クロスオーバー:幽世のまれびとたち

幽世のまれびとたち:来訪準備の一こま

 三月二十日。この日は春分の日で祝日であるが、源吾郎たちは来訪者たちを出迎えるために港町某所の広間に来ていた。広間というのは雉鶏精一派の、もっと言えば萩尾丸の所有する施設であるのは言うまでもない。

 その来訪者というのは、常闇之神社の神使たる妖怪たちだった。

 常闇之神社を擁する幽世は、源吾郎の住まう地から遠く隔絶された場所だった。船で何時間もかけて出向けるような場所ではないし、間違っても旅番組などで(オカルト番組であれば、万に一つの確率でもあり得るだろうが)紹介されるような場所でもない。

 辿り着く者の多くは非業の死を遂げた者であり、その土地は六道輪廻のくびきを外れ、三千世界からも隔絶している。幽世とは、そんな所なのだ。

 なお幽世の住民は主神たる常闇様の許可を得る事で他の世界にやってきたり、あべこべに現世からの来訪者などを受け入れたりする事もあるにはあるが、それはまぁ別の話である。

 思えばサカイ先輩などは、空間転移による干渉によって幽世を来訪した事もあるが、それもそれでとんでもない力技だったのだろう。もっとも、彼女も彼女での子孫であるらしいので、現世の妖怪とは異なる力を持っていてもおかしくはないのだろうけれど。


 いずれにしても、源吾郎たちは神使たちの来訪に浮足立ち、嬉々として出迎える準備を進めていた。夢咲蕾花ゆめさき・らいかを筆頭とした神使たちとは、もはや顔なじみだったからだ。仕事の関係やら何やらで何度か幽世に足を運んだこともあるし、逆に蕾花たちが現世にやって来た事もある。

 ついでに言えば蕾花の配信も雪羽などと共に何度も視聴している訳である。要は何かと交流があるという事なのだ。


「それにしても、今回は蕾花さんたちがこの現世にお見えになるんですね。蕾花さんたちもお忙しいでしょうから、わたしたちの方が幽世に来訪した方が良かったのではないかと思うのですが……」


 ため息とともにそんな事を言ったのは、すきま女のサカイ先輩だった。言葉自体はこちらに来訪する蕾花たちの労を思っているようであるが、その顔にはいかにも残念そうな表情が見え隠れしていた。


「サカイさん。心にもない事を言ってはいけないじゃないか」


 サカイ先輩のぼやきに目ざとく応じたのは、萩尾丸その妖だった。彼もまた、幽世の神使たちを出迎え、ついで自分の仲間や部下が粗相をしたりトラブルを起こしたりしないよう、監督の為にやって来ていたのだ。

 もちろん、彼自身も幽世の神使たちに会う事を目的にしている節もあるだろう。源吾郎たちやサカイ先輩と異なり、萩尾丸は幽世に出向いた事は無いためだ。


、幽世に跋扈する魍魎たちを食べる事が出来ないから、その事を残念に思っているだけなんじゃあないのかい。サカイさん、君は幽世に行くときは、毎回大なり小なり魍魎を捕まえて食べているみたいだからさ」

「ば、バレてましたか……」


 気まずそうに目を伏せるサカイ先輩を見ながら、やっぱりそうだったのかと源吾郎は思った。驚きの念は特に無い。魍魎を食べるサカイ先輩の姿はもはや幽世での旅行では珍しい物ではないからだ。

 それどころか魍魎の祓葬を手伝うついでに捕食したり、常闇様から直々に生け捕りにした魍魎を振舞ってもらったりするくらいである。幽世の面々からも、サカイ先輩が魍魎を喰い殺すのは既に有名な事になっていた。

 ちなみに魍魎は負の感情が凝った存在であり、食いしん坊として定評のある蕾花を以てしても「血の味しかしないし美味しい物ではないぞ」と言われるような代物だ。一般妖怪が喜んで食べるような物ではないのだ、魍魎とは。


「それに夢咲広報部長からも、近頃幽世の危険度が増しているという話はあっただろう。そんな中で、わざわざ君らが観光気分で幽世に出向いて、万が一の事があったら神使の皆様に迷惑が掛かってしまう。その通りだろう」

「は、はい……」

「萩尾丸先輩の仰る通りですね……」


 幽世の近況については、他ならぬ蕾花の配信によって源吾郎たちも知っていた。曰く影法師なる邪悪な呪術集団との抗争が今後激化するだの、それに対抗して常闇様が神使たちに対影法師部隊を発足させただのと中々に物々しい話である。

 配信では蕾花たちは普段通りの生活風景を見せてくれてはいる。しかしそれも闘いの束の間の休息に過ぎず、源吾郎たちの知らぬ所では熾烈な闘いに身を投じているのかもしれない。

 そんな状況下にある中に、呑気に幽世に出向くというのは確かに無神経であるし、何より無警戒が過ぎるだろう。源吾郎や雪羽は、萩尾丸から幽世行きを許可されてはいる。それでも単体では危険にさらされる可能性は高いと判断されてもいる。雪羽よりも弱い妖怪は、よほど実戦経験を積んでいない限り幽世行きの許可は下りない。

 それほどに、幽世は危険な土地なのだ。厳密に言えば、幽世に住まう魍魎と、それを使役する影法師が危険なのだが。

 更に言うとね。萩尾丸は隙のない様子で両手を広げつつ、言葉を重ねる。


「ここ最近は、幽世やそこで暮らす神使の方たちに興味を持つ妖たちが少しずつ増えてきたんだよ。しかしだからと言って、希望者を皆幽世に連れて行くというのはよろしくないだろう。島崎君たちも知っての通り、幽世に行けると判断するにあたり、幾つもの条件があるからね。穂村君たちのように妖力が少なければ身を護れないし、さりとて三國君のように強すぎても……向こうで大暴れされても問題だから」

「萩尾丸さん、もしかしなくても俺の親戚ばっかりじゃないっすか!」


 萩尾丸の言葉が聞こえていたのだろう。向かいのテーブルで作業をしていたはずの雪羽が、わざわざすっ飛んできて抗議の声を上げた。

 家族思いの雪羽であるから、自分の叔父や弟を引き合いに出されるのは、確かに腹立たしい事だろう。

 萩尾丸はしかし、雷獣少年の眼差しを平然と受け止め、あまつさえその上で笑い返すだけだった。


「しかし事実には変わりないだろう。特に三國君などは、大瀧さんとガチンコ勝負をしたいだなんて言っている訳だし……」

「う、うん。それは確かにそうなんですよ……」


 困り顔の萩尾丸に対し、雪羽もまた神妙な面持ちで頷いていた。

 雪羽の叔父である三國は、萩尾丸から幽世行きを固く禁じられていた。八尾の若く才能のある雷獣が幽世行きを禁じられているのは、彼の言動が幽世の神使に悪影響をもたらす可能性があると判断されたためである。

 そうした萩尾丸の判断が、大げさであるとか厳しいとは源吾郎は言えなかった。むしろ適切で賢明な判断ではないかと思うほどであるし、それは甥の雪羽とて同じ事だろう。

 源吾郎は雪羽たちから視線を外し、時計を見やる。約束の時間まであと十分だ。だがそろそろ、神使たちがやって来てもおかしくないだろう。そんな風に思った源吾郎は、緩んでいた表情をわずかに引き締めたのだった。

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