雷獣たちの鍛錬風景:2

 雷園寺穂村の肉体は、巨体と異形を誇るキメラの姿に変貌していた。脇に座っている弟たちも、驚いて穂村の方を向き、その姿をまじまじと凝視している。

 開成と時雨の眼差しには恐怖の色は無かった。虎やライオンすら小さく見えるほどの巨躯の怪物に変化した兄に対して、純粋な憧れと思慕の念しか宿っていなかったのだ。

 あまりにも無邪気で純粋な弟らの眼差しを、穂村は複雑な気持ちで受け止めていた。家族として、兄として弟たちに慕われて愛されるのはもちろん悪い気はしない。特に時雨は異母弟に当たるし、長らくぎくしゃくした関係でもあったのだから。

 だが、折角異形のキメラの姿になったのに、それを見た弟らが恐れの念を抱かなかった事に対しては少しがっかりしてもいた。妖怪というのは相手の放つ念や気を吸収し、力を蓄える事もあるという。穂村もまたそうした特質を持ち合わせていた。むしろ鵺の気質が濃いために、弟妹達や親族たちよりも他者の気を吸い取る側面が強かったくらいだ。

 それに何より穂村も年頃の少年――人間で言えば高校生ほどなのだ――である。弟らから気を吸い取るなどと言うみみっちい真似ができるか否か以前に、変化したおのれの姿をおどろおどろしいだの恐ろしいだのと評価してほしかった。それはもしかすると、本来の姿に対するコンプレックスの裏返しなのかもしれないが。

 ともあれ弟たちから視線を外し、穂村は臨戦態勢に入った。身をかがめ弓なりに反らし、四肢の先に生じた蹄を打ち鳴らしながらタイミングを見定める。

 開成も時雨も雷撃で的に攻撃をしていたが、穂村は攻撃に雷撃を使うつもりは無かった。雷獣であるから雷撃の攻撃がオーソドックスな物である事は穂村も解っている。だが残念な事に、穂村の雷撃術では的を破壊する威力を発揮できないと気付いてしまったのだ。

 だからこそ、強靭な獣の姿に変化し、その膂力と刃物のごとき爪でもって的を破壊しようと考えたのである。


「グオッ、オオオッ――」


 雷鳴のごとき咆哮で空気をとどろかせ、穂村は真っすぐ的に駆け出した。弟たちも、この場を監督していた葉鳥という雷獣の女性も、勇ましい穂村の動きに感嘆の声をあげているらしかった。

 四足で駆けながら、穂村は右前足の先を変質させた。穂村が化身している異形の獣は山羊の四肢を具えていた。しかし右前足だけは蹄が変質し、いびつな楕円の表面に鋭い刃物を生やした形状へと変貌する。カマイタチとて獣の前足を瞬間的に刃物に変質させる事は穂村も知っている。それを穂村は真似したのだ。

――もっとも、武器の形状が歪なのは、どのような武器にするのかイメージが定まっていなかったからなのであるが。とはいえ、棘だらけの鈍器であれば、殴るにしても切り裂くにしても効果は発揮できるだろう。

 獰猛な吠え声が今一度穂村の喉を震わせる。十数メートル先にあった的はもう目の前だ。後はこの凶悪な前足を振るって殴りつけるだ。そうすれば、的は豆腐のように粉微塵になるはず――


 だが、穂村の前足はついぞ届かなかった。それどころか、穂村の肉体が目に見えぬ何かに弾かれ、吹き飛ばされただけだったのだ。

 穂村の前足と的との距離が二メートルを切る直前に、一連の事が起きたのである。


「キャフッ、キューン……」


 穂村の巨体は空中でいともたやすく縦回転を行った。ライオンのごとき巨躯に変化しようとも、穂村の本来の重さ――彼の体重は三キロ強に過ぎないのだ――には何ら変化はない。むしろ巨大化しているから、余計に外的な力に左右されやすくなるほどだ。

 攻撃対象だった的にはあらかじめ結界のような術が施されており、穂村のように直接攻撃を仕掛けた場合には発動するのではないか。おのれの視界がくるくると回るのを感じながら、穂村は静かに思考を巡らせていた。

 ちなみに今もなお回転し重力に従って少しずつ落下している穂村であるが、別段焦りはなかった。宙に浮いたり空を飛ぶ能力は雷獣である為に持ち合わせているし、身体が軽い事が幸いし、回転も落下もゆっくりと進んでいるからだ。

 ましてや穂村は変幻自在におのれの姿を変える事が出来る。仮に受け身が失敗したとしても、翼なりなんなりを肥大化させてダメージを分散させる事とてできるのだ。

 そんな事を考えているうちに、弾かれた衝撃による回転運動も終わりを告げた。受け身を取るだの変化を変質させるなどという大層な事をせずとも、穂村はきちんとその四肢で床に着地する事が出来たのだ。これももしかしたら、雷獣のバランス感覚の高さゆえの事かもしれない。

――体当たりが通用しないとなると、やはり術を使う他ないみたいだな

 獰猛な獣、異形の怪物の姿を保ったまま、穂村はじっと的を睨んでいた。

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