幽世のまれびとたち:妖狐と和菓子と子供妖怪

 源吾郎は玲香との新婚生活について蕾花たちに語って聞かせた。

 語った内容には蕾花たちも素直に納得した部分もあれば、意外だと驚いた部分も多少はあった。蕾花たちが驚いた内容。それは結婚後の源吾郎と玲香が、実の所それほどべったりとくっついている訳でもないという話だった。


「源吾郎君ってば米田さんにぞっこんだったから、もっと二人でいちゃついていたかと思ってたんだけど、意外とそう言う所はあっさりしてるんだなぁ」

「私もゴロー君、いえ夫もそれぞれ別の場所で仕事をしていますからね。夫婦仲が良いに越した事はありませんが、ずっとべったりでないと駄目となると、お互い生活に支障が出てしまいますし」


 蕾花のあっけらかんとした、直截的な感想に対し、おのれの意見を口にしたのは玲香の方だった。当の源吾郎はというと、気恥ずかしさを感じたり口にする内容を考えたりしていたのですぐに発言できなかったのである。


「あ、でも蕾花さん。それほどべったりじゃあないと言いましても、別にその……醒めてるとか、そういう事じゃあありませんので安心してください。ただ、結婚してから僕はちょっと落ち着いたというか一段落したって言うのはありますけれど」

「成程ねぇ」


 ややたどたどしい源吾郎の言葉に、猫又の万里恵が納得したような声を上げていた。彼女自身はまだ恋人と結婚してはいないが、稲尾椿姫に仕え、彼女が結婚している所も見届けている。実は椿姫の母と年齢が近いという事もあり、多くは語らないが色々な事を知っているのだろう。

 しおらしくなってしまった源吾郎と普段通りに振舞っている玲香の姿を見ながら、鳥園寺さんが思い出したように口を開いた。


「蕾花さんにネッコマターさん。そもそもからして、島崎君って誰かとベタベタくっつくのが苦手な所があるんですよう。ユキ君とか六花ちゃんとは気心が知れていて中も良いんですけど、それでもあんまりベタベタされたら困り顔になってますし」

「ゆきはとりっかってどういつこたいだよね」

「多分トリニキさんも、解った上で言ったんじゃあないかな」


 雪羽と六花を同列に語った鳥園寺さんの言葉に対し、竜胆と菘の白狐兄妹がツッコミを入れたり考察したりしている。二人の甥にあたる桜花は、六花の名前を聞くや、興奮したように尻尾を立てていた。幼子である彼も、晩秋の温泉旅行で源吾郎たちが思い思いの美女もといおいろけもふもふに変化した事を、ちゃんと覚えてくれていたようだ。


「んー。トリニキさんの言う通り、源吾郎君って確かに俺らがワイワイやってるのを少し離れた所から見ている感じはあるよな。雪羽君だったら、そのワイワイやってる所にすぐ一緒に飛び込んでくれる感じだけど」

「そうそう。源吾郎君はちょっとシャイな所もあるよねー。そこもちょっと、オタク君に似てるかも」


 蕾花が思い出したように呟き、それに金毛妖狐の穂波も頷く。穂波の夫であるオタク君(本名は実は源吾郎も知らないのだが)を引き合いに出され、源吾郎は気まずそうに相手の顔を見つめるだけだった。無言で彼と互いに見つめ合う一方で、穂波と玲香の金毛妖狐二名は何故か互いに笑い合っていた。


「ご存じの通り、僕も末っ子で兄姉たちにこねくり回されて育ったんです。なのでその……甘えたい時もあるにはありますが、それ以上に独りでいたいと思う時もあるんですね。末っ子の、年長の親族に構われて育った結果です」

「そっか。源吾郎君って末っ子で、面倒見のいい兄姉がたくさんいたもんな」

「確かにそうかも」

「わっちもすえっこだから、げんごろうのきもちはわかる」


 末っ子だから甘え上手な一方で独立心も強い。源吾郎の言葉に、神使たちは大いに納得してくれた。しかしそんな中で、はっきりと異論を唱える者もいたのだ。

 異論を唱えたのは、源吾郎の長姉たる島崎双葉だった。


「源吾郎の独立心が強いのは、何も私らに構われたからってだけじゃあないでしょ。だってあんた、こーんなにちっさい仔狐の頃から、お父さんにしろお兄ちゃんとか弟たちにしろ、触られたくなかったら『やっ!』って手ぇ突っ張ってたもん」

「……」


 双葉の言葉に、源吾郎は反論する事もままならず押し黙るほかなかった。十六歳上の姉に対して、逆らうなどと言う発想がまず浮かばなかったのだ。


「ゴロー君。それってゴロー君が小さい時からちゃんと自分の意志を持っていたって事なのよ。それってある意味男らしいし、カッコいい事でもあるんじゃあないかしら」


 恥ずかしさと気まずさで何も言えずにいると、玲香が源吾郎の肩に手を添えつつそう言った。その笑みは優しく、源吾郎を構築するもの全てを受容してくれるようなものだった。

 妻の優しい気遣いに、そしてさりげなく放たれた男らしいという言葉に、源吾郎は思わず笑顔になった。自分がどんな笑みを浮かべているのかなど、この時は全く意識していなかった。


「げんごろう、げんきになったね」

「それはそうと、源吾郎君の奥さんってめちゃくちゃ優しいよな。あの妖もバリバリの武闘派って聞いてたから……」

「何よ燈真。妻である私に何か言いたい事があるんだったら、何でも言っても良いのよ? 私は可愛い奥さんなんですから」


 またしても、源吾郎の様子を見て神使たちはあれこれと口にしているのだった。


 問われるままにおのれの近況やら何やらを語り過ぎてしまっただろうか。気付けば蕾花たちよりも自分ばかりが話を長々と行ってしまった事に気付き、源吾郎は少し申し訳なく思ってしまった。自分語りばかり行っていては場がしらける事は、源吾郎もよく知っていた。

 それに今回は、蕾花たちが新たに結成した組織についても話を聞くようにと、萩尾丸にそれとなく命じられてもいた。萩尾丸自体も組織妖であり、更に言えば源吾郎たちもゆくゆくは組織を率いていく妖怪となる。他の世界の組織運営についても勉強したり意見交換をしてほしいと、萩尾丸が思っているであろう事は明らかだった。


「いやいや、源吾郎君の話も俺たちは十分に楽しめたよ。結婚したって言うのは本当に良い話だしな。それに……弟分が結婚したからと言って、今更妬んだりするものか」


 源吾郎の言葉に、蕾花は左手を振りながらそう言った。その蕾花の右手にあるのは、今回源吾郎たちが用意した御座候である。この和菓子には様々な名称があるのだが、今回用意したブツは御座候の名称で販売されているものだった。

 他にも錦どら焼きやクリーム饅頭、関西風ひなあられ(直径一センチほどのあられに青のりやしょうゆ、エビ風味やマヨネーズ風味の味付けが成されている)等々も話題の合間に供する物として並べられていた。この和菓子類はほぼ全てご当地の和菓子になる。関西圏に住む源吾郎たちにはお馴染みの物であるが、東北地方に当たる裡辺から来訪した神使たちに、少しでもご当地の物を楽しんでもらえればという計らいでもあった。

 さて神使たちに話題を戻そう。蕾花の言葉に竜胆が「嫉妬しないけれどからかってきたりするよね、兄さんは」などと言ってはいたものの、概ね普段通りのやり取りである事には変わりはなかった。


「蕾花さん。幽世の方も何かと大変な状況になっていて、それで神使の皆様も特殊部隊を結成するというお話をお伺いしました」

「ああ。五隊の事だな」


 源吾郎の言葉に、蕾花はゆったりと頷いた。先程手にしていた御座候は既に食べきっており、他のに手を伸ばそうかどうかと思案しているようだった。その傍らでは、菘が桜花に饅頭を分けている最中でもあったのだが。


「影法師の連中との闘いも今後激化する事は明らかだからな。そんな訳だから幽世自体の危険度も前よりも増しているんだ。だからまぁ、申し訳ないけれど幽世への来訪者は受け入れていない状態なんだよ。迷い込んでしまうヒトについては仕方ないけれど、意図して来訪するヒトは受け入れていないって感じかな」

「危険だと解っていながら、わざわざ来訪するというのは本当に無鉄砲な事ですものね、夢咲さん」


 蕾花の真面目な説明に相槌を打ち、これまた真剣な調子で返したのは姉の双葉だった。先程までとは異なり、その顔には笑みは無く真顔だった。

 これには蕾花も驚いたらしく、目を丸くして双葉の顔をまじまじと見つめている。邪神系妖狐の眼差しをものともせずに、双葉は僅かに頬を緩めた。


「私は術者ではない、一介のしがないオカルトライターに過ぎないわ。だけどそれでも、取材する事柄や土地なんかが、真に危険なのかどうかを見定める事は大切だと思っているんです。真に危険だった場合、深追いしては命取りになりますからね」

「さすが……」

「そこまで考えてらっしゃるのならしがないオカルトライターではないでしょ」


 笑み混じりでありつつも、双葉の言葉には冗談めかしたものは何一つなかった。それに源吾郎も、弟として双葉の言葉が心底からであるものは解っていた。大胆不敵なオカルトライターのように見える彼女であるが、その実怪異への用心深さは源吾郎よりもはるかに上回っている。危険だと思えばすぐに退却できるからこそ、双葉はオカルトライターの仕事を長らく続けられているのだ。

 だから実のところ、双葉は幽世の存在についても普通に警戒心を抱いていた。配信を楽しみこそすれ、幽世に向かう事自体は懐疑的だったのだ。自分が出向く訳ではなく、弟や義妹が出向くとしても。


「それに今回は俺たちに会いたいって妖怪たちも多いって話だったし、そもそも俺たちも萩尾丸さんたちや源吾郎君たちがどんな風に組織妖として働いているかって話も聞きたかったからね。だから今回、源吾郎君の話を聞けたのは――」


 改めて説明を続ける蕾花であったが、その言葉がふいに途切れた。蕾花の注意が、一瞬とはいえ源吾郎たちから逸れたためだ。

 燈真に抱っこされる形で座っていた鬼狐の桜花が、何かに気付いて立ち上がったためだ。桜花君も少し大きくなったのかな。尻尾を振り振り小走りに進む桜花の姿を見ながら、源吾郎はそんな事を思った。

 人間で言えば五、六歳児ほどに育っている桜花であるが、昨年夏に誕生したので実はまだ生後一年にも満たない。幽世の妖怪たちは、誕生後数年足らずで十歳児前後にまで急成長し、その後はごくゆっくりと成熟していくそうだ。幼少期が十何年も続く現世の妖怪とは全く異なる成長スピードであるが、それもまた環境の違いによるものであろう。鳥園寺さんが、その辺はかなり興味を持ちそうな案件でもあった。

 そんな風に思っていると、幼子同士が声を上げるのが聞こえた。

 ふとそちらを見れば、席から離れた桜花と、三國の娘で雪羽の妹(従妹)である青葉が、いつの間にか向かい合っていた。

 実年齢六歳・人間換算にして約三歳の青葉は、ごくごく自然に桜花の事を「キツネのおにいちゃん」と呼んでいた。

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