第22話 カコガタリ
講師ほど残酷で悲惨な職業は無いと思う。
教諭と同等の仕事をさせられながら、期限がきたら速攻で無職の可能性もある危ない仕事だからである。
もちろん、民間企業でも派遣社員や契約社員のようなポジションがあるが、教員の世界にも同等のポジションがあるのだ。
私は大学卒業後、愛知県のとある工業高校の自動車科で常勤講師として働き始めた。
在学中に受験した採用試験は2次試験まで行ったものの、そこで落ちてしまったからだ。
最初は気さくで親切な職員が多いなと思った自動車科だったが、徐々に私の周りに暗雲が立ち込めてくる。
というのも、実はこの自動車科、学科主任ではなくとある助手の先生が陰で牛耳っていたのだ。それを理解したのは、その先生がいない時はみんな私に勉強を教えてくれて、和やかな雰囲気が漂っていた。しかしその先生が職員室に入ると部屋の空気は一変した。それを悟ってからだった。
その助手の先生というのがとにかく考え方が変わっていた人で、女性差別や非正規差別…ことのほか酷かったのが非正規差別だった。正規職員は何があっても猫可愛がりし、私のことは何かと言いがかりをつけては攻撃の対象としていた。
また、その攻撃の対象は若くして学科主任を任された先生も向けられており、彼は私にそのストレスから八つ当たりするようになった。私のタスクは終わっているのに、他の先生方(平均年齢は50代だった)が残って仕事をしているのだから私にも残れと迫り、2人きりになると色々苦言を呈した。その苦言のせいで私は帰宅が22時を過ぎることもザラではなくなった。後にそれがパワハラだとスクールカウンセラーの先生に言われるまで、私はそれが当たり前だと思っていたので、パワハラだと言われた時は心底驚いた。
さらに、生徒たちも他の先生方が(ベテランだから)できることが私にできないと馬鹿にして私を嘲笑った。新米の私には毎日が初めてのことだったし、ましてや工業科を出ていない私には工業高校の生活は慣れないことばかりだった。何でも完璧を求められ、生徒たちからは罵倒され、その担任や上司からはそのことで詰められ、私は何もできなくなっていった。
その結果、私は働き始めて10ヶ月後に初めて適応障害を発症し、医師から診断書を出されて休職することになった。しかしこの選択がいまだに私の後悔になっている。
実は、自動車科以外の学科の生徒たちは、私を慕うことが多かった。その中でも忘れられないのが、家庭不和と経済苦で悩んでいたとある生徒だった。実習の補習の際、わたしはその話を聴いた。すると、彼は意外なことを言った。「こんなに話を聴いてくれた先生は今までいなかった」と。それから私と彼は時々話をする仲になった。しかし、適応障害やパワハラ、いじめが私たちを引き裂いた。結果、私は休職しながら任期満了となったため、最後まで彼と会うことはなかった。また、さらに地獄は続く。働きながら再び受けて補欠になっていた採用試験に落ちてしまい、自分は何をやっても無理だと自死しようと首を吊ろうとした時、彼の声がはっきりと聞こえた。
「こんなに話を聴いてくれた先生はいなかった」と。
その声が私をこの世に連れ戻してくれた。
それから、このままではいけないと思った私は、大学の教授に連絡を取り、次なる学校を紹介してもらった。そして、その学校こそ私の人生のターニングポイントの一つとなる学校となるが、この時は毎日を生きるのに必死でそんなことなど知る由もなかった。
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