第21話 書いた意味
さて、ここ最近私がカクヨムに新作を出していることをご存じだろうか?ギフテッドの主人公が、ひょんなことから精神科の安楽死病棟に就職して働くというストーリーである。もともと私は安楽死を題材にした物語をいつか書いてみたいという思いがあった。というのは、私自身も安楽死を望んでいるからだ。いくら薬やリハビリで落ち着いていても、希死念慮が襲ってくることはままあることだ。本来人間は生きようと動くのが自然の摂理であることだから、死にたいと思うのは脳のバグであるであるという理論を知っていても、つらい時はあるし消えたい時もある。何もかも捨てて楽になりたいと思うこともある。以前、とある集まりで死生観について議論した事があるが、その時私は自分の希死念慮や苦しみから、安楽死に賛成することを話した。しかし、その話に対して他の人たちは「自死したら悲しむ人たちがたくさんいるんだよ」という内容を答えた。しかし、本当に苦しんでいる人たちには、そんな人がいれば自殺なんて絶対にしないし、むしろその人たちが生きる希望になって少しでも前を向こうとするはずだ。しかし現実はあまりに残酷で、苦しむ人を嘲笑うかのように人はそういう人たちをいじめ、苦しめ裏切り、思うがままに振り回す。安楽死や自死は、それに疲弊した人たちにとって最後の救済なのだ。悲しむ人がいる、と言える人たちは、人の本当の悲しみや苦しみを知らない幸せな人たちだと思う。信じていた人に裏切られたり、勝手な理由でいじめられたり傷つけられたり、孤立させられたりした惨めさや寂しさなんて、きっと分からない。だから、自分も含め「死にたい」と思う人たちの苦しみを少しでも色んな人に知ってもらいたくて、私は今回安楽死をテーマに筆を取った。
また、世の中は「自分さえ良ければいい」という思想が蔓延っている気がする。そういった思想はやがて自分に跳ね返ってくるよ、というメッセージも少なからず込めたつもりだ。なぜなら、私は主に「自分さえ良ければいい」という思想の人たちに振り回されて傷つけられ、精神を病み、時にはお金まで奪われたこともある。今私を傷つけた人たちがどんな人生を歩んでいるかは分からないが、少なからずその罰は必ずどこかで下ると思う。他人の不幸の上に自分の幸福は築けないのだから。
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