幽世のまれびとたち:雪原ひろがる闘技場

 七尾の狼系雷獣の大瀧連と、八尾のクズリ型雷獣の園田三國がガチンコ勝負を行う。

 この話には、源吾郎も雷園寺家の雷獣兄弟たちも等しく驚き、震える他なかった。両名とも大妖怪に相当する力量の持ち主である事を、源吾郎たちは十二分に知っていたからだ。そしてその両者が、本気でぶつかり合った結果についても、だ。

 勝負を行うようになった経緯と、この後どうするかについての詳細は、交流会の主催者たる萩尾丸の口によって説明が始まった。大勢の妖怪を従える指導者らしい、落ち着いた表情を取り繕ってはいる。だがそれでも、口許には渋面の名残が浮かんでは消えていた。


「……実を言えば、僕も大瀧様と園田君の真剣勝負については、行わない方が良いと数分前まで思っていたんだ。二人とも強大な力を持つ大妖怪同士だ。ヒートアップしたら殺し合いになりかねないからね」


 その結果で。半笑いで語る萩尾丸の言葉は、もちろん笑い飛ばせるような内容ではない。


「しかし、だからと言って頭ごなしに禁止してしまっても、園田君もいたずらに不満を募らせるだけになってしまうからね。ただでさえ、彼は幽世に、幽世に住まう同族に強い関心を示しているんだ。ここで勝負を止めてしまって、その事でごねられても後々厄介だと思い直したんだよ」


 そこまで言うと、萩尾丸はゆるりと右手を上げた。

 その腕には、紐で吊るされた玉が二つあった。リンゴよりも二回りほど小さい位のサイズ感であろうか。ほぼ完全に真球のそれは透き通っており、内部には稲妻を思わせる細い光が、幾筋も現れては消えている。

 単なる玉ではなく、妖力を籠めて作った玉であろうと源吾郎はすぐに思った。妖怪がおのれの妖気や妖力を玉として外部に放出するのは大変な事である。しかし萩尾丸ほどの大妖怪であれば、相対的に少ない消耗であの程度の玉を作り出す事も出来るのだろう。


「ただし、自由に二人で闘ってもらうのではなくて、僕の方でルールを設けておいたんだ。二人にはこの玉を身に着けてもらって、それを破壊されるか相手に奪われれば負けというルールをね。解りやすい上に安全性の高い勝負方法だと諸君は思わないかね?」


 ここで萩尾丸はようやく笑みを見せ、源吾郎たちに問いかける。

 成程、萩尾丸先輩も考えなすったんだな……そんな事を思いつつ顔を見合わせていると、やにわに無邪気な声が上がった。声の主は雪羽の実弟たる雷園寺開成だった。


「はいっ! 俺たちが兄さんたちや時雨君と日頃やってる訓練に、ちょっと似てるなぁって思いました! 俺らもまだ子供なんで、あんまりガチの訓練はやりませんし」

「開成、相手は萩尾丸さんだから、あんまりフランクに話してたら怒られるぞ」

「雪羽兄さん。開成のやつは屋敷でもこんな感じなんだよ……」


 開成の発言に、何故だか雪羽が若干狼狽えていた。それに対して穂村がフォローを入れている。ちなみに妹のミハルは妙に達観したような表情だったし、異母弟の時雨は異母兄たちのやり取りを、尊敬のまなざしでもって見つめているだけだった。


 大瀧連と園田三國のドリームマッチの準備は、あれよあれよという間に行われてしまった。

 もちろん、交流会会場である室内では行えないので、戦闘用に特別会場が急遽こしらえられたのだ。

 こしらえられたというのは比喩でも何でもなく、文字通りの意味である。蕾花が得意とする〈庭場〉の構築術に加え、現世サイドでも上級クラスの妖怪や空間術に秀でた者たちが協力しあって構築した物だった。

 なお、ドリームマッチの見学は一部の妖怪――源吾郎や雪羽はその一部に入っていた――以外は任意という形を取っていたものの、結局は全員が見学する事となった。喧嘩は妖怪の花と考えている幽世の妖怪たちは既にノリノリであったし、雪羽の弟妹達や親族たちは、三國の活躍を目の当たりにするのだと気炎を上げていた。

 見学に消極的だったのは、萩尾丸の配下の大半や雪羽に関わりのある若い野良妖怪などであったが、結局彼らも「皆見学する」という勢いに飲み込まれた。

 ドリームマッチの為だけに構築されたその空間は、さながらローマ時代の闘技場・コロッセオのごとき様相を示していた。但し、ローマのコロッセオとは異なり、二人が勝負を行うその場所は雪原がイメージされ、雪のイミテーションが敷き詰められている。イミテーションなので実際の雪とは異なるし、もちろん冷たい訳でもない。狼系妖怪とクズリ型妖怪が闘うという事での計らいだろう。


「緊張しているのね、ゴロー君」


 しれっと最前列に陣取っていた源吾郎に、玲香がそっと声をかけ、ついで手の甲に手を重ねてくれた。もちろん玲香は源吾郎の隣に座っている。そして使い魔のホップは、とうに小鳥の姿に戻っているために、源吾郎の肩の上に止まっていた。


「うん。僕は単に、お二人が勝負するのを見るだけだけど……」

「だいじょうぶだよ、げんごろう」


 言いよどむ源吾郎に対し、玲香とは反対方向から声がした。いとけなさの残るその声の主は、稲尾菘である。彼女もまた、しれっと源吾郎の隣に腰を降ろしていたのだ。おいろけもふもふを標榜している事もあってなのか、源吾郎は実は菘に懐かれていたのだ。


「れんも、みくにも、じゅんすいにたたかうことをたのしもうとしているから。しょうぶのけっかがどうであっても、うらんだりくやしがったりしないよ」


 菘の言葉に、源吾郎は深く息を吐いた。その事こそが、源吾郎が密かに懸念していた事そのものであったためだ。五隊とも呼ばれる対影法師部隊・電襲隊の総長と、雉鶏精一派第八幹部。大妖怪である事もさることながら、どちらもそうそうたる立場である事には変わりはない。この勝負で何がしかのイコンが出来たら大事であると、内心源吾郎は思っていたのだ。もっとも、そういう事は萩尾丸やその側近、あるいは三國の縁者が考える事なのかもしれないけれど。


「そう言えばゴロー君。勝負と言えば、ラス子さんが密かに勝敗予想って事でこっそり賭博をやっているそうよ。若いたちが見学する事を決めたのも、そのためなのよね」


 世間話のように語られた玲香の言葉に、源吾郎は面食らってしまった。


「賭博て……熊谷さんも抜け目ないなぁ。ああ、でも玲香さん。僕は賭博なんぞに興味はないからね。賭け事とかって損をする事の方が多いって世間では言われてるし」

「ゴロー君はそう言う所は冷静よね。だけど雷園寺君は、もう既に三國さんの勝利に全財産ベットしたそうよ」

「え、ちょっと待って。何やっとんねんあいつ!」


 話の内容のとんでもなさに、源吾郎は思わず叫んでしまった。確かに雪羽はちと羽振りの良い所が目立つ少年でもあるが、まさかそんな事をしでかしていたとは。

 なお、全財産と言っても実際にお金を所持していた訳では無く、母からの形見の品を担保としてラス子こと熊谷リンに預けているという事なのだが。


「それにしても、形見の品を担保にするとは、雷園寺のやつも相当熱が入ってるなぁ」

「雪羽君って、お母さんの形見の品をずっと持ち歩いてたんだな?」


 源吾郎のボヤキに不思議そうに応じたのは蕾花だった。〈庭場〉の構築という意味では今回の勝負の裏方として大切な役割を担っているが、それはそうとこうして座席で蓮たちの闘いを見る事になっていた。

 不思議そうな表情を浮かべる蕾花に対して、源吾郎は頷いた。


「ええ。雷園寺君がお母様から頂いた形見の品というのはペンダントですからね。普段は服の下に入れて隠していますので、実は職場とかでも付けていて、時々服の上から撫でている事もあるくらいです」


 あ、もしかして……蕾花の隣にいた竜胆が、何かを思い出したと言わんばかりの表情を見せていた。


「そのペンダントって、あやかし学園で六花さんが持っていたペンダントだったりするんでしょうか」

「そうなんだ。そうなんだよ竜胆君。ここだけの話、あやかし学園での六花ちゃんの境遇は、雷園寺君のそれとほぼ同じだから、ね」


 そう言うと、源吾郎は少しだけ微笑んだ。あやかし学園を製作するにあたり、梅園六花の半生に自身の体験を落とし込もうとした雪羽の姿を思い出し、少しだけおかしくなったのだ。

 だが――縁日のくじ引きで入手した、安物のペンダントを何にも代えがたい宝であると今も思い続けている雪羽の姿には、物哀しさが憑き纏っているように思えてならなかった。


「まぁ、雷園寺君もラス子ちゃんも安物のペンダントだと思ってましたけどぉ、既にアレは魔道具としての力も持ち始めていますからねぇ」


 のんびりとした、間延びしたような声音で告げたのは、メメトという名の管狐の少女だった。フリーの術者に仕える彼女であるが、フットワークが軽いために、雪羽やリンたち、更には玲香とも面識があるらしい。


「魔道具ですって」

「そりゃあ無理からぬ話ですよぅ。雷園寺のお坊ちゃまほどの、強大な力を持つ妖怪が、何十年も肌身離さず所持しているんですから。しかも、その間中ずぅっとお母様の事を念じていらっしゃるでしょうから、九十九神にはならずとも念が染みついて変質するくらいの事はあるでしょうねぇ」


 安物のペンダントが、実は妖気を受けて変質し魔道具になりかけている。その話を聞いた源吾郎は、何処か救われたような気分になったのだった。

 とはいえ、ここで安心している場合ではない。勝負はこれから始まるのだから。

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