだなぁ……初対面の相手に喧嘩遊びを吹っ掛けるなんて、何でそんな事をすんだろうなぁ」

「いやいや雷園寺。すっとぼけなくても心当たりはあるやろ」

「ゆきは、げんごろうのいうとおりだよ。あおばは、ゆきはとかあおばのおとうさんとけんかあそびやってるみたいだから」


 先程の雪羽の言葉が、すっとぼけていたのか本心からの事だったのかは定かではない。定かではないものの、源吾郎と菘のツッコミは、息の合ったもので、尚且つ的確極まりない物だった。

 というか数か月に一度叔父一家と会うだけのミハルにも、ごんたくれな青葉に対して父である三國や義兄たる雪羽が同じくごんたくれな遊びを興じているであろう事は、容易く想像できた。


「で、出ますよ……」


 背後で伸ばした四尾のうちの一本、その一尾の根元の辺りがもぞもぞと動き、使い魔のホップが飛び出してきた。交流会の当初は頑張って人型を保っていたホップであるが、疲れたらしく早々に本来の姿に戻っていたのだ。

 あの言い方は鳥園寺さんから教わった語録だな。そんな風に思いつつも、源吾郎は左手を差し出す。空いている方の右手をポケットに突っ込み、ホップの食事である種子と、玩具代わりの毛玉ボールを取り出し、左手に添えた。

 なお、毛玉ボールの主成分は源吾郎の尻尾の毛である。


「ホップもお腹が空いたでしょ。あと、ボールもあるからこれで遊ぶと良いよ。流石に、桜花君たちと一緒に遊ぶにはホップにはまだ早いから、ね」

「げんごろう」


 ホップに語り掛けていると、隣から声がかかった。声の主は菘である。彼女は紫紺の瞳でホップをじっと見つめていた。その瞳に同心円の紋様が浮かんでいるのかどうかは敢えて気にせず、ホップの様子を窺う。妖狐たちと同居しているという事もあってか、ホップは特に気にする様子は見せなかった。


「菘ちゃんもホップの事が気になるのかな?」

「うん。メジロとネズたちとはちがうところがあるのかなっておもったの」

「メジロ君とネズ君は蕾花さんの式神で、文鳥だったよね。ホップは十姉妹だから、確かに違う所はあるかも」


 と言っても、文鳥と十姉妹はどちらもカエデチョウ科に分類される。インコやカナリヤなどに較べれば両者の差は少ないのかもしれない。詮無い事かもしれないが、そんな考えも脳裏をかすめた。

 ホップは未だに源吾郎の手の上で飼料をつついている。菘の手の平にも少しばかり飼料を置けば、その間は菘の手に留まるかもしれない。そう思った源吾郎は、菘を見つめて問いかけた。


「菘ちゃん。菘ちゃんもホップを手に乗せてみる? 見ての通り小さいから、撫でたり握ったりしたら駄目だけど」

「……ホップがだいじょうぶなら、てにのせてみる」

「ぼくは大丈夫だよ、ゴローさん」


 ホップはそう言うと、飼料もないのにそのまま菘の手に留まった。二尾とはいえ神使たる菘に見つめられながらも、ホップは気負う事なくのびのびと振舞っていた。源吾郎の方を一瞥してから羽繕いをはじめ、飛び立つ前のように翼と足を斜めに伸ばしていたのだ。

 そしてそんなホップの姿を、菘はじぃっと見つめていた。

 ややあってから、菘が顔を上げて源吾郎を見た。源吾郎もまた菘を見つめていて、だからこそ同心円の神眼が発動しているのを目の当たりにした。しまった、と一瞬思ったものの、致し方ない事だと観念した。菘の瞳は、そんなささやかな心の動きさえ読み取ってしまうのだから。


「げんごろう。ホップはげんごろうのことがだいすきなんだよ。れいかのほうが、げんごろうよりもつよいってことはわかってるみたいだけど」

「そうだよ(便乗)」

「あは、あはははは……」


 唐突な菘の言葉に、源吾郎の口から笑い声が漏れる。源吾郎と玲香とホップの関係性を見抜かれたためなのか、ホップのひょうきんな言動の為なのか、源吾郎にもいまいち解らなかった。


「げんごろうって、けっこうめんどうみがいいよね。わっちやにいさんにもやさしいし、ホップもげんごろうのことはしんらいしているもん」


 やけに堂々とした菘の言葉に、源吾郎は少し戸惑ってしまう。その間にも、菘は童女らしい無邪気さでもって言葉を続けた。


「おとうさんになったら、げんごろうはきっとやさしいおとうさんになるよ。わっちにはわかる」

「僕にも見える見える……」


 菘は優しく可愛らしい笑みを浮かべていたが、先の彼女の言葉で胸が一杯になってしまい、源吾郎は直視できなかった。

 結婚したとはいえ、源吾郎はまだ自分が子供を持つ姿を上手く思い浮かべる事が出来なかった。

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