年末年始閑話

モフモフが繋ぐ狐たちの絆(怪文書)

 年末年始に実家に帰省する事はいつもの事だけど、寝起きする用の部屋として客間に通されたのは初めての事だった。何故いつもと違うのか。それはやはり俺が結婚し、それで妻と共に帰省したからなのだろう。確かに俺は島崎家の末息子である事には変わりはないだろうけど。

 そんな訳で、今年の帰省はいつもとは違う事ばかりだとずっと思っていた。妻である玲香さん――彼女とは六年弱交際して、その末に結婚したのだ――の方が、むしろくつろいでいるように思えるほどだった。叔父上や叔母上のように母も玲香さんの事は妹分のように思っている節があったし、双葉姉様に至っては可愛い義妹が出来たと大喜びだったのだから。嫁姑問題が無いのは良い事だと夫の立場としては素直に思う。むしろ気を抜けば俺が母や兄姉らから夫婦生活は大丈夫なのか、と詰問される立場だったりもする。

 そんな風に気を使ったり思う所があったりしたものの、帰省した事自体は良い事だと思っている。帰省している兄姉たちが今年は少なかったので、両親や長兄も少し寂しがっていたのだから。誠二郎兄様は(俺と同じく)新婚という事もあり、今年は奥さんの実家の方に挨拶に行っているらしい。庄三郎兄様は……まぁ創作だのなんだのにかこつけて、引きこもって自分の世界を楽しんでいるのだろう。暇を見て様子を見に行ってもばちは当たるまい。


「ゴロー君。ゴロー君も久しぶりの実家だから、少し緊張しちゃったのかしら?」

「そんな所かな。客間自体はある事は知ってたけれど、そこで寝るのも初めてだからね。でも玲香さんはとてもリラックスしているみたいだから、それは良かったよ」


 夜。夕食もお風呂も終えて客間でのんびりしていると、玲香さんが気遣わしげな様子でそんな事を言った。俺も思っている事を素直に口にして、敷いておいた布団に転がる。客間はもちろん俺たち夫婦で一緒だった。厳密には使い魔のホップもいるけれど、彼はもう十姉妹の姿に戻って、専用ベッドのつぼ巣に入って就寝中だ。


「ゴロー君のご両親もお兄様やお姉様も、とっても優しくて良くしてくださるから……本当に嬉しいわ」


 俺の親族たちは、むしろ自分の身内には厳しいんだよな。そんな言葉が頭の中に浮き上がってきたが、俺は口には出さずに飲み込んだ。玲香さんが心の底から嬉しそうに微笑んでいたし、何より彼女と実家の関係を思い出したからだ。

 誠二郎兄様は、夫婦で一緒に奥さんの方の実家に帰省する事も出来る。だけど、俺たちにはそれが出来るのかどうかは解らない。ひとまずは向こうのご家族にも挨拶をして、俺の血筋を知った上で玲香さんと結婚する事は認めてはくれたけれど……そんな事を思っていると、玲香さんが俺の傍に近付いてきた。頬や肩を撫でられ、ついでフワフワの二尾が俺の四尾に柔らかくぶつかった。


「ゴロー君もお疲れでしょ。お義兄様やお義姉様ももうお休みでしょうから、私たちも寝ましょ」

「うん。そうだね玲香さん」


 玲香さんに言われ、俺もそろそろ寝ようと思った。帰省している客だからと言って、上げ膳据え膳でいられるなどと言う事はまずありえない。家主にとっては俺は末息子なのだから、帰省した時には労働力として見做される。それに若いし力がある事には変わりはないしたまには親孝行兄孝行はせねばならないし。

 まぁいずれにしても、明日も明日で初詣だろうな。そんな事を思いながら、俺も布団の中に入っていった。隣には玲香さんの布団がある訳だが、彼女が入っていた布団の山が小さくなったのを見て、寝る準備に入ったのだと俺は思った。玲香さんの本性は完全なキツネであり、寝るときは変化を解くのが常だったのだ。


 寝起きの俺がまず感じたのは、フワフワモフモフの感触だった。俺自身の尻尾ではない。もっと暖かくて一定の鼓動と呼吸が感じ取れるものである。

 目を開いてそっと布団の間を覗き見る。掛け布団と俺の間には、明るいオレンジ色の毛皮をまとった狐が入り込んでいた。玲香さんが布団の中に潜り込んでいたのだ。最初は別々の布団で寝ているのだが、早朝に目を覚ました妻はこうして俺の布団の中に入り込んでくる。いつもの事なので俺もそんなに驚かないし、むしろ嬉しい位だったりする。

 玲香さんの瞼が開く。俺たちはごく普通に見つめ合っていた。


「おはよう、ゴロー君」

「おはようございます、玲香さん」


 朝の挨拶の後に、玲香さんが布団からぬるーっと姿を現す。キツネとしての彼女は柴犬より一回り大きいほどの体格で、ふさふさの二尾の持ち主だ。ホンドギツネなので耳の先は少し黒く、だけど足先は他の部分と同じくオレンジ色の毛並みで覆われている。多分俺よりも先に起きていたのだろう。伸びをして尻尾を震わす彼女の動きにはキレがある。


「ゴロー君、緊張していたって言ってたけれど、よく眠れたみたいね」

「うん。寝入りばなはちょっと緊張した気もするけれど。玲香さんが傍にいてくれたおかげだよ」


 俺がそう言うと、狐姿の玲香さんは満面の笑みを浮かべてくれた。俺も布団から這い出し――狐の姿に変化した。そのままだと超大型犬ほどのサイズなので、玲香さんと同じくらいの大きさに調整する事も忘れない。

 銀色の毛並みに覆われた、紀州犬ほどの大きさの狐になったのを確認してから、俺は玲香さんの許ににじり寄る。朝起きてすぐのひとときは、狐の姿でじゃれ合う。それが俺たち夫婦のルーティーンにいつの間にかなっていた。玲香さんもやはり準備とかコンディションがあるのだろう。目覚めてすぐに人型に変化するわけではないという事を、俺は彼女と一緒に暮らしていて知った。妻が狐姿なのだから夫である俺も狐姿にならないといけないだろう。そんな気持ちがむくむくと沸き上がり、俺もこうして狐姿に変化するのだ。

 幸いな事に、俺は変化術の得意な妖狐に分類される。人間に近い肉体を持ちながらも、こうして狐の姿になれるのもそのおかげだろう。


 小難しい事はさておき、俺たちは狐の姿のままでじゃれ合い、ふざけ合っていた。と言ってもそんなに派手な事をするわけではない。くっつき合ったり鼻先で互いの身体を押し合ったり、尻尾をぶつけあったりするくらいだ。それで俺は途中からゴロゴロと転げまわり、玲香さんがそれを追いかけたりする感じである。

 狐姿を維持するのは少ししんどい時もあるが、それ以上に楽しくて幸せだった。狐の姿の時の方が、玲香さんも俺も色々と解放されているような気もするのだ。というよりも――俺も狐になりたいという願望が強いのかもしれない。

 そしていつものようにゴロゴロと転がりクネクネと蠢いていたのだが、玲香さんが立ち止まって耳を動かし、そして出し抜けに人型に変化した。どうしたんだろう? 俺の肉球に玲香さんの手が添えられるのを感じながら、俺は首を傾げていた。

 玲香さんが急いで人型に変化した理由はすぐに解った。兄姉たちが客間に訪れていたからだ。エプロン姿(!)の宗一郎兄様は一瞬表情をこわばらせ、双葉姉様は興味深そうに俺と玲香さんを見つめてニヤニヤしていた。


「源吾郎に玲香さん。そろそろ朝だからと思って来たんだが……もう少し遅かった方が良かったかな?」

「源吾郎も新婚さんだから、朝ぐらい奥さんといちゃつきたいかなぁって思ったんだけど……てか何で狐の姿なの?」

「いやまぁ、別に、これはやましい事でも何でもなくって……」


 俺は即座に身を起こした。腹丸出しでは何とも締まりがないと思ったからだ。玲香さんが俺の傍に寄り添い、戸惑う俺に変わって言葉を続ける。


「あの、私ってご存じの通り狐なので、ゴロー君……夫も気を遣ってくれて、それで私に合わせて朝は狐の姿に変化してくれるんです」


 ああ、玲香さんのフォローだと「妻に気を遣い思いやっている良き夫」みたいな感じになってるじゃないか。妻が尊すぎて煩悩が浄化されそう。

 そんな玲香さんのありがたい説明に、兄姉は互いに顔を見合わせ、それからまた俺の方を見やった。宗一郎兄様の鋭い視線を受けた俺は、即座に変化を解こうとした。


「待て源吾郎! そのままで、少しの間その狐姿を保ってくれないか」


 だが奇妙な事に、宗一郎兄様は俺が人型に戻る事を押しとどめたのだった。不思議に思いつつも、俺は変化を解くのをやめて待機する。玲香さんが背中を撫でてくれた。

 どうした物かと思っていると、宗一郎兄様はそのまま俺に近付いてきた。何をするつもりなのだろうか。俺を見下ろすその眼は若干血走っており、何となく不吉だった。


「宗一郎兄様、一体、何を……」

「何、少しだけその毛並みをモフモフしたいと思ってな」


 真剣そのものの様子で放たれた言葉に、俺は思わず脱力してしまった。動物(しかも変化した実弟)をモフモフしたいからと言って、そんなに血走った眼でにじり寄ったりするだろうか。まぁ、俺もかつては獣形態の雷園寺を全身全霊でモフモフしたり、それを見た鳥園寺さんに「島崎君目がガンギマリよ」なんてツッコミを受けたりした事はあるにはあったけれど。


「別に、嫌なら断っても構わないが……」

「構いませんよ兄上。別に減る物じゃあないし」


 俺はそう言って腹ばいになり、宗一郎兄様にモフられる事にした。自分がモフられるのは別に構わないからだ。玲香さんが何処かの誰かにモフられたりこねくり回されるとなれば、俺は悪狐モードとなって大暴れするかもしれないが。憤怒でマジモンの九尾になるかもしれないが。


「ねぇ源吾郎。実はね、お兄ちゃんも犬とか猫とかが好きだったのよ。でも、うちでは飼えなかったから……」


 宗一郎兄様に一通りモフモフされた後、双葉姉様は人型に戻った俺にそんな事を打ち明けてくれた。犬とか猫とかが好きで、そういう動物たちと触れ合う事を望んでいた。ああ、やはり宗一郎兄様と俺は兄弟なんだな。俺はそんな風に思ったのだった。


 お雑煮は普通に美味しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る